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月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
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姫路市・書写山円教寺 |
天台宗の書写山円教寺は「西の比叡山」とも呼ばれ、比叡山、大山と並ぶ天台宗の三大道場のひとつでもある。西国三十三カ所の観音霊場の札所として知られ、観音信仰の参拝者が絶えない。平安時代から天皇や皇族、貴族、武士、庶民らが心の救いを求めて、書写山の大自然の中にたたずむ円教寺を訪れていた。 |
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円教寺はこの摩尼殿に祀られている六臂如意輪観音像を信仰する観音信仰の霊場・西国三十三カ所第27番札所として知られており、霊場巡りの巡礼者のお参りが続いている。だが、この観音像は秘仏で前立ち像もないので、巡礼者は観音さまを直に拝むことができない。 |
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(写真は 釈迦三尊像) |
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常行堂では定印を結びゆったりと座る丈六の本尊・阿弥陀如来像(国・重文)が迎えてくれる。性空上人の弟子・安鎮が平安時代の11世紀初めに制作した桧の一木造りで、張りのあるほほを持つ丸顔が特徴である。当初は往生院の本尊だったが、現在の常行堂が再建された室町時代の享徳2年(1453)ごろから常行堂の本尊として安置された。宇治の平等院の阿弥陀如来像より半世紀古く、単体で祀られている丈六阿弥陀如来像では日本最古のものとさてれる。 |
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(写真は 阿弥陀如来坐像) |
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森を背にした大講堂は、花山法皇の勅願によって寛和2年(986)に創建された円教寺の本堂に当たる建物で、この時に円教寺の寺名を法皇から賜った。お経の講義や論議が行われる僧侶の学問と修行の場で、天空にせり上がる二層屋根の甍(いらか)が美しい。 |
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(写真は 常行堂) |
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性空上人は円融上皇に入洛を求められても応じず、一条天皇の中宮・彰子が和泉式部をともなって訪れた時も居留守を使って会わなかった。このように権勢や栄華を誇る人びととの交わりを避け、栄達とは距離を置き、晩年は書写山の北方の草深い里に草庵(後の弥勒寺)を建てて隠棲、静かな日々を送ったつつましい人柄の僧だった。上人はこの草庵で98歳で入寂した。 |
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(写真は 性空上人像) |
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豊臣秀吉の根来寺焼き討ちで追われた根来塗の職人が全国各地に散らばった。 |
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(写真は 当麻曼茶羅) |
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