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月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
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奈良・大宇陀町 |
大宇陀町は奈良県のほぼ中央に位置し「国のはじめは大和の国、郡(こおり)のはじめは宇陀郡」と言われ、古くから開けたところだった。飛鳥時代から朝廷の狩猟、薬猟の地であり、中世から近世にかけては宇陀・吉野地方の政治、経済、文化の中心地として栄え、多くの文化財や史跡が残っている。 |
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白壁の建物が多く、虫籠窓(むしこまど)や連子格子、千本格子、卯建(うだつ)、矢来など、近代建築では見られなくなったデザインの建物が目につく。明治時代以降に建てられた洋館造りもちらほら見られ、あたりはひっそりと静まっている。古い町家が続くこの通りは「寂れた」と言うよりは、この町の人びとがゆとりを持った暮らしていることがうかがえる。 |
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(写真は 町屋) |
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薬の館からほど近い大願寺では、裏山で採れる薬草など「天然のくすり」を調理した薬草料理がいただける。献立は前菜、胡麻豆腐、酢の物、白あえ、三種盛り、葛の刺し身、天ぷら、飛龍頭(ひりゅうず)、黒米ご飯、吸い物、香の物、お菓子の12品。 |
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(写真は 大願寺薬草料理) |
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旧薬園の中には幕府の薬草探しに協力した、藤助から代々の薬草研究所となっている桃岳庵のほかに賽郭(さいかく=藤助)翁夫妻と忠僕・佐兵衛の像を祀った祠堂や顕彰碑がある。また森野家には賽郭翁が著した「松山本草」など薬草研究の文書、画集などの資料もたくさん残っている。 |
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(写真は 草木葉譜) |
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笹岡家は室町時代から続いた元郷士で、江戸時代に藩主から名字帯刀を許され、9ヵ村の大庄屋を務めた豪農だった。 |
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(写真は 笹岡家住宅) |
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「かぎろひの丘 万葉公園」の近くに「阿騎野・人麻呂公園」がある。平成7年(1995)の発掘調査で、弥生時代の遺跡や飛鳥時代の堀立柱建物、竪穴式住居、石敷溝などが出土し、古代の狩猟、薬猟の場・阿騎野の中心施設があったことが証明された。現在は遺跡公園として保存され、堀立柱建物、竪穴式住居を復元したり、柿本人麻呂像などが建てられている。 |
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(写真は 阿騎野・人麻呂公園) |
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