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月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
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大阪市・キタ |
大阪市の北の玄関口としてターミナルを中心に高層ビル群やデパートが建ち並び、繁華街がにぎわう大阪・キタだが、史跡や文化財も少ない。都市近代化の波に押し流されて隅に追いやられたり、忘れられてしまっているものも多い。キタに残る由緒ある社寺や温もりのある町を訪ねて見た。 |
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「お初天神」の名は近松門左衛門の「曾根崎心中」から生まれた。江戸時代中期の元禄16年 |
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(写真は 夕霧そば(瓢亭)) |
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もうひとつ、2度の火災をくぐり抜けてきたのが願不動明王の石像。空襲で焼け落ちた瓦礫の中に横たわっていた不動明王は、今は奥の院の洞窟内に安置され、戦後に再刻された石造・不動明王像が不動堂に祀られている。一願成就のご利益があると信仰されている一願不動尊で、不動明王像の周囲を黙々とお百度を踏み、願をかけている信者の姿が見られる。 |
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(写真は 淀殿の墓) |
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道真がこの神社に立ち寄った時、土地の農民が道真にユリワと言う器にダンゴを盛って出したところ、道真はこのもてなしを大層喜んだと言われている。今も神社の例祭にはユリワにダンゴを盛って祭壇に供えている。 |
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(写真は 歯神社) |
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変化しつつある中崎町でひときわ特徴的な存在となっている「Salon de AManTO天人(あまんと)」は、お年寄りから子供まで様々な世代、業種の人たちが集まる公園のようなサロン。長屋の改修工事には近所の人や口コミで集まった延べ1129人が関わった。1階のカフェでは映画、ビデオの上映やコンサート、落語会、トークサロンが開かれ、片隅にはミニFM局もある。2階は文化教室となっており、陶芸や民族音楽、文学などの講座が開かれている。 |
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(写真は シノワズリー・モダンショップ) |
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長柄豊崎宮で没した孝徳天皇の菩提を弔うため、孝徳天皇の同母姉の斉明天皇(皇極天皇が重祚)が、斉明5年(659)この地に長柄寺を建立した。この長柄寺は天平13年(741)聖武天皇が発した一国一寺の国分寺創建の詔勅によって国分寺と改称された。国分寺建立は地方に取っては大変な負担で、新たな寺を建立することができず、苦肉の策としてその地方の大寺を国分寺に改称した所が多く、長柄寺もこのケースと言える。 |
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(写真は 薬師三尊像) |
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