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月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
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柏原市 |
大阪府の中央東部にあって奈良県と接する所に位置する柏原市は、古代から、朝鮮半島からの渡来人が住み、大陸文化の影響を受けた証しとして多くの古墳が存在している。また奈良時代に建立された古社寺も多く、古くから河内文化の中心地として栄えた。江戸時代には大和川を利用した船運の終着駅、物資の集散地、陸路の奈良街道の交通の要衝として繁栄した。 |
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大和川は江戸時代の元禄16年(1703)に付け替え工事が始まり、翌年の宝永元年(1704)に現在の水路につけ替えられる以前は、大雨毎に幾度も氾濫し、川沿いの住民は田畑や家を流され困窮していた。 |
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(写真は 三田家住宅) |
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新大和川建設で約275haの田畑が失われたが、旧大和川流域の水害はほとんどなくなり、住民は安心して暮らせるようになったほか、新田開発も進み約1000haの新しい田畑が誕生した。 |
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(写真は 中甚兵衛着用の鹿革陣羽織) |
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世の中を憂いた常煕は文政13年(1830)村内の有志の協力を得て立教館を建て、地元青少年の教化に大きく貢献した。生徒が増えて学舎が狭くなったので、文久3年(1863)国分村の有力者の協力を得て新学舎を建設した。この学舎は後に小学校の校舎として使われ、現在は柏原市旭ケ丘の玉手山学園のキャンパス内に移転、保存されている。堂々とした建物は当時としては異彩を放っていたと思われる。 |
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(写真は 阿弥陀寺) |
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これらの高井田横穴群や高井田古墳の被葬者はどのような人物であったかに興味が集まっている。出土品から朝鮮半島からの渡来系氏族が有力視されている。一方で鳥に網をかぶせたような壁画から、このあたりに住んでいた鳥を捕まえるのを職業としていた鳥取氏との説もある。 |
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(写真は 火熨斗(古代のアイロン)) |
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大阪府下で横穴と言えば高井田横穴群と安福寺横穴群しかなく、貴重な遺跡と言える。高井田横穴群は大正6年(1917)に発見されたが、安福寺横穴群は江戸時代からよく知られていた。江戸時代後期の享和元年(1801)に刊行された「河内名所図会」の「安福寺門前」に塚穴20余個ありと記され、絵にも「ホラ穴」と書かれ、横穴のある場所が記されている。また江戸時代初期の延宝7年(1679)に刊行された「河内名所鑑(かがみ)」にも玉手山安福寺に塚穴20余ありと記されている。 |
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(写真は 安福寺横穴古墳群) |
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