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月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
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京都市・寺町通 |
寺町通は北は鞍馬口から南は五条通までの約4.6kmを言う。平安時代のこの通りは貴族の邸宅が並ぶ高級住宅街だったが、豊臣秀吉が京都の都市改造を行った際に寺院がこの沿道に集められ寺院町に変貌した。現代は電器商店街も出現し、昔ながらの老舗やいろいろな職種の商店が並ぶ多彩な顔を持つ京都を代表する通りとなっている。 |
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平安遷都後に奈良の矢田寺の別院として創建された矢田寺は、本尊の地蔵菩薩像が火焔の中に立つ珍しい姿のお地蔵さんとして知られている。京の人びとから地獄で亡者を救う地獄代受苦地蔵として篤い信仰を集めている。 |
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(写真は 京極小学校) |
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仏教の各宗派の大本山をはじめ寺院の多い京都の町で目につくのが仏具店。寺が建ち並ぶ寺町通に仏具や数珠、石塔の店が多いのも当然と言える。 |
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(写真は 珠数屋 中野伊助) |
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建物は洋風建築に属するものだが、畳敷きの部屋や箱階段、欄間など日本建築に見られる伝統的手法も取り入れ、和と洋の優れた趣をうまく調和させている。日本人が設計し、日本人の大工が日本人のために建てた明治時代初期の洋風住宅として貴重な遺構と言える。 |
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(写真は 書斎) |
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宿での酔いざましに洋菓子店・村上開新堂の冷えた「好事福廬(こうずふくろ)」を楽しんでいた。日本で最初に洋菓子店を東京で開いた村上開新堂の初代当主が、明治37年(1904)に京都で開いた店で、紀州ミカンをゼリー状にしたのが好事福廬。「京都の寒気に冷えきったゼリーが、酔いにかわいた口中へすべりこむときの旨さは、たとえようがなかった」と記している。 |
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(写真は 好事福盧(村上開新堂)) |
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行方が分からない娘のために両親が革堂に祈願したところ、娘が亡霊となって現れて愛用の手鏡を渡した。殺されたことがわかった両親は娘の供養のため、絵馬に手鏡をはめ込んで奉納したとされるのが幽霊の絵馬だといわれている。 |
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(写真は 本堂) |
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