月〜金曜日 18時54分〜19時00分


三重・伊勢志摩 

 古くから伊勢神宮への参拝客でにぎわい、近年はその海岸美をセールスポイントにしたリゾート地として人気を集めているのが伊勢志摩。伊勢神宮にまつわる多くの歴史を秘めているほか、海の幸、山の幸にも恵まれ、グルメたちも満足できるスポットも多い。


 
大王崎(志摩市)  放送 5月16日(月)
 志摩半島の志摩郡5町が2004年10月1日合併して志摩市が誕生した。その志摩市の東南端に位置する大王崎は、遠州灘と熊野灘の荒波を二分するように外洋に突き出ている。「伊勢の神崎(こうざき)、国崎(くざき)の鎧(よろい)、波切大王がなけりゃよい」と唄われたように、大王崎は船乗りたちには海の難所として恐れられていた。
 大王崎の断崖に砕ける黒潮の波しぶきの壮観な光景は、志摩随一と言われる。岬の先端に立つと右に白亜の大王埼灯台、左下に波切港、遠くには神島など遠方の島々を望むことができる。

波切港

(写真は 波切港)

大王埼灯台

 大王崎沖を航行する船の安全のため、この難所に早くから灯台の建設が望まれていたが、やっと昭和2年(1927)に建設されたのが白亜の大王埼灯台。80年近く海の安全を守り続けながら、今は灯台の上にまで上って360度の展望が楽しめる参観灯台として人気のスポット。沖の水平線上からやって来る船が、マストの先端から徐々に現れるのが実感でき、地球が丸いことがよく分かるようだといわれている。
 灯台の西に広がる高台は、南北朝時代に九鬼氏が築いた波切城跡。城跡は灯台付近を除いて宅地化されており、城の遺構はほとんど残っていない。

(写真は 大王埼灯台)

 大王埼灯台は映画の舞台としても度々登場してきた。最も有名なのは、灯台守の生活を描いた「喜びも悲しみも幾年月」である。今の大王埼灯台は完全に自動化され、灯台守は姿を消した。
 大王埼灯台下の波切港付近の漁師町は、海からの強い風を防ぐために石垣が高く積まれ、その中に民家がぎっしりと並んでいる。石畳の路地、石段、その道端にはイワシやアジの干物が並び、漁村独特の景観を創り出している。こうした漁村の風景と白亜の大王埼灯台などの景色が、スケッチのモチーフとして大変人気を集めており「絵描きの岬」として知られている。

魚武

(写真は 魚武)


 
海の博物館(鳥羽市)  放送 5月17日(火)
 鳥羽市の市街地からパールロードを東へ進むと、海を見下ろし鳥の声が絶えぬ自然の中に「海との関わり」をテーマにして、昭和46年(1971)にオープンした「海の博物館」がある。
 三重県の海岸で実際に使われていた、船や漁具などの収蔵資料は約5万5000点におよび、このうち6879点が国の重要有形民俗文化財に指定されている。これらの資料を使って「海に生きる人びと・海民」「船・木造船の世界」「魚介類を獲る・漁具と漁法」「海の環境を守る・汚染の現状」の4テーマで、海と人間の長く深い関わりと歴史を紹介している。

骨角製の漁具(白浜遺跡)

(写真は 骨角製の漁具(白浜遺跡))

レイシ貝

 まず、目を見張るのが巨大な和船の船底を思わせる高い天井のユニークな展示棟。
この木造の展示棟は入館者に温かみを感じさせる。展示棟内には八丁櫓のカツオ一本釣り漁船の実物をはじめ、作り物ではないさまざまな展示物が、海に生きた人びとの歴史をダイナミックに伝えている。
 展示A棟には婚約を祝う結納飾りに使われる海産物など、暮らしと海との関わり、漁師の守り神であるタイを抱えるえびすさん、海女の魔除けであるドーマン、セーマンの印など海民の信仰、志摩の珍しい民俗と歴史などを多彩な資料と映像で紹介している。

(写真は レイシ貝)

 展示B棟では、骨角製の古代の漁具など、海を生業にした漁民が作り出した漁具や地引き網、うたせあみなどの漁法を紹介した志摩・熊野の漁。今も志摩半島で1200人を超える海女たちが、海に潜りアワビなどを獲っている姿を紹介した志摩の海女のほか、目玉展示物の八丁櫓の木造カツオ船「大吉丸」がある。重要文化財収蔵庫の広大な内部には、古代から現代までの木造船がいっぱい並んでおり、その姿は壮観である。
 海の博物館では多くの体験学習ができる。志摩の特種な貝による高貴な色の「古代紫」の染色をする貝紫染め、海藻の押し葉作り、藻塩作り、カツオ削り競争、魚介類を使った料理教室、櫓漕ぎ体験(夏期)などがある。

貝紫染め

(写真は 貝紫染め)


 
海の幸・鮑(鳥羽市)  放送 5月18日(水)
 志摩半島の東端、志摩国の国の先にあることから国崎(くざき)と呼ばれるようになった国崎の鎧崎(よろいざき)は、大王崎と同じように航海の難所で岬には鎧埼灯台がある。国崎の海は潮流の加減と海藻類によって魚介類の宝庫となっており、殊に岩場の多い海底は鮑(あわび)の生育に最適で、ここで獲れる鮑はことのほかおいしいと言う。
 垂仁天皇の時代に天照大神の鎮座地を求めて、各地を巡行していた垂仁天皇の皇女・倭姫命(やまとひめのみこと)が国崎に立ち寄ったという。この時海女が差し出した鮑がおいしかったので、今後は鮑を伊勢神宮のお供え物にするように依頼したとの伝えがある。

鎧崎灯台

(写真は 鎧崎灯台)

神宮御料鰒調製所

 こうした伝承から国崎町の鎧崎の岬には伊勢神宮のお供え物の鮑を作る「伊勢神宮御料鰒(あわび)調製所」がある。この調製所では毎年6月から
8月にかけて、長老たちが古式にのっとって伊勢神宮に納めるための熨斗(のし)鰒を作っている。
 生の鮑の肉を熨斗刀と言う特種な小刀でリンゴの皮をむくように薄く切り、これをさおに架けて干し、琥珀色の生乾きの鰒を竹筒を押し転がして伸ばしたものが熨斗鰒。
国崎ではこの熨斗鰒を身取鰒や玉貫鰒にして伊勢神宮に奉納している。

(写真は 神宮御料鰒調製所)

 熨斗鰒を大小二種類に切り分け、わら紐で綴ったものが身取鰒、わら紐に挟んだものを玉貫鰒を言う。熨斗鰒には不老長寿の効用があり、古くから都などでは珍重されていた。今でもめでたい時の贈り物には必ず熨斗をつけるのが慣わしで、細長い六角形の色紙の中央に琥珀色の細長い紙が熨斗鰒を表している。
 昔は吉事の時の酒の肴に熨斗鰒を添えて持参したのが熨斗に変化し、現代では熨斗紙や祝儀袋に紙で折ったもの、印刷されたものが使われるようになった。めでたい時に使われる鮑は食材としても高級海産物で、活け造りや踊り焼など、鮑料理にもいろいろなバリエーションがある。

石鏡第一ホテル 石鏡城

(写真は 石鏡第一ホテル 石鏡城)


 
海の幸・塩(二見町)  放送 5月19日(木)
 地球上の生命は海から誕生したことから生きものは塩との関わりが深い。人間もその生命を維持するためには、塩は絶対に欠かせないもので、調理の味つけの必需品でもある。また塩は穢れを清める力があり、神々への供え物や神事には欠かせない存在となっている。
 伊勢神宮でも神に供える朝夕二度の神饌(しんせん)に米、水、塩は欠かせないものとなっており、年間で大量の塩が必要になる。伊勢神宮で用いられる塩は「御塩(みしお)」と呼ばれ、二見浦の西方、海岸沿いの松林の中にある古風なたたずまいの御塩殿で作られる。

御塩殿神社

(写真は 御塩殿神社)

御塩浜

 天照大神の鎮座地を伊勢に定めた垂仁天皇の皇女・倭姫命(やまとひめのみこと)が「ここで伊勢神宮に納める塩を作りなさい」と指示したのが二見町汐合で、ここから二見の御塩作りが始まったとの伝えが残っている。
 御塩の製法は昔の製塩法そのままで、五十鈴川尻の御塩浜で夏の土用の日の満潮時に塩水を汲みあげ、入浜式塩田で水分を蒸発させて濃い塩水をとり、その塩水を釜で煮詰めて荒塩を作る。これを三角錐の型に入れて堅塩に焼き固める。こうした製塩法は今では日本でほとんど見られなくなり、古式の塩作りとして貴重な存在となっている。

(写真は 御塩浜)

 こうしてできた天然塩の御塩は、海のミネラルを多く含み、栄養バランスのとれた優れた塩と言われている。毎年10月5日に行われる伝統行事の御塩殿祭は、御塩堅めの安全と日本の塩業の発展を祈願する祭で、全国から製塩にかかわる人びとが大勢参列する。この御塩殿祭が終わると、伊勢神宮に納める堅塩に焼き固める作業が行われる。
 二見町が伊勢神宮に納めるのは塩だけでなく、同町の神宮御園では神に供える野菜や果物を無農薬で栽培しており、食のルーツは伊勢神宮にあると言われるそのまた食のルーツが二見にあると言える。

岩戸の塩 ヘルシー御膳

(写真は 岩戸の塩 ヘルシー御膳)


 
二見浦(二見町)  放送 5月20日(金)
 二見の地名は、古く倭姫命(やまとひめのみこと)が、天照大神の鎮座される地を探し求めてこの地へ来た折、伊勢の海の眺めの美しさに二度も振り返って見たと言う神話に由来しており、今も名勝の地として全国的に名高い。
 二見浦は昔から禊(みそぎ)の場とされており、伊勢神宮に参拝する前にこの浜で、大勢の人たちが心身を清める禊の水浴びをした。こうしたいきさつから明治25年(1992)日本で初めての海水浴場としてオープンした。

伊勢名所二見浦之国

(写真は 伊勢名所二見浦之国)

夫婦岩

 二見浦で日本人なら知らぬ者はいないと言うのが、大小二つの岩を大しめ縄で結んだ夫婦岩。大きな男岩が高さ9m、女岩は4mでその間は9mある。
 縁結びのシンボルとして知られるが、沖合い700mに沈む興玉神石(おきたましんせき)の鳥居の役目を果たしている。夏至の日には夫婦岩と興玉神石を結ぶ線上から太陽が昇り、この夏至の日前後の夫婦岩の日の出が一番美しい。この日に空気が澄んでいれば、はるかかなたの富士山からの日の出が見られることもあるが、こんな日の出に巡りあった人はまれで、その感動は一生忘れないと言う。

(写真は 夫婦岩)

 JR二見駅からの夫婦岩表参道は、旅館や土産物店が軒を連ねるメインストリート。この通りの夫婦岩に近い所に、伊勢神宮に参拝する皇族や賓客の宿泊、休憩施設として明治20年(1887)に建てられた賓日館(ひんじつかん)がある。建設当時の面影をそのまま伝える賓日館は、明治天皇の母の英照皇太后が泊まられたり、幼少のころの大正天皇が避暑と療養、臨海学校の水泳訓練のために20日間ほど宿泊されたこともある。
 二重格天井や螺鈿の輪島塗で装飾された床の間がある御殿の間など、一流の建築家によるデザイン、選び抜かれた材料と職人の技による日本建築の粋を集めた建物は、庭園とともに貴重な文化財でもある。

賓日館

(写真は 賓日館)


◇あ    し◇
大王埼灯台近鉄志摩線鵜方駅からバスで大王埼灯台下車徒歩10分。
海の博物館近鉄鳥羽線鳥羽駅からバスで海の博物館前下車徒歩7分。
伊勢神宮御料鰒調製所近鉄鳥羽線鳥羽駅からバスで国崎下車徒歩15分。 
御塩殿JR参宮線二見駅下車徒歩15分。 
夫婦岩JR参宮線二見駅下車徒歩20分。 
近鉄鳥羽線宇治山田駅からバスで夫婦岩東口下車
徒歩5分。
賓日館JR参宮線二見駅下車徒歩15分。 
◇問い合わせ先◇
志摩市観光協会大王案内所0599−72−0789 
大王埼灯台
(社団法人燈光会大王埼支所)
0599−72−1899
鳥羽市観光協会0599−25−3019 
海の博物館0599−32−6006 
二見浦観光協会0596−43−2331
岩戸館(旅館)0596−43−2122 
賓日館0596−43−2003 

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

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