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月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
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和歌山・紀ノ川沿いの町 |
日本有数の多雨地帯と言われる大台ケ原を水源とする紀ノ川は、奈良・和歌山の流域の人たちから「母なる美しい川」と呼ばれ、魚や水棲昆虫などを育み、飲料水やかんがい用水、工業用水にと川の恵みを分け与えてきた。石器時代から人が住みつき、その時代ごとに文化が発展してきた紀ノ川沿いの町を訪ね、その文化と歴史を探訪した。 |
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織田信長と対立していた根来寺は天正13年(1585)豊臣秀吉の紀州攻めで、大師堂と多宝塔など数棟を残し堂塔はことごとく焼き払われ、江戸時代に入って紀州初代藩主・徳川頼宣らの援助で再建が始まった。 |
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(写真は 大日如来) |
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津田家は明治2年(1869)泥棒の放火で東蔵を残して全焼したが、2年後から昭和初めにかけてそれぞれの建物が再建され、今日まで伝えられている。屋敷内の庭も建物との調和が取れ、訪れた人たちの心を和ませており、四季折々の花が彩りを添えている。 |
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(写真は 全景) |
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総ケヤキ造りの本堂は西国三十三カ所霊場の中で最も大きな建物である。寺域への入口の壮大な大門(国・重文)や「風猛山」の扁額がかかる中門(国・重文)など、大小20余の堂塔が甍(いらか)を連ねる様子は平安時代の隆盛時をほうふつさせる。 |
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(写真は 粉河寺庭園) |
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動物実験は成功したが、人体への効果や副作用は未知だった。この人体への実験台になることを申し出たのが、妻の加恵(かえ)と母の於継(おつぎ)だった。 |
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(写真は 華岡青洲墓碑) |
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朱も鮮やかな太鼓橋が架かる鏡池は、その昔、不老不死の八百比丘尼が水面に映る自分の姿に「800歳にしてはあまりに若々しい」と嘆き、懐中の鏡を投げつけたと言う伝説が残っている。この太鼓橋は淀殿の寄進とする史料もあると言う。 |
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(写真は 西行堂) |
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