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月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
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福井・南越前町 |
昨年1月に南条町、今庄町、河野村が合併して誕生した南越前町。内陸部の旧南条町や旧今庄町は、昨年暮から積もった大雪にすっぽり覆われた中で新年を迎えた。今回は宿場町、交通の要所として栄えた旧今庄町と北前船の拠点だった旧河野村を訪ねた。 |
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京藤家は天保年間に建てられた脇本陣格の建物で、幕末に攘夷を唱えて京へ向かった水戸天狗党が、乱闘の時に柱につけた刀傷が今も生々しく残っている。卯建は江戸時代には裕福な家でなければ、上げられなかったので「うだつがあがらぬ」との言葉が生まれた。外壁を塗籠にしたのは火事の時に延焼を防ぐためで、卯建も延焼防止の役目を果たしている。 |
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(写真は 水戸天狗党の刀傷) |
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明治21年(1888)敦賀湾の海岸寄りに現在の国道8号が開通してから江戸時代に栄えた今庄宿は寂れたが、明治29年(1896)鉄道の北陸線が開通して再び活気を取り戻した。今庄と敦賀間の急勾配を上り下りする列車は、今庄駅で機関車を代えたり増結するため、すべての列車が今庄駅で5分以上停車した。この停車時間に駅では立ち食いそばなどがよく売れ、今庄そばの名を全国に広めた。こうして「宿場町今庄」は「国鉄の今庄」となったが、昭和37年(1962)の新北陸トンネルの開通で、この今庄駅の立ち食いそばも昔物語になってしまった。 |
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(写真は おろしそば) |
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慈眼寺には二つの伝説が伝わっている。そのひとつは境内の池に嫉妬深い女が夜叉になって住みついていたが、天真自性禅師がお経を授けて仏教の教えを説いたところ、夜叉は解脱して山奥の夜叉ヶ池に移り住んだ。その後寺で夜叉がお参りするような大法要を行うと雨が降ったことから、この地方では旱魃になると慈眼寺の住職が、夜叉ヶ池で雨乞いの祈祷をしたと言う。 |
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(写真は 本源自性天真佛) |
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北前船主の館・右近家のある河野、今泉蒲地区は、昔から国府のあった武生〜河野・今泉浦〜敦賀〜京都を結ぶ海陸交通の要衝として栄えてきた。早くから廻船業が盛んで、住民たちは漁民より廻船への乗組員が多った。 |
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(写真は 茶室) |
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背後の山は散策道が設けられた庭園になっており、庭園内の展望台からの眺めが素晴らしい。遠くは敦賀半島、若狭の青葉山、丹後半島の経ケ岬まで望め、日本海に沈む夕日は言葉には尽くせないほどの絶景だと言う。 |
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(写真は 右近家旗印「イチゼンバシ」) |
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