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月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
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京都市〜亀岡市 |
京都の渓谷美を代表するのが保津峡。その保津峡沿いにトロッコ列車が走り、京都市嵯峨と亀岡市を結んでいる。また、亀岡市から京都嵐山までは、峡谷美を満喫できる保津川下りがある。こうした自然美が楽しめる観光地・保津峡と亀岡市の名所、旧跡を訪ねた。 |
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田中氏は山陰線の開通に合わせて、亀岡市の生家をトンネルや鉄橋工事に使った同じレンガで、豪壮な和洋折衷住宅に改築した。鉄道の開通で来客が多くなるのを見越し、迎賓館的な役割を果たそうとしたようだ。現在は、田中氏の縁者が、この建物を活用して料理旅館「楽々荘」を営んでいる。書院造などの日本建築(国登録有形文化財)や洋館、庭園などは、改築当時のままの姿で大切の保存されている。 |
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(写真は 楽々荘(田中源太郎旧邸)) |
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この光秀をはじめ戦国の武士たちが戦の傷を癒しに訪れたのが、市の中心から西方の静かな山あいにある湯の花温泉で、四季折々の自然の景観、山里の味覚が現代人を癒してくれる。昭和30年代に亀岡市が関西の奥座敷として売り出すため、本格的に開発に取り組んだ。 |
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(写真は 料理(湯の花温泉 すみや亀峰庵)) |
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この寺で特筆すべきは、本堂内陣右手の大きな釈迦涅槃(しゃかねはん)像。鎌倉時代後期の作と言われ、蓮を枕に右手をほほの下に置き、右膝を心持ち曲げた姿でゆったりと横向きに寝たお釈迦様の像である。本堂の天井裏にあったが、明治29年(1896)孫の病気平癒を願う老女のお参りに応えて存在を知らせ、本堂内へ下ろされたとの伝えがある。自分の体の悪い所と同じ涅槃像の部分をなで、病気回復を祈る信仰が今も根強く、大勢の信者に祈りを込めてなでられ黒光りをしている。 |
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(写真は 庭園) |
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祭に参加する台灯籠は1基だけで、間口1m66cmの舞台の上で人形浄瑠璃が各所で上演され、祭はクライマックスとなる。台灯籠で演じられる人形浄瑠璃の人形は、高さ30cmほどの小さな京雛の人形で、背中に刺した竹串で人形を操る一人遣いの人形浄瑠璃。この串人形による人形浄瑠璃は、文楽人形以前の古い形式とされ、貴重な存在となっている。 |
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(写真は 人形浄瑠璃) |
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保津川下りの船は現在約50隻が運行、予備船を加えると90隻になる。保津川下りの船には船頭が3人一組で乗る。船尾で舵を取るのが船長格の年長者、船先で棹を操る船の進む方向を定めているのが中綱と言うベテランで、ここから船頭と言う言葉が生まれた。 |
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(写真は 嵐山) |
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