月〜金曜日 18時54分〜19時00分


南あわじ市

 淡路島南西部の南淡、三原、緑、西淡の4町が2005年1月合併して南あわじ市が誕生した。この地域は国生み神話にまつわるおのころ島などの記紀神話の伝説が伝わる。淡路人形浄瑠璃発祥の地でもあり、話題の豊富な市である。明石海峡大橋、淡路島を縦断する自動車道の完成で、鳴門観潮、スイセン郷などを中心に観光地としての人気が高まっている。


 
慶野松原 放送 8月22日(月)
 南あわじ市にとどまらず、淡路島全体を代表するとも言える景勝地が、瀬戸内海側に延びる慶野松原で「日本の渚百選」にも選定されている。
 古くは柿本人麻呂が西国に旅する途中、この海岸を目にして「飼飯(けひ)の海の 庭好くあらし 刈薦(かりこも)の 乱れ出づ見ゆ 海人の釣り舟」と詠んでいる。文字通りの白砂青松の海岸が約2.5km続き、数万本の松が枝を広げてさまざまな姿を見せている。この海岸には海水浴場もあり、今、海水浴客で大変にぎわっている。この海岸沿いに特産の瓦の造形を中心にした「プロポーズ街道」と呼ばれるロマンチックなプロムナードがある。

柿本人麻呂歌碑

(写真は 柿本人麻呂歌碑)

鬼塚

 カップルの変わら(瓦)ぬ愛の誓いの言葉やイラストを刻んだハート形などの瓦が並ぶ「プロポーズ瓦道」、七福神や干支瓦などが並ぶ「鬼愛(おにあい)街道」、実際に神社仏閣に飾られている古代鬼面を中心に高さ50cmの鬼面3基の「鬼塚」、毎年、一般公募した短歌や俳句を刻んだ瓦の作品が並ぶ「万葉の甍(いらか)道」など、変わった瓦の造形が並ぶ約1.5kmを総称してプロポーズ街道という。
 淡路は全国屈指の瓦の産地で、豊富で良質の粘土が高温でしっかりと焼き上げられて淡路瓦となる。愛媛県の三州瓦、島根県の石州瓦と並んで日本三大瓦の産地で、その生産の中心地が南あわじ市の旧西淡町。

(写真は 鬼塚)

 日本の瓦の生産の歴史は飛鳥時代の1400年前に遡る。奈良時代には淡路島で瓦の生産が始まり、江戸時代初めに現在の南あわじ市津井で本格的な瓦の生産が始まった。淡路瓦の歴史と瓦のできるまでの工程が学べる「瓦の博物館」が南あわじ市産業文化センター内にある。手作業で瓦を成形したり、焼いたりしていた時代の道具類が展示され、当時のダルマ窯が再現されている。実習棟では土鈴やオカリナなどの粘土細工の体験もできる。
 神戸淡路鳴門自動車道の西淡三原インターチェンジの出口にある瓦を積み上げたようなモニュメントや、旧西淡町役場の南あわじ市西淡庁舎前にはジャンボ鬼瓦、瓦の電話ボックス、町内の橋の欄干にも古代瓦や鬼瓦が貼りつけられているなど、町内のいたる所で瓦が目につく。

だるま窯(産業文化センター)

(写真は だるま窯(産業文化センター))


 
滝川記念美術館・玉青館 放送 8月23日(火)
 玉青館(ぎょくせいかん)は、日本南画の第一人者・直原(じきはら)玉青画伯の作品を主とする日本で初めての現代南画の美術館である。明治37年(1904)生まれの直原画伯は、101歳になる今も元気で制作に取り組んでいると言う。
 直原画伯は53歳の時、禅宗に帰依し、その後、旧西淡町の黄檗宗国清禅寺を復興、数十点におよぶ襖(ふすま)絵を制作した。寺の山門も唐風で中国南画の画風が寺にも表れ、玉青館の外観も南画の精神にふさわしく中国をイメージしたものになっている。

雲龍図

(写真は 国清禅寺)

国清禅寺

 子供のころから画家を志していた地元の医師・滝川弘氏は、直原画伯が描いた国清禅寺の襖絵で南画の素晴らしさを知り、直原画伯の人柄にも魅かれ知り合いとなった。直原芸術を後世にまで継承し、地域文化の向上に寄与しようと、滝川氏が直原作品を展示する美術館の建設を進め、平成3年
(1991)滝川記念美術館・玉青館を完成した。
 美術館1階には画伯の大作「禅の牧牛 うしかい草」12点が展示されている。
この作品は1画面の大きさが縦120cm、横234
cmで、発表当初は全長約30mにも及ぶ絵巻物形式の大作だった。

(写真は 南あわじ市滝川記念美術館玉青館)

 この作品は江戸時代初め曹洞宗の禅僧が禅思想を絵解きした物語をもとに制作された。逃げた牛とそれを取り戻す少年を主体に、人間が持つ純粋な心と欲の心の二面性を表現したものである。このほか美術館には天井画の雲龍図、慶野松原図、海門更月などの大作が展示されている。
 南画は中国・唐代の詩人・王維が、詩の世界を水墨を主体として表現したことにはじまる精神性を重視した絵画。これに対し絵具による写実的な画風を北画と言う。
日本に水墨画が伝来したのは、室町時代に中国に留学していた禅僧たちが持ち帰ってきたのが最初で、江戸時代初め黄檗宗を開いた中国の禅僧・隠元禅師が宇治の黄檗山万福寺に住持して、明代の南画を日本に定着させた。

南あわじ市滝川記念美術館玉青館

(写真は 雲龍図)


 
淡路人形浄瑠璃 放送 8月24日(水)
 淡路が誇る郷土芸能で、国の重要無形民俗文化財に指定されている淡路人形浄瑠璃の発祥は、室町時代末に西宮の戎神社に仕え、神事として人形を操って諸国を回っていた傀儡(くぐつ)師・百太夫が、現在の南あわじ市市三条へ来た際、人形の使い方を教えたことに始まると言われている。市三条の八幡神社には百太夫を祀った大御堂戎社があり、淡路人形発祥地の石碑が立っている。
 江戸時代初めに浄瑠璃、三味線にあわせて人形芝居が行われるようになり、阿波藩主蜂須賀家の保護を受け、城内でも上演した。江戸時代中期には人気が出て、人形浄瑠璃が盛んになり48もの人形座があった。人形遣いなど約900人もの人たちがこの人形座の仕事に携わり、九州から東北にかけて全国を巡業して回った。

大御堂戎社

(写真は 大御堂戎社)

三番叟(南あわじ市淡路人形浄瑠璃資料館)

 江戸時代末に大坂へ出て「文楽座」を創設した植村文楽軒も淡路の人で、後に文楽が人形浄瑠璃の代名詞のようになった。現代の文楽と淡路人形浄瑠璃との違いは、文楽は浄瑠璃が中心で娯楽性が強く、淡路人形浄瑠璃は役者が中心で浄瑠璃は従となっている。屋外に舞台を作る野掛舞台で演じるので、文楽のような繊細さと異なり、人形も大型で太夫の声も大きく、動作も大きく素朴で野趣のある出し物が多い。
 明治時代になると新しい芸能に押されてすっかり衰退し、現在、淡路に残っている人形浄瑠璃は2座。公演を行っているのは、旧南淡町にある大鳴門橋記念館内の淡路人形浄瑠璃館の淡路人形座だけとなった。淡路人形座は毎日8回「傾城阿波鳴門」などを上演している。

(写真は 三番叟
(南あわじ市淡路人形浄瑠璃資料館))

 祖先から引き継いだこの素晴らしい人形浄瑠璃の遺産を次の代へ伝えようと、淡路島の全市町の3市1町が参加して淡路人形協会を設立し、若手座員の育成や淡路人形浄瑠璃の保護に取り組んでいる。南あわじ市を中心に中学校の生徒や、地域の子供会の若い人たちが人形浄瑠璃に取り組み、淡路人形座の座員たちも人形遣いや浄瑠璃、三味線を若者たちに手ほどきをしている。
 淡路人形浄瑠璃発祥地の市三条の淡路人形浄瑠璃資料館は、淡路で最後まで残った市村六之丞座が使っていた淡路人形の頭(かしら)や衣装、小道具類を展示されている。これらの頭、衣装などから大阪の文楽とは違う淡路人形浄瑠璃の特徴と歴史、芸術を知ることができる。

淡路人形浄瑠璃館

(写真は 淡路人形浄瑠璃館)


 
福良湾 放送 8月25日(木)
 淡路島の南西端に入り組んだ福良湾に浮かぶ煙島は、周囲わずか約400mで原生林に覆われた円形の小島。この小さな島には敦盛の首塚など悲しい伝説が語り継がれている。
 船着場から187段の石段を登り詰めると島の頂上に厳島神社がある。創建はこの地に移り住んだ海人が海神を祀ったのが始まりとの伝承が残っている。ほかに平重盛がこの地に立ち寄った時、安芸宮島の厳島神社の分霊を勧請したとの説など、さまざまな創建説が伝承されている。

煙島

(写真は 煙島)

敦盛の首塚

 この神社の南に敦盛の首塚と伝えられる石の厨子がある。寿永3年(1184)源平一の谷の戦で、源氏の武将・熊谷次郎直実が、わが子のような若さの平敦盛を涙をのんで討ち取った。その首級と青葉の笛をこの島に逃れていた敦盛の父・経盛に届けさせた。経盛がここで敦盛の首を荼毘に付した時の煙が煙島の名の由来だと言う。
 また、要害の地としての烽(のろし)、漁業の合図に烽を揚げた狼煙(のろし)島に由来するとの説もある。島には一の谷の戦で敗れ、屋島へ落ち行く平家一門が、数日間この島に逃れた時の設けた安徳天皇行在所跡や紅蓮寺史跡などが残っている。

(写真は 敦盛の首塚)

 全国的に有名なのが鳴門海峡の渦潮。この渦潮を見物する観潮船が福良港から毎日出ている。満潮時には紀伊水道から播磨灘へ流れ込み、干潮時には播磨灘から紀伊水道へ流れ出る時、幅1.3kmしかない鳴門海峡で激しい潮の流れによって強大な渦潮が起こる。大潮の時の潮の流れは時速11ノット、潮の落差は3mにも達し、渦の大きさは直径10mから30mにもなり、大鳴門橋とマッチした巨大な渦潮は圧巻である。
 最も大きな渦潮が発生するのは、旧暦の1日と15日前後の大潮の時。渦潮を間近で見るなら観潮船、鳴門海峡全体の渦潮を眺めるなら、鳴門岬の先端にある「道の駅うずしお」からが最適。

大鳴門橋

(写真は 大鳴門橋)


 
福良の港 放送 8月26日(金)
 淡路島の南西の福良湾は波穏やか。四国の鳴門と相対する福良港は淡路きっての天然の良港で、古くから四国・阿波への船が発着していた。律令時代の淡路島はひとつの国として存在し、国府は旧三原町市付近に置かれていた。奈良の都と淡路、四国を結ぶ官道・南海道は、紀伊国の加太から海上を現在の洲本市由良に通じ、国府のあった旧三原町を経て福良港から阿波国へと渡った。
 福良にも駅が置かれ馬などが用意されおり、この当時から福良港は四国と結ぶ重要な位置を占めていた。現在は大鳴門橋の完成で四国とは陸続きとなり、明石海峡大橋の完成で本州と淡路島、四国がつながった。

福良漁港

(写真は 福良漁港)

福良八幡神社

 福良港を見下ろす丘の上に建つ福良八幡神社は、貞観元年(859)奈良・大安寺の僧・行教が豊前国(現・大分県)の宇佐八幡宮から分霊を京都・男山へ勧請する途中、当地に立ち寄り創祀したと伝わる古社。現在の本殿は天正3年(1575)に建立されたもので、桃山時代の建築様式を残した社殿である。特に軒下などの蟇股(かえるまた)などの彫り物は、桃山時代の様式をよく伝えていると言われている。
 本殿の屋根は現在は銅板葺きとなっているが、元は桧皮葺きだった。明治時代初めに本殿に接続して幣殿が造られ、この時に幣殿とともに銅板に葺き替えられた。

(写真は 福良八幡神社)

 四国への道として通じている大鳴門橋脚下の鳴門海峡は、鳴門の渦潮として有名で、毎日のような観潮船が出ている。同時にこの海峡は海の幸の宝庫で、日本一早い潮流にもまれて身の引き締まったタイや夏の味覚のハモなどが福良漁港に水揚げされている。
 本州と結んだ明石海峡大橋、神戸淡路鳴門自動車道のの完成で、福良は鳴門の渦潮観光、海の幸を求めるグルメらが注目する所となった。渦潮を眺め、海の幸に舌鼓を打ち、温泉に入って疲れを癒すなどの観光地スポットが多く、鳴門岬付近には露天風呂から大鳴門橋に沈む夕日の眺めを売り物にしている観光ホテルもある。

ホテルニューアワジプラザ淡路島からの展望

(写真は ホテルニューアワジプラザ
    淡路島からの展望)


◇あ    し◇
慶野松原JR大阪駅前、三宮駅前から洲本行高速バスで
洲本高速バスセンター下車、同センターから
路線バスで慶野下車。
南あわじ市産業文化センター・
瓦の博物館
JR大阪駅前、三宮駅前から福良行高速バスで
陸の港西淡下車、コミュニティバスで津井下車すぐ。
(運転本数が少ないので要注意)
南あわじ市滝川記念美術館・
玉青館
三宮駅前から福良行高速バスで
陸の港西淡下車徒歩20分。
南あわじ市淡路人形浄瑠璃資料館JR大阪駅前、三宮駅前から洲本行高速バスで
洲本高速バスセンター下車、同センターから路線バスで
市下車徒歩10分。
JR三宮駅前から福良行高速バスで
洲本インターチェンジで下車、路線バスで
市下車徒歩10分。
八幡神社
(淡路人形浄瑠璃発祥地の碑)
南あわじ市淡路人形浄瑠璃資料館から徒歩7分。
淡路人形浄瑠璃館
(大鳴門橋記念館内)
JR三宮駅前から福良行高速バスで福良下車、
路線バスで大鳴門橋記念館前下車。
鳴門観潮船・
ジョイポート南淡路乗船場
JR三宮駅前から福良行高速バスで福良下車
徒歩5分。
福良八幡神社JR三宮駅前から福良行高速バスで福良下車
徒歩15分。
◇問い合わせ先◇
南あわじ市役所商工観光課0799−37−3012
南あわじ市産業文化センター・
瓦の博物館
0799−38−0201
南あわじ市滝川記念美術館・
玉青館
0799−36−2314
三原町淡路人形浄瑠璃資料館0799−42−5130 
淡路人形浄瑠璃館
(大鳴門橋記念館内)
0799−52−0260
鳴門観潮船・ジョイポート南淡路 0799−52−0054
福良八幡神社0799−52−2032 
ホテルニューアワジプラザ淡路島0799−55−2500

◆歴史街道とは

    関西は「歴史・文化の宝庫」として世界に誇れる地域です。歴史街道では、日本の歴史文化の魅力を楽しく体験し、実感できる旅のルートとエリアを設定しました。伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸といった主要歴史都市を時代の流れに沿ってたどる「メインルート」と各地域の特徴をテーマとして活かした3つの「ネットワーク」です。

 

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」

    の3つの目標を掲げ、その実現を目指しています。

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

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歴史街道推進協議会