月〜金曜日 18時54分〜19時00分


神戸市 

 国際貿易都市のミナト・神戸は関西で最もお洒落な街と言われている。阪神淡路大震災で壊滅的な被害を受けたが、10年の歳月をかけて不死鳥のようによみがえり震災前の元気さを取り戻した。街のあちこちに異国情緒が漂い、街のたたずまいやショッピング、食事、音楽、芸術にも独特の雰囲気がある神戸の街を散策してみた。


 
ミナト神戸  放送 2月13日(月)
 現代の神戸港と言えば、まず目に浮かぶのがポートタワー、神戸海洋博物館、洒落たホテルが建つメリケンパークと中突堤の風景。メリケンパークの西にはショッピングが楽しめ、飲食街、映画館、ホテルなどが建ち並ぶ神戸ハーバーランドも誕生して、メリケンパークと同様に若いカップルたちで毎日にぎわっている。
 メリケンパークは神戸開港120周年を記念して、メリケン波止場と中央突堤の間を埋め立てて造成された公園。メリケン波止場は明治元年(1868)に政府が作った波止場で、波止場近くにアメリカ領事館があったのでメリケン波止場と呼ばれた。

1868年神戸開港の様子を伝えるイラストレイテッド・ロンドン・ニューズ(神戸市立博物館 蔵)

(写真は 神戸開港当時の新聞
                (神戸市立博物館 蔵))

海軍操練所跡

 徳川幕府は安政5年(1858)欧米5カ国と結んだ修好通商条約によって、慶応4年(1868)1月1日神戸港を開港した。当初は不充分だった港湾施設も整備され、鉄道の開通、貿易商などの外国人の移住などで急速に発達し、世界に開かれた国際貿易港へと発展した。
 神戸市立博物館の南、阪神高速道路高架下に旧海軍操練所跡の碑がある。幕末に勝海舟が日本の沿岸防備のため海軍興隆の必要性を説き、この地に海軍操練所を開設した。この操練所には坂本龍馬や陸奥宗光らも入所していたが、幕末の混乱で1年足らずで閉鎖された。

(写真は 海軍操練所跡)

 ミナト神戸の歴史は古い。奈良時代から「大輪田の泊」と呼ばれていた港で、平清盛が日宋貿易に着目して福原遷都前の承安4年(1174)に大輪田の泊を大改修した。大輪田の泊は南東の風を受けやすかったので、清盛はこの風を防ぐため、人工島の経ヶ島を築造したほどの力の入れようだった。
 以来、大輪田の泊は日宋貿易の拠点となり、室町時代からは兵庫津と呼ばれ、中国・明や琉球の船が往来して外国の物産を日本に運んだ。江戸時代に入ってからは北前船が蝦夷地・北海道の物産を京・大坂へ運び込み、樽廻船や菱垣廻船が、灘の酒など関西の諸物資を江戸へ運んで繁栄した。

海岸通

(写真は 海岸通)


 
異人館  放送 2月14日(火)
 神戸の観光スポットの中で特に女性に人気の高いのが北野町の異人館街。慶応4年(1868)の神戸港開港後、港近くに外国人のための居留地が設けられ、欧米各国の領事館や商館、住宅が多く建てられた。
 しかし、神戸港を中心とした貿易、経済が安定するにつれ、居留地に住んでいた外国人たちはより快適な住宅環境を求め、明治20年(1887)以降には見晴らしのよい山手にその住まいを移すようになった。北野町一帯が住宅地として開発され、大正時代初めにかけて100棟以上の外国人住宅が建てられた。しかし、太平洋戦争の空襲や老朽化、都市計画などで姿を消した住宅が多く、現在残っているのは20数棟になってしまった。

うろこの家

(写真は うろこの家)

風見鶏の館

 エキゾチックな異人館街にはそれぞれ特色のある建物がある。観光客らに人気が高いのが壁面の天然石スレートが魚のうろこのように見えるところからこの名がついた「うろこの家」。尖塔上の風見鶏がシンボルの「風見鶏の館(国・重文)」。このほかユニオンジャックがひるがえる英国館、外国人向けのアパートとして利用されていた洋館長屋、黄色がかった緑色の萌黄の館(国・重文)など、見飽きない建物が続いている。
 異人館街で最も規模が大きかったハンター住宅(国・重文)は、昭和38年(1963)兵庫県に譲渡され王子動物園の一角に移築、4月、8月、10月に住宅内が一般公開されている。

(写真は 風見鶏の館)

 ハンター住宅は明治40年(1907)イギリス人実業家のE・H・ハンターが建築したもので、ベランダの幾何学模様の窓が美しい建物。初めはベランダは開放されていたが、日本の気候風土に合わないため桟(さん)で幾何学模様にデザインされた窓がはめ込まれた。
 内部の部屋には大理石のマントルピース、チーク材の床、階段の踊り場には当時、イギリスから取り寄せたステンドグラスがはめ込まれるなど重厚な雰囲気が漂う。ハンターは横浜の商社員として来日、神戸でハンター商会を興し、その後、大阪鉄工所(現日立造船)のほか多くの会社を設立、日本の産業界に多大な貢献をした。

旧ハンター住宅

(写真は 旧ハンター住宅)


 
異国の芳香・珈琲  放送 2月15日(水)
 昔から外国と日本の文化が交流、融合してきたミナト町・神戸。数多くの国から数多くの味覚がもたらされたが、エキゾチックな町並みにはコーヒーの香りがよく似合う。日本のコーヒーの輸入量の半分以上を神戸港で取り扱っており、今やコーヒーは日本茶に匹敵するほど、日本人の生活にとけ込んでいる。
 コーヒーは1000年以上の昔、イスラム寺院で秘薬として用いられ、1605年にローマ法王が「コーヒーはキリスト教徒の飲み物である」との洗礼を与えたのでヨーロッパ全土に広がった。日本へは江戸時代の元禄年間(1688〜1704)に長崎の出島に上陸して伝わった。 
北野坂 にしむら珈琲店

(写真は 北野坂 にしむら珈琲店)

内部

 神戸・北野坂の蔦のからまる重厚な煉瓦造りのにしむら珈琲店北野坂店。庭園を抜けて店内に入るとそこは非日常の空間である。この店は単にコーヒーを飲み、味わうだけでなく、街の喧騒を忘れてくつろぎのひとときを演出する空間でもある。
 昭和23年(1948)に6畳の広さから出発したにしむら珈琲店は、各国のコーヒー産地で最高級に格付けされたコーヒー豆を、1年以上寝かせてから焙煎すると言うこだわりを守り続けている。コーヒーをたてる水は西宮で酒造りに使う宮水を使っている。

(写真は 内部)

 にしむら珈琲店のオーナーの川瀬喜代子さんは、上海から戦後神戸に引き上げてきて、昭和23年に小さな小屋のような家で和菓子の販売を始めた。和菓子を買ったその場で食べる人のためにお茶を出していたが、お客さんが「コーヒーを出したら」と言われてコーヒー店を開業した。
 一般の日本人の口にも合うようにマイルドな味のコーヒーを看板にした。「自分にとって一番大切な人をお客様としてお迎えする気持ちを持ち続ける」ことをにしむら珈琲店の原点に、おいしいコーヒーをたててコーヒー通に出し続け、今では中山手本店をはじめ阪神間に十数店の支店を出すまでになった。

コーヒー

(写真は コーヒー)


 
ドイツ式煉瓦窯のパン  放送 2月16日(木)
 阪急電鉄岡本駅すぐ南のフロイン堂は、店構えこそ駄菓子屋を思わせる素朴なものだが、関西では名うてのベーカリー。午後3時と5時に焼きあがるパンのほとんどが、予約で売り切れてしまうと言うほどの人気の高さ。
 初代の店主が大正時代に来日したドイツ人のハインリッヒ・フロインドリーブのもとでパン作りの技術を習得し、のれん分けをしてもらって昭和7年
(1932)フロインドリーブの支店として店を開いた。さらにオリジナルなパン作りを目指して煉瓦窯を築き準備を進めていたが、第2次世界大戦が激しくなって一時休業、終戦直後に店名もフロイン堂と改めて開業した。

フロイン堂

(写真は フロイン堂)

食パン

 現在は2代目・竹内善之さんと3代目・隆さんが、丁寧に手で練り上げた生地を創業当時からの煉瓦窯で、今もクヌギの薪を焚いて焼きあげる。窯の中の温度や火加減などの調整は、季節やその日の天候によって加減しなければならないが、すべて善之さんの長年の勘が頼り。
 この勘を善之さんは「パンが感じるものと私が感じるものが似てくる。これは口では言い表せない体で感じ取る感性みたいなものですよ」と言う。蓋をしない型に生地を入れ、店主の勘によって焼き上がった山形の食パンは、火の通りのよい煉瓦窯で焼かれて生地が上によく伸び、気泡が大きくなって軽い食感のパンに仕上がる。

(写真は 食パン)

 この煉瓦窯は第2次世界大戦の戦火もくぐり抜け、さらに阪神淡路大震災の大きな被害も受けずに60年以上も働き続け、テレビドラマのモデルにもなったドイツのパン職人の技が3代目に受け継がれている。フロイン堂の客も2代、3代目と続いた常連ばかりで、少しでも味が落ちると叱咤の声が飛んでくると言う。
 機械化を拒否し、生地を手で慈しむようにこね、煉瓦窯で薪の火で包むように食パン、フランスパン、クルミパンを焼きあげる。パン作りの原点とも言える作業を続ける竹内さん親子は、これからもこの技をかたくなに守り続けていく中で、3代目・隆さんは「看板メニューの食パンの改良に挑戦したい」と言っている。

煉瓦窯

(写真は 煉瓦窯)


 
旧居留地 放送 2月17日(金)
 徳川幕府は安政5年(1858)欧米諸国と結んだ修好通商条約に基づいて、慶応4年(1868)神戸港を開港し、治外法権の外国人が住む居留地を設けた。居留地として東西が現在のフラワーロードから鯉川筋(大丸百貨店西通り)まで、南北が海岸通りから大丸前の通りまでの約26haが指定された。
 当時の居留地は全体を126の区画に分け、海岸通りの西端を1番として順に番号が振り当てられた。また、人道と車道を分離した道路、公園の設置、下水道の整備など、最初から計画的な都市作りが行われ、今も番号を刻んだ石柱がビルの谷間の所どころに残り、当時の下水管も残っている。

居留地海岸通(明治中期)神戸市立博物館 蔵

(写真は 居留地海岸通(明治中期)
       神戸市立博物館 蔵)

神戸市立博物館

 居留地には欧米各国の領事館、貿易会社などの洋風建築が建ち並んだ。初めはコロニアル風の木造建築だったが、その後、レンガ造りや石造りの重厚な洋館に建て替えられ、整然とした町並みが整った。今も旧居留地には明治、大正から昭和にかけてのレトロな石造りの洋風建築が肩を並べ、オフィイスや商店として使われ、ミナト神戸らしい異国情緒が漂う区域である。
 そうした中で神戸市立博物館、商船三井ビル、旧居留地15番館、旧居留地38番館などは名建築として知られ、神戸市立博物館には旧居留地の町並みの模型や当時の様子を知る資料が展示されている。

(写真は 神戸市立博物館)

 旧居留地38番館の看板を掲げるビルは、アメリカン・ルネッサンス様式のビルで、生活雑貨の店などが入っている。アメリカ領事館として建てられたコロニアル様式の旧居留地15番館は、阪神淡路大震災で大きな被害を受けたが、旧館の部材を生かして復旧され、現在はカフェとして生まれ変わり神戸市民や旧居留地を訪れる人たちから親しまれている。
 旧居留地の資料を収蔵している神戸市立博物館は、昭和10年(1935)に建てられた外国為替専門の旧横浜正金銀行神戸支店で、正面に6本のドリス式半円柱が並ぶギリシャ様式の美しい建物である。

旧居留地38番館

(写真は 旧居留地38番館)


◇あ    し◇
メリケンパーク、ポートタワー、海洋博物館JR東海道線、阪急電鉄神戸線、阪神電鉄元町駅、
高速神戸鉄道花隈駅下車いずれも徒歩10分。
北野異人館街JR東海道線、阪急電鉄神戸線、阪神電鉄三宮駅、
JR山陽新幹線新神戸駅下車いずれも徒歩15分。
JR東海道線、阪急電鉄神戸線、阪神電鉄三宮駅から
シティループバスで北野異人館下車。
ハンター住宅(神戸市立王子動物園内)
阪急電鉄神戸線王子公園駅下車徒5分。
にしむら珈琲店北野坂店JR東海道線、阪急電鉄神戸線、阪神電鉄三宮駅下車
徒歩10分。
フロイン堂阪急電鉄神戸線岡本駅下車徒すぐ。 
旧居留地、神戸市立博物館JR東海道線、阪急電鉄神戸線、阪神電鉄三宮駅又は
元町駅下車いずれも徒歩15分。
◇問い合わせ先◇
神戸市役所観光課078−322−5339 
神戸市総合
インフォメーションセンター
078−322−0220
神戸港振興協会078−391−6751 
旧ハンター住宅
(神戸市立王子動物園)
078−861−5624
にしむら珈琲店北野坂店078−242−2467 
フロイン堂078−411−6686 
神戸市立博物館078−391−0035 

◆歴史街道とは

    関西は「歴史・文化の宝庫」として世界に誇れる地域です。歴史街道では、日本の歴史文化の魅力を楽しく体験し、実感できる旅のルートとエリアを設定しました。伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸といった主要歴史都市を時代の流れに沿ってたどる「メインルート」と各地域の特徴をテーマとして活かした3つの「ネットワーク」です。

 

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」

    の3つの目標を掲げ、その実現を目指しています。

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

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歴史街道推進協議会