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月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
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茨木市 |
茨木市は継体天皇陵や藤原鎌足古廟など近畿地方でも有数の古墳地帯で遺跡や古刹も多く、古くから発展した地域だった。かつては豊臣秀吉の重臣・片桐且元の城下町として栄え、江戸時代には幕府の天領となった。現在は大阪のベッドタウン、工業地帯としての地位を占める茨木市の文化遺産を訪ねた。 |
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旧制茨木中学校(現・大阪府立茨木高校)へ一番の成績で入学、学業成績は優秀だった。この時期、文学への思いが深まり、図書館での読書や近くの本屋で立ち読みしたり、新しい本を買い込んでその支払いに苦労しながら内外の文学を読破した。毎日、長時間にわたって立ち読みする康成に店主も目をつぶっていたと言う。 |
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(写真は 以文会友の碑) |
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旧制中学校時代から創作活動を始めていた康成は、東大在学中の大正10年(1921)に同人誌・新思想に「招魂祭一景」を発表して文壇に登場した。東大卒業後、作家への道を歩みはじめ新感覚派の作家として注目されるようになった。 |
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(写真は 小学校時代の習字) |
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総持寺は元亀2年(1571)織田信長の兵火で堂宇は焼失したが、本尊の千手観音像は下半身は焼け焦げたが無事に残ったことから「火防(ひぶせ)観音」としても信仰されている。現在の諸堂は慶長8年(1603)豊臣秀頼が再建したものである。 |
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(写真は ぼけ封じ観音) |
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平安時代末から鎌倉時代中期までの約100年間に、経尊と長賢と言う二人の僧が願主となって、大門寺一切経の写経大事業が行われた。この間に北摂を中心として近隣諸国の善男善女が数千巻の写経をしたと言う。現在、大門寺にはその一部の77巻が伝わり保存されており、他は近隣諸家に散在しているようだ。 |
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(写真は 一切経 写し) |
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竜王山の山頂近くにある八大龍王宮は、奈良時代末の宝亀年間(770〜81)に畿内が大干ばつに見舞われた時、光仁天皇の皇子で桓武天皇の兄・開成皇子が、竜王が住むと言うこの山に登ったことに由来する。皇子は池を掘り、護摩を焚き、八柱の龍神を勧請して慈雨を降らせた。その祠の跡に八大竜王宮の社殿が建立されたと言われている。 |
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(写真は 八大龍王宮) |
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