月〜金曜日 18時54分〜19時00分


大阪ベイエリア 

 古くから港町として栄えた大阪は、海上交通との深いつながりを持ち続けている。時代とともに変化してきた大阪港は、21世紀の国際都市大阪にふさわしい貿易港として、先端技術を備えた港湾作りが進んでいる。今週はこうした近代設備を備えた大阪港と昔の面影を残す大阪港を巡ってみた。


 
夢が咲く港めぐり  放送 7月18日(月)
 昔の航路標識である「みおつくし」を市章としている大阪市は、港ともに繁栄してきた都市である。飛鳥時代から難波津と呼ばれ、朝鮮半島や大陸との交通の要所として重要な位置を占め、遣唐使や遣隋使、朝鮮や中国からの使節らが難波津から出港したり上陸した。都が京都へ遷された平安時代も、淀川を利用した河川交通と結んで外国との玄関口の役割を果たした。
 豊臣秀吉が大坂城を築き、城下町を形成して都市機能を備え、町を縦横に走る河川や運河が開削された。全国からの物産の集散地となり「天下の台所」として、全国の商圏を支配するようになった。

大阪南港かもめフェリーターミナル

(写真は 大阪南港かもめフェリーターミナル)

大阪北港ヨットハーバー

 大阪の町は江戸時代から大阪湾が西へ西へと埋め立てられ、日本有数の港湾都市となり、昭和時代初期には取り扱い貨物量で日本でトップを占める貿易港へと発展した。第二次世界大戦による戦災と相次ぐ台風被害、地下水の汲み上げによる地盤沈下などの被害を受けて港湾機能が著しく低下したが、これらを克服して21世紀に対応できる港湾都市へと発展している。
 新たな埋め立てによって生まれた舞洲(まいしま)、夢洲(ゆめしま)、咲洲(さきしま)には、各種の先端機能を備えた施設が誕生し、レクリエーション面でも家族連れの人気を集めつつある。

(写真は 大阪北港ヨットハーバー)

 現在、咲洲(南港)にはコンテナ埠頭、フェリー埠頭、食品埠頭、客船埠頭、自動車・建設機械取り扱い埠頭などの港湾施設が整備され、大型船が出入りしている。天保山の客船ターミナルには世界の豪華客船が寄港し、周辺には海遊館やサントリーミュージアムなどのレクリエーション施設がそろっている。舞洲、夢洲には21世紀の大阪の港湾を担う、先端機能を備えた施設やスポーツレクリエーション施設などが計画されている。
 近代化が進む大阪港を紹介する大阪市の広報船「夢咲」は、外国や他府県から見学に訪れる港湾関係者を案内するのが主な業務。一般市民は15人以上の団体で予約をしたうえ、1万円の乗船料が必要で、気軽には乗れない船だ。

大阪市広報船「夢咲」

(写真は 大阪市広報船「夢咲」)


 
舞洲・おとぎの館?  放送 7月19日(火)
 埋め立てによる人口島として出現した舞洲(まいしま)で目を引くのが、西洋のおとぎ話に出てくるようなカラフルで夢のあるデザインの2つの建物。「ユニバーサル・スタジオ・ジャパンの施設なのかな」と思う人もいるかも知れないが、実はどちらも大阪市の公害を減らして快適な都市環境を作るための都市環境局の汚泥処理施設「舞洲スラッジセンター」と環境事業局のゴミ焼却施設「舞洲工場」なのだ。
 両施設とも環境保護芸術家として著名なオーストリアの故フリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサー氏がデザインしたもので、自然との調和をテーマにヒョウタンのような柱の形や色合いは同じものがなく、曲線を多用したデザインとなっている。

舞洲スラッジセンター

(写真は 舞洲スラッジセンター)

遠心脱水機

 「舞洲スラッジセンター」は、大阪市内の臨海部の下水処理場8カ所から、地中に埋められたパイプで送られてくる汚泥を処理する。まず脱水して水分を減らした汚泥を1300〜1500度の高温で燃やして、約25の1の体積の溶融スラグにする。
 溶融スラグと言うのは、汚泥を1500度の高温で燃やすとドロドロに溶けた液状になり、これを水で急速に冷却すると細かな砂状のスラグになる。このスラグはコンクリート骨材や道路の路盤材、埋め戻し材などの建設資材として有効利用されている。

(写真は 遠心脱水機)

 「環境事業局舞洲工場」は日々、家庭などから排出される膨大なゴミを処理する。普通の可燃ゴミはそのまま焼却され、大型ゴミは破砕し、鉄やアルミを選別してリサイクルに回し、可燃性のものが焼却炉に回される。
 両施設とも焼却炉などから出る熱の有効利用に努め、発電して工場のすべての電力をまかなったり、暖房、給湯などに利用している。また雨水も貯水して工場の防火用水、水洗便所用水、樹木への散水などに使っている。
 近代設備を誇る舞洲スラッジセンター、舞洲工場とも見学者が殺到しており、見学を希望する人は事前に電話で見学予約を取り、指定の日時に行けば施設内が見学できる。

環境事業局舞洲工場

(写真は 環境事業局舞洲工場)


 
弘法大師と大阪港  放送 7月20日(水)
 弘法大師・空海は延暦23年(804)遣唐使のメンバーとして難波(現・大阪港)を出港して中国・唐へ向かった。だが、この船旅は途中で台風にあい、4隻のうち2隻の船が行方不明になるなど困難なものだった。大師は無事、唐に到着し、長安で仏教の修行を積み、遣唐使として任務果たして2年後に博多へ帰国した。
 帰国後、大師は嵯峨天皇に留学の成果を報告、天皇の勅許を得て難波に祭壇を設け、無事帰国の報告法要と港の守護と海上安穏を祈願した。

弘法大師像

(写真は 弘法大師像)

釈迦院

 弘法大師が唐へ向け出港した難波の旧跡に、明治43年(1910)南河内・河南町の弘川寺の塔頭・釈迦院を移転して建立されたのが築港高野山釈迦院である。
創建当時は博覧会跡地2万6000平方mにおよぶ広大な土地を大阪市から借り、七堂伽藍(がらん)が甍(いらか)を並べる寺院を建立し、西大阪の大師信仰の道場として信者や市民に親しまれていた。
 大阪市の発展とともにに大阪港の規模も拡充され、運河の開削、公共施設の建設用地として境内の一部を大阪市に返還し、境内は当初の4分の1になった。しかし、摂津国八十八カ所霊場としての大師信仰の参拝は盛んで、特に弘法大師縁日の
21日はにぎわった。

(写真は 釈迦院)

 第二次世界大戦中は出征兵士の船待ちの宿泊所、戦死した英霊の一時奉安所やその供養など、港の寺院としての役目を果たしてきたが、昭和20年(1945)6月1日の大阪大空襲で、釈迦院は灰燼(かいじん)に帰した。昭和27年(1952)地下鉄大阪港駅南の現在地を大阪市から借り、堺市の智禅寺の本堂を移築して復興、昭和60年(1985)境内地を大阪市から取得、本堂の大修理、境内整備をして面目を一新した。
 だが、この本堂も平成7年(1995)1月の阪神淡路大震災で倒壊寸前の大被害を受け、撤去を余儀なくされ、2年後の平成9年(1997)に震災前の形の本堂が再建された。境内には浪速の町にふさわしい「浪曲塔」があり、脇の碑には大阪を代表する浪曲師の名が刻まれている。

浪曲塔

(写真は 浪曲塔)


 
港の味な店  放送 7月21日(木)
 国際都市・大阪の海の玄関口が天保山客船ターミナル。最近は世界一周クルーズの豪華客船が入港するほか、さまざまな客船が寄港し、天保山を拠点に日本国内の観光を楽しむ外国人も増えている。
 一方、天保山ハーバービレッジを呼ばれるこの一帯には、巨大なジンベイザメなどで有名な海遊館、個性的な展覧会を開くサントリーミュージアム、地上からの高さが世界最大級と言われる大観覧車、世界の味とショッピングが楽しめるマーケットなどがあり、大阪ベイエリアの人気スポットになっている。

オムライス(オーションビュー)

(写真は オムライス(オーションビュー))

両替窓口(オーションビュー)

 天保山の対岸にはユニバーサル・スタジオ・ジャパンがあり、USJ帰りの人たちがこのエリアへ足を伸ばして、天保山でのショッピングや食事を楽しんでいる。
一方では昔ながらの港町の情緒も残っているほか、USJ従業員の宿舎ができたことから外国人スタッフの往来も増え、新しい天保山の雰囲気が生まれつつある。
 かつて天保山一帯には港で働く船員相手のさまざま店が何軒もあった。そんな中で昭和24年(1949)創業の「オーション・ビュー」は、何の変哲もない町の洋食屋さんだが、看板に出ている通りオムライスが名物。飾り気のない店の雰囲気とともに、その味も創業当時から変わっていない。

(写真は 両替窓口(オーションビュー))

 この店のオムライスは2種類のハムと隠し味にセロリを使ったハムライスが、たっぷりの卵で巻かれている。船員のために考えられたと言うだけに、800円と言う値段からは想像ができないほどのボリュームで、柔らかな卵、肉、野菜のエキス、ご飯が一体となった味が逸品。一度食べるとその魅力のとりこになると言う。
昔はこのあたりに銀行がなかったので、昔の両替窓口が店に残っている。
 外観は映画のセットのようで、モダンでセンスのよいデザインの店内でゆっくりとくつろげるのがパイル・カフェ。メニューは定番ドリンクからパスタ、サンドイッチ、デザート類などで、時には船の汽笛も聞こえる。

パイルカフェ

(写真は パイルカフェ)


 
なにわの海の時空館  放送 7月22日(金)
 大阪・南港のコスモスクエアの波打ち際にポッカリ浮かび、海と空の青さを映してひと際目を引くガラスドームの施設は、船と歴史のミュージアム「なにわの海の時空館」。
 このミュージアムでは、難波津と呼ばれていた時代から、海上交通の要所として発展してきた大阪の海の交流史、人と船、船と港との関わりを時空を超えて楽しみながら学べる。またドームからの
360度の眺めが素晴らしく、遠く明石海峡大橋も望める。真っ赤な夕日が西の空に沈む眺めは天下一品で、新しい夕日スポットとして人気を集めている。

なにわの海の時空館

(写真は なにわの海の時空館)

菱垣廻船「浪華丸」

 エントランスから60mの海中道を通ってドーム内の展示場へ。海底トンネルの海中道では、大阪湾を回遊するボラ、チヌ、セイゴ、サヨリ、イワシ、アジなどの野生の魚の姿が見られることもある。
 ドーム内のメイン展示物は全長約30m、帆柱
約27.5m、帆は畳200畳分と言う実物大に復元された江戸時代の菱垣(ひがき)廻船・浪華丸。大坂から江戸への物資の海上輸送に活躍したこの船は、最大150トン、米俵なら2500俵まで積載でき、スピード、安定性に優れていた。入館者はドームを4階から1階へ下りながら浪華丸を上から下まで、あらゆる角度から見たうえで、実際に乗り込み、触れ、チョンマゲ姿の船乗りの説明を受ける。

(写真は 菱垣廻船「浪華丸」)

 時空館では「五感」で船や港の歴史、文化を実感させる体験型の展示が多い。
毎年、新しくとれた綿を菱垣廻船で運ぶ新綿番船レースを、浪華丸を操舵しながらのバーチャル・アドベンチャーが楽しめる。また、港にたまった土砂を鋤簾(じょれん)と言う道具を使って取り除く「川浚え(かわざらえ)」を体験することができる。昔の人たちは各町毎にそろいの法被(はっぴ)を着て川浚えを行い、その量を競いながら港の機能を維持していた。
 このほかヨットの操舵シミュレーター、天体観測器具を使って船の位置の測定、ダイナミックに動くシートで船の揺れを体感する海の冒険館などがある。

天保山の川ざらえ体験

(写真は 天保山の川ざらえ体験)


◇あ    し◇
大阪市都市環境局舞洲スラッジセンター、大坂市環境事業局舞洲工場JR桜島線桜島駅からバスで此花大橋西詰下車すぐ。
築港高野山釈迦院、オーション・ビュー、
パイル・カフェ
地下鉄中央線大阪港駅下車それぞれ徒歩3分。
なにわの海の時空館地下鉄テクノポート線コスモスクエア駅下車徒歩7分。
ニュートラム南港ポートタウン線トレードセンター前駅下車徒歩7分。
◇問い合わせ先◇
大阪港振興協会(広報船・夢咲)06−6615−7600 
大阪市都市環境局舞洲スラッジセンター06−6460−2830
大坂市環境事業局舞洲工場06−6463−4153 
築港高野山釈迦院06−6571−5710 
オーション・ビュー06−6571−2074 
パイル・カフェ06−6575−3002 
なにわの海の時空館06−4703−2900 

◆歴史街道とは

    関西は「歴史・文化の宝庫」として世界に誇れる地域です。歴史街道では、日本の歴史文化の魅力を楽しく体験し、実感できる旅のルートとエリアを設定しました。伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸といった主要歴史都市を時代の流れに沿ってたどる「メインルート」と各地域の特徴をテーマとして活かした3つの「ネットワーク」です。

 

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」

    の3つの目標を掲げ、その実現を目指しています。

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

    あなたも「関西の歴史や文化を楽しみながら探求する」歴史街道倶楽部に参加しませんか?
    歴史街道倶楽部では、関西各地の様々な情報のご提供や、ウォーキング、歴史講演会など楽しいイベントを企画しています。
   倶楽部入会の資料をご希望の方は、
 ハガキにあなたのご住所、お名前を明記の上、
          郵便番号 530−6691
          大阪市北区中之島センタービル内郵便局私書箱19号
                  「 A係 」
へお送り下さい。
   歴史街道倶楽部の概要を解説したパンフレットと申込み用紙をご送付いたします。
       FAXでも受け付けております。FAX番号:06−6448−8698   

歴史街道推進協議会