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月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
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宮津市 |
日本三景のひとつ、天橋立がある宮津市は城下町、港町として栄え、江戸時代には北前船の寄港地となり、丹後地方の物資の集散地となっていた。今も町並みに昔のたたずまいと繁栄ぶりを残す宮津の町を訪ねた。 |
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この見事な景観の天橋立が画題にならないはずがない。室町時代の画僧・雪舟が描いた「天橋立図」(国宝)は、天橋立の東側の栗田半島方面から描いたもので、絵の中に智恩寺などの名刹が描かれている。江戸時代に入ると歌川広重が南から見上げるように描き、丸山応挙派の画家・島田雅喬が北側の成相山方向から見下ろす景色を写実的に描いている。 |
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(写真は 磯清水) |
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文殊堂内には多くの絵馬が奉納されている。この中には江戸時代にわが国で発達した和算の難問を図解した算額や酒造りの工程を連続して描いたものなど、珍しい絵馬が掲げられている。 |
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(写真は 智恵の餅(吉野茶屋)) |
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籠神社の境内を通り抜け、ケーブルカーで山の中腹まで登ると天橋立見物の名所・傘松公園に出る。笠松公園から眺める天橋立は女性的な趣を見せており、特にここからの「股のぞき」は天橋立が天地逆に見える天下の絶景と言われている。 |
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(写真は 成相寺) |
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昔、一人の僧が雪深い寺で修行していたが、里との往来が途絶え食糧がなくなり餓死寸前になった。僧は「きょう一日の食べ物をお恵みください」と本尊の観音様に祈った。そうすると外に傷ついたイノシシが倒れており、修行僧は肉食の禁戒を破ってイノシシの腿肉を煮て食べた。雪解け後に訪れた里人が本尊を見ると左右の腿がそぎ取られ、鍋の中に木屑があった。僧が木屑を観音像の腿につけると元通りなったとの伝えがあり、本尊の聖観世音菩薩像を身代わり観音とも呼ぶ。 |
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(写真は 本尊 聖観世音菩薩) |
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一般公開されている白壁が印象的な旧三上家住宅(国・重文)は、酒造業、廻船業、糸問屋などを手広く営んでいた宮津屈指の豪商の屋敷。酒造施設などがよく残っており、庭園とこれを望む庭座敷のたたずまいなどは、豪商の屋敷にふさわしい見事なものである。 |
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(写真は 旧三上家住宅) |
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