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月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
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敦賀市 |
敦賀市は古代から中国大陸や朝鮮半島とを結ぶ海の玄関口だった。明治時代以降も国際貿易港として発展を続け、その名残が今も港周辺に残っている。リアス式海岸の敦賀湾の沿岸は景勝の地が多く、気比の松原はその代表。だが敦賀湾周辺は原子力発電所の集中地でもあり、原発の安全問題で注目を集めることも多い。 |
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奥の細道の旅を続けていた松尾芭蕉は、元禄2年(1689)この地を訪れている。ちょうど中秋の名月にあたる旧暦8月14日から16日まで敦賀に滞在した。宿の主人が中秋の名月の明日の天気はわからないと、前夜の氣比神宮参拝を勧めたので、前日に参拝して「名月や 北国日和 定なき」と詠んだ。 |
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(写真は 長命水) |
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江戸時代には大山車と小山車があり、大山車は敦賀36町のうち12町が東西の組に分かれ、6基ずつ1年交代で曳き出していた。小山車は大山車と同じ町に住む町人が個人又は数人で曳き出していたもので、盛んな時には30〜40基が繰り出したと言われている。しかし、明治6年(1873)に小山車が廃止され、今日の形態の巡行になった。 |
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(写真は 山車巡行) |
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常宮神社の国宝・朝鮮鐘(新羅鐘)は1150年以上昔のものと思われる新羅の名鐘。文禄・慶長の役の時に朝鮮から持ち帰ったもので、豊臣秀吉の命を受けて慶長2年(1597)に敦賀城主・大谷吉継が奉納したと伝わっている。銅製で高さ1.1m、口径66cmで美術的、工芸的価値の高い鐘で「太和7年(833) |
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(写真は 朝鮮鐘) |
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敦賀市立博物館は昭和2年(1927)完成した旧大和田銀行本店の石造りの建物。古典的な石造りの柱、建物内には、いたるところに大理石が使われており、北陸で初めてエレベーターが設置された。この豪華な洋風建築は大陸や西欧への玄関口として栄えた「東洋の波止場」と言われた港町・敦賀を象徴する建物であった。 |
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(写真は 敦賀市立博物館) |
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西福寺は勝運の寺とも言われている。南北朝時代、後小松天皇は、戦の終結と平和の祈願を良如上人に命じた。2年後に戦乱は終わり南北朝は統一されたので、天皇はこの寺を戦勝と平和到来を祈願する勅願寺とした。 |
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(写真は 書院庭園) |
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