|
月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
|
奈良・万葉の飛鳥 |
飛鳥は万葉の歌が生まれた地であり、万葉集の故郷である。「明日香」は漢字を音読みした仮名表記で「飛鳥」は、明日香にかかる枕詞の「飛ぶ鳥」を表したものである。現代の飛鳥は田園と山野が広がる静かな自然に包まれているが、都があった当時は、宮殿や寺院、朝廷人の家が建ち並び、寺院の堂内には金色の仏像が安置されていた。今回はこんな飛鳥を思い浮かべながら、万葉の故郷・飛鳥を訪ねた。 |
|
|
||||
|
||||
|
||||
飛鳥の宮は日本初の女帝・推古天皇が592年、豊浦宮で即位してから持統天皇が694年、藤原京に遷都するまでの100年間、天皇が替われば宮も替わるとセうのが基本だった。推古天皇の豊浦宮から藤原宮までの間に、飛鳥以外に都を遷した難波長柄豊碕宮、近江大津宮を除いて小墾田宮、飛鳥板蓋宮、飛鳥浄御原宮など飛鳥の域内を宮殿が転々としていた。 |
||||
(写真は 伝飛鳥板蓋宮跡) |
||||
|
||||
|
|
||||
|
||||
|
||||
飛鳥川の上流には稲淵、栢森の集落があり、このあたりから飛鳥川は稲淵川と呼ばれる。稲淵川沿いには飛鳥時代からの神社や慣習が伝わっている。毎年、1月15日に稲淵と栢森で勧請縄(かんじょうなわ)と呼ばれる綱掛け神事がある。稲淵では男性のシンボルを形取った雄綱(おづな)、栢森では女性のシンボルを形取った雌綱(めづな)が地元の人たちの手で稲淵川の上に架けられる。 |
||||
(写真は 飛鳥川上坐宇須多岐比売命神社) |
||||
|
||||
|
|
||||
|
||||
|
||||
東漢の氏寺として建立された檜隈寺は、発掘調査の結果、金堂、講堂、中門、回廊跡などが確認された。塔跡には石造の十三重塔(国・重文)が建っているが、今は上部の二重と相輪が欠けて十一重塔になっている。 |
||||
(写真は 檜隈寺跡) |
||||
|
||||
|
|
||||
|
||||
|
||||
このほか映像、ジオラマ、音楽などで万葉時代の文化や生活、暮らしを紹介している万葉おもしろ体験や歌の広場がある。また、万葉歌人の歌をもとに、歌人の個性や心情、人間関係や時代背景などを人形、映像、アニメーションなどで紹介する万葉劇場では、新しい創作歌劇として構成した「万葉のヒロイン額田王」と「宮廷歌人柿本人麻呂」、アニメーション「万葉のふるさと」の3作が上演されている。 |
||||
(写真は 歌の広場) |
||||
|
||||
|
|
||||
|
||||
|
||||
絶対的な権力を手中にした天武天皇は新都の建設を計画していたが、実現しないうちに死亡した。その遺志を皇位を継いだ皇后の持統天皇が継いで都を造営、和銅3年(710)まで16年間、持統、文武、元明の三代の天皇の都だった。中国の都城を模した都で、最初から本格的な都市計画に基づいて建設され、東西2.1km、南北3.2kmの広大な京域は、日本で初めて条坊制が敷かれ、道路は碁盤の目状に建設された。 |
||||
(写真は 藤原京模型(飛鳥資料館)) |
||||
|
||||
|
◆歴史街道とは
|
|||
歴史街道計画では、これらのルートを舞台に ◆歴史街道テレフォンガイド
|
|||
◆歴史街道倶楽部のご紹介 歴史街道推進協議会
|