月〜金曜日 18時54分〜19時00分


松阪市、津市 

 松阪市は城下町に加えて宿場町、商人の町、学問の町とさまざまな顔を持つ歴史豊かな町で、伊勢地方最大の前方後円墳の「宝塚古墳」があるように古くから開けた歴史と文化の町。2006年1月1日に津市と合併した旧久居市は奈良街道の宿場町の面影を色濃く残し、西部にある榊原温泉は平安時代から知られた温泉地である。新年に伊勢特有の風土と顔を持つ松阪、津の両市を訪ねた。


 
城下町の面影(松阪市)  放送 1月16日(月)
 戦国時代の名将・蒲生氏郷は豊臣秀吉から伊勢・松ヶ島に封ぜられ、天正16年(1588)に四五百森(よいほのもり)と呼ばれる丘陵地に松阪城を築城した。築城当時は天守閣がそびえ、本丸、二の丸には高い石垣が築かれ、周囲には櫓(やぐら)を配し城郭として威容を誇っていた。
 氏郷は城下町を作るのに出身地の近江や各地から商人を呼び寄せ、楽市楽座を設けて商業の自由を保証し、商都・松阪の基礎を築いた。また、海岸沿いにあった参宮道を町の中心へ移して宿場町としての発展もはかった。氏郷は築城から2年後に会津へ移封となり、江戸時代に入った元和5年(1619)に松阪は紀州藩の領地となった。

蒲生氏郷(愛宕山竜泉寺 蔵)

(写真は 蒲生氏郷(愛宕山竜泉寺 蔵))

松阪城址

 その後、松阪城は正保元年(1644)天守閣が強風で倒壊し、明治時代に他の建物も火災で焼失したり取り壊されてしまった。今は城郭はなく豪壮な石垣だけが残る城趾公園として市民の憩いの場となっている。
 紀州藩の領地になってからの松阪城には城代が置かれ、紀州藩士が城の警護に当たっていた。搦手(からめて)門跡から続く石畳道の両側に建ち並ぶ御城番(ごじょうばん)屋敷は、城の警備に当たっていた紀州藩士20名やその家族のために、文久
3年(1863)に建てられたもので、彼らの質素な暮らしぶりがうかがえる。このような江戸時代の武家の組長屋が、ほとんどそのままの形で残っている例は少なく、その規模などからも貴重なものとされている。

(写真は 松阪城址)

 周囲にマキの垣根をめぐらした約1haの御城番屋敷には、住宅20戸の主屋2棟と前庭、畑地、土蔵、南龍神社があった。明治維新後、政府は士族の生活を保証するため、公債の支給や官有地の払い下げなどを行った。御城番だった士族たちはこれらの財産を運用するため合資会社「苗秀社」を設立した。
 御城番屋敷は1戸が解体されて19戸となり、今も藩士の子孫たちが住み12戸が借家として貸し出されている。苗秀社も子孫たちが運営して屋敷の維持管理費に充てている。松阪市は西棟北端の
1戸を借り受け、江戸時代の姿に復元して平成2年(1990)から一般公開している。松阪市は電柱の移転、テレビアンテナの共同化による撤去、主屋前の道路を石畳にするなど、御城番屋敷にふさわしい景観整備を平成元年(1989)に行った。

御城番屋敷

(写真は 御城番屋敷)


 
松阪商人(松阪市)  放送 1月17日(火)
 蒲生氏郷は築城に伴って城下町を整備、故郷の近江国の日野や各地から商人を呼び寄せ、楽市楽座を設けて商業による町の繁栄を目論んだ。こうした商人たちが特産品の松阪木綿を江戸などで売り出したところ、その品質の良さと安さで評判となり、江戸で呉服を商う松阪商人は隆盛を極めた。
 縞柄(しまがら)の松阪木綿は、粋を好む江戸庶民にもてはやされ、浮世絵にも縞柄姿の江戸っ子が描かれるほどになった。江戸・大伝馬町1丁目の木綿問屋74軒のうち伊勢の出身者が6割を占めた時もあり、これらの店の多くが「伊勢屋」の屋号を掲げていたので「江戸名物、伊勢屋、稲荷に犬の糞(ふん)」と、含みのあるはやり言葉が生まれたほどだった。

松阪木綿

(写真は 松阪木綿)

江戸木綿問屋・長谷川邸

 江戸時代前期には三井、小津、長谷川、長井、殿村らの松阪商人の豪商が誕生し、江戸や京都、大坂に店を構えるようになった。
 三井の創始者・三井高利は、松阪木綿の呉服商「越後屋(後の三越百貨店)」を江戸・駿河町などに出した。当時の呉服商は得意先を回って注文を取る見世物商い、商品を得意先に持参して売る屋敷売りと盆暮れに支払いの掛け売りが通例だった。
高利は人件費がかさみ、貸し倒れの出るこの商法を改め、現金掛け値なしの店頭販売を行う画期的商法を実践した。急ぎの客にはその場で着物に仕立てる独創的な手法で、店は大繁盛して売り上げをのばし三井財閥の基を築いた。

(写真は 江戸木綿問屋・長谷川邸)

 江戸・日本橋を中心に紙問屋、木綿問屋を大々的に営み、松阪商人の筆頭格の一人、小津清左衛門の邸宅を、松阪市が平成3年(1991)に買い取り、内部を当時の姿に復元して平成8年(1996)から「松阪商人の館」として一般公開している。
 小津邸の外観は質素に見えるが、邸内は広く豪商の邸宅にふさわしい豪壮な造りで、内部には見世の間、勘定場、お茶の間、表座敷、奥座敷など
20余りの部屋がある。展示室には小津家や松阪商人の資料が展示されており、千両箱や万両箱を目にすると当時の松阪商人の豪勢ぶりがうかがえる。松阪市内にはほかに三井家発祥地(非公開)、豪商・長谷川邸(非公開)や体験織りができる松阪木綿手織りセンターなど、松阪商人に関わる史跡や施設がある。

松阪商人の館(旧小津清左衛門住宅)

(写真は 松阪商人の館
                         (旧小津清左衛門住宅))


 
本居宣長(松阪市) 放送 1月18日(水)
 大著「古事記伝」などを著したことで知られる国学者・本居宣長(1730〜1801)は、江戸時代中期の8代将軍吉宗の時代に木綿商を営む豪商・小津家に生まれたが、11歳の時に父が亡くなった。父の死後、家業は兄が継いだがその兄も死亡、宣長が家業を継ぐころには店も窮地に陥って倒産した。宣長の将来を心配した母は、宣長を医者にするため23歳の時に京へ上らせ医学を学ばせた。医学のほかに儒学や古典、和歌などをも修めて5年半後に帰郷、松阪・魚町に小児科医を開業した。
 宝暦13年(1763)かねてから尊敬していた賀茂真淵が、伊勢神宮への参宮の途中、松阪の旅館「新上屋(しんじょうや)」に宿泊することを知った宣長は、真淵に面会を求めて古事記研究の志を話し、真淵から激励され入門した。

くすりばこ(本居宣長記念館)

(写真は くすりばこ(本居宣長記念館))

本居宣長六十一歳自画自賛像

 この賀茂真淵との出会いは、後に歌人・国文学者の佐佐木信綱が一文を著し、大正から昭和時代初めにかけて小学校6年生の国語の教科書に「松阪の一夜」として収められていた。
 宣長は日本最古の歴史書である「古事記」を正確に読むことが日本人の本当の姿や思想を知るうえで必要なことだと考えていた。真淵に出会った翌年の明和元年(1764)35歳の時から古事記の研究に着手、実に35年をかけて全44巻の「古事記伝」を完成させた。古事記伝は本文に読みを付し、その後に注釈を加えた精密な解釈書で、これによって国学が大成されたとされる独創的な研究であった。
古事記伝のほかに源氏物語の研究も続け「もののあわれを表現することが文学の生命であり、もののあわれを知る極致が恋である」と説いた文学観を著作の「源氏物語玉の小櫛」で述べている。

(写真は 本居宣長六十一歳自画自賛像)

 宣長の書斎「鈴屋」は、自宅2階の物置きを改造した粗末な4畳半で、この部屋に36個の鈴を連ねた柱掛鈴を振ってその音を楽しみ、研究の疲れを癒したと言う。宣長は多くの人から尊敬され、北は陸奥国から南は日向国まで500人近い弟子がいたと言う。
 宣長が生涯を過ごしたこの居宅(国特別史跡)は、保存のため明治42年(1909)に松阪城跡に移築されて一般公開されており、宣長のひた向きな研究をその書斎「鈴屋」からしのぶことができる。旧宅跡(国特別史跡)には礎石、庭、井戸、土蔵のほか、宣長の長男・春庭の居宅が保存されている。移築された居宅のすぐそばには「本居宣長記念館」があり、本居家から松阪市へ寄贈された著書、蔵書、歌集、書簡、板木、遺品など1万6000点を収蔵、その一部を展示している。

鈴屋(すずのや)

(写真は 鈴屋(すずのや))


 
奈良街道(津市)  放送 1月19日(木)
 旧久居市の北部を東西に横切る津市と伊賀市を結ぶ伊賀街道と、東の伊勢湾側を南北に走る参宮街道とで三角形を成すように結ぶ約16kmの街道が奈良街道。
 奈良街道は参宮街道の三雲町中林の月本の追分から雲出川を渡り、久居城下を抜けて旧久居市の五百野へ至り伊賀街道に合流する。途中から奈良街道脇道と言われた奈良県桜井市の長谷に通じる初瀬街道脇道が分岐している。奈良街道の成立は古く、中世には奈良と伊勢を結ぶ街道として発達した。江戸時代の後半、伊勢神宮へのおかげ参りが大流行した時には、1日で10万人以上の人がこの街道を歩いたと言われる。

茶屋の道標

(写真は 茶屋の道標)

町屋

 江戸時代に「せめて一生に一度はお伊勢参りを…」と言うのが庶民の願望であり、楽しみであった。江戸時代に入って各街道が整備されてお伊勢参りが盛んになった。人のおかげ、神のおかげで生活できることへの感謝の気持ちを込めて、伊勢神宮にお参りをする「おかげ参り」がブームになった。
 最初のブームは江戸時代初めの寛永15年
(1638)ごろに起こり、その後、各時代を通じて大流行を繰り返した。江戸時代後期の文政13年(1830)ごろにはブームは頂点に達し、3月から9月にかけて450万人が伊勢参りをし、1日の最高は
14万人に越えたとの記録がある。この時は奈良街道もおかげ参りの旅人たちの姿が絶えなかったことであろう。

(写真は 町屋)

 こうした伊勢参りの旅人たちの宿場町として栄えた久居の町には、旅籠(はたご)や人と荷を運ぶ馬、駕籠などの世話をする問屋場ができて大変にぎわった。
 現在の久居の町には近代的な建物も増えて町の風景は変わったが、今でも旧街道筋には古い商家や石造の常夜燈や「左ならみち 右さんくうみち」などと彫られた道標がいくつか残っており、伊勢参りの旅人が往き来した往時をしのぶことができる。旧久居市は藤堂孝虎の孫・高通の城下町でもあったが、現在は館跡には中学校が建ち、わずかに子午(とき)の鐘などが城下町の面影を残している。

蔵

(写真は 蔵)


 
榊原温泉(津市)  放送 1月20日(金)
 伊勢と伊賀の国境に近い青山高原の山裾、湯の瀬川畔の榊原温泉は、清少納言が「枕草子」で「七栗(ななくり)の湯」として、有馬(神戸市)、玉造(松江市)の湯と並べてうたった歴史の古い温泉である。
 平安時代にはこのあたりは七栗郷または七栗上村と呼ばれいたことから、清少納言は七栗の湯と紹介した。このほか恋の病を癒す出で湯として多くの和歌にも詠まれている。温泉街の射山(いやま)神社は延喜式に記載された古社で温泉の神が祀られている。鎌倉、室町時代の歌にも七栗の湯は詠まれており、その歴史の古さが裏付けられている。

長命水(榊の井)

(写真は 長命水(榊の井))

射山神社

 10軒の温泉旅館と2軒の日帰り温泉施設がある榊原温泉の湯は、弱アルカリ泉、無色透明で神経痛や皮膚病、リューマチなどに効くほか、つるつるした肌ざわりになることから美人の湯とも言われる。
 「湯元・榊原館」では枕草子や当時の文献を参考に工夫を凝らし、清少納言、紫式部、小野小町の平安三才女にあやかった献立を「平安麗御膳」として売り出している。地元榊原の食材や三重県の特産物を厳選して調理しており、中でも枕草子にも紹介されているうどんのルーツとも言われる「はくたく」と中国から日本へ伝わり、清少納言の好物だと伝わる「へいだん」は珍しい料理として人気がある。

(写真は 射山神社)

 高さわずか100mの貝石山は、岩壁から2000万年前の第三紀中新生時代の貝類の化石がたくさん出土し、伊勢平野もかつてはこのあたりまで海だったことを示している。この貴重な資料の貝石山は三重県の天然記念物地域にしてされている。
 榊原温泉からほど近い青山高原は、南北約15kmにわたるなだらかな起伏が続く大草原で、春は真っ赤なツツジが咲き乱れ、夏は気温が平地より4〜5度低く避暑に最適で、秋はススキが白い穂をつけ、ハイキングコースとして人気がある。

平安麗御膳(湯元 榊原館)

(写真は 平安麗御膳(湯元 榊原館))


◇あ    し◇
松阪城跡、御城番屋敷、
本居宣長記念館、
本居宣長旧宅「鈴屋」
JR紀勢線、近鉄山田線松阪駅下車徒歩15分。
JR紀勢線、近鉄山田線松阪駅からバスで市民病院下車
徒歩3分。
松阪商人の館JR紀勢線、近鉄山田線松阪駅下車徒歩10分。 
久居の奈良街道近鉄名古屋線久居駅下車。 
榊原温泉近鉄大阪線榊原温泉口駅からバスで榊原下車。 
◇問い合わせ先◇
松阪市役所商工観光課0598−53−4406 
松阪市観光協会0598−23−7771 
松阪市教育委員会文化課0598−53−4397 
御城番屋敷0598−26−5174 
松阪商人の館0598−21−4331 
本居宣長記念館0598−21−0312 
旧久居市観光協会059−255−3110 
榊原温泉振興協会059−252−0017 
湯元・榊原館059−252−0206 

◆歴史街道とは

    関西は「歴史・文化の宝庫」として世界に誇れる地域です。歴史街道では、日本の歴史文化の魅力を楽しく体験し、実感できる旅のルートとエリアを設定しました。伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸といった主要歴史都市を時代の流れに沿ってたどる「メインルート」と各地域の特徴をテーマとして活かした3つの「ネットワーク」です。

 

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」

    の3つの目標を掲げ、その実現を目指しています。

 

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