|
月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
|
宇治市 |
宇治川の流域に広がる宇治市は、平安時代には自然豊かな景勝地が人気を呼び貴族の別荘地として栄え、紫式部の源氏物語宇治十帖の舞台としても有名で、平安時代の王朝文化が花開いたところである。そこには由緒ある古社や古刹が多く、奈良や京都の古都とは異なる宇治独特の情緒がある。また、宇治茶の産地としても全国的に知られている。 |
|
|
||||
|
||||
|
||||
宇治川に橋を架けた道登も宇治川の治水と人馬の往来の安全を祈願して、橋寺に堂塔を建立している。荒廃していた放生院を鎌倉時代の弘安4年(1281)に再興したのが奈良・西大寺の僧・叡尊で、地蔵菩薩像(国・重文)を造立して祀ったのが現在の本尊。 |
||||
(写真は 宇治橋断碑) |
||||
|
||||
|
|
||||
|
||||
|
||||
本尊の阿弥陀如来座像は平安時代の藤原期を代表する仏師・定朝(じょうちょう)の傑作で、鳳凰堂と同じ天喜元年の造立。この当時、最も名声の高かった定朝の確実な作として現存するのは、この阿弥陀如来像だけと言われている。この像は定朝が考案した寄木造りで、外来文化の影響を受けない純和様の美しさを表しており、わが国の阿弥陀如来像の完成品とまで言われている。 |
||||
(写真は 本尊 阿弥陀如来坐像) |
||||
|
||||
|
|
||||
|
||||
|
||||
修行僧に座禅や食事などの時を知らせる魚の形をした「雲版」も長年打たれ続けたためえぐられたようになっている。関西の曹洞宗の修行道場として、今も禅僧の修行が続いており、この雲版の打たれた跡は禅宗寺院の修行の厳しさと歴史の長さを示しいる。本堂は伏見桃山城の遺構を用いて建てられており、落城の際の血染めの手形や足跡が残る床板を供養のために天井に使った血天井となっている。今は血染めの跡も黒ずみその生々しさはない。予約しておけば近くまでの行って見学することができる。 |
||||
(写真は 僧堂) |
||||
|
||||
|
|
||||
|
||||
|
||||
重層入母屋造の現在の本堂や阿弥陀堂、三重塔などは江戸時代後期の文化年間(1804〜18)に再建されたものである。三室戸寺の起こりに由来する千手観音像は脇侍の釈迦如来立像(国・重文)、毘沙門天立像(国・重文)ともに本堂に安置され、観音霊場巡礼の参拝者らが手を合わせている。 |
||||
(写真は 本尊 千手観世音菩薩) |
||||
|
||||
|
|
||||
|
||||
|
||||
修行僧に一日の修行の時を知らせる魚の形をした開板(かいばん)は、口に玉をくわえたユーモラスな姿。開板を叩く音は修行僧の怠惰を戒める音でもあり、21世紀の現代も使われている。こうした中国様式の萬福寺の雰囲気を江戸時代の女流俳人・菊舎が「山門を 出ずれば日本ぞ 茶摘み唄」と詠んで見事に表しており、その句碑が三門脇に立っている。 |
||||
(写真は 普茶弁当) |
||||
|
||||
|
◆歴史街道とは
|
歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
|
◆歴史街道倶楽部のご紹介 歴史街道推進協議会
|