月〜金曜日 18時54分〜19時00分


彦根市 

 彦根市は古くから交通の要衝で中山道と北国街道、朝鮮通信使が通った朝鮮人街道の合流、分岐点だった。この彦根市を代表するのが国宝の天守閣がそびえる彦根城でお城見物の観光客が絶えない。市街地には城下町の面影がいたる所に残っており、彦根藩主・井伊家にかかわる史跡や名勝、社寺が多い。


 
彦根城・天守閣をめざして  放送 2月27日(月)
 緑の小高い金亀山(こんきやま)、別名彦根山にそびえる白亜の天守閣をいただく彦根城は、元和8年(1622)完成の名城である。
 「井伊の赤備え」として勇名をはせた井伊直政は、関ヶ原の戦功によって徳川家康の重臣として初代彦根藩主となり、関ヶ原の戦で炎上した石田三成の佐和山城に入った。佐和山城を廃城にして新しい城の築城を構想していたが、関ヶ原の戦の傷が悪化して42歳の若さで他界、築城の遺志はその子・直継(直勝)に引き継がれ慶長8年(1603)から築城が始まった。病弱の直勝に代わり家督を継いだ2代藩主・直孝の代に20年かけて完成した。

二の丸佐和口多聞櫓

(写真は 二の丸佐和口多聞櫓)

天秤櫓

 訪れた人がまず目にする建物が佐和山城から移築した堀端の二の丸佐和口多聞櫓(国・重文)。ここから長い坂道を登り、廊下橋を中央に左右対称の天秤櫓(国・重文)、本丸表口を固める太鼓門櫓(国・重文)をくぐり抜けるとやっと天守閣にたどり着く。天秤櫓は廊下橋を挟んで天秤のようになっており、長浜城の大手門を移築したと言われている。石垣は右側が築城当時のままの牛蒡積み、左側は改修されて切石積みになっている。
 どの道も櫓の美しさの中に難攻不落の防御の堅さを秘めている。表門や大手門から天守閣にいたるまでの石段は曲がりくねり、石段の高さは不規則で登りづらい。

(写真は 天秤櫓)

 石段の両側は石垣で堀の底を歩いている状態。この空堀を登ってきた敵を頭上の廊下橋、天秤櫓から攻撃する構造になっている。廊下橋は簡単に落とせる仕組みになっており、この橋が落とされると天守閣へは進めなくなる。天秤櫓にはいくつもの隠し狭間(はざま)があり、合戦になれば内側から壁を突き破って狙撃できる。堀は二重に巡らされ、内堀にかかる橋に平行している石垣は、橋を渡る敵を石垣の上から狙撃するために築かれた。
 名建築の彦根城は周囲の自然の緑とよく調和し、月明かりに浮かぶ城の美しさは格別と言われ「月明・彦根の古城」として琵琶湖八景のひとつとなっている。

太鼓門櫓

(写真は 太鼓門櫓)


 
彦根城天守閣  放送 2月28日(火)
 牛蒡積(ごぼうづみ)の石垣の上に建つ三層の彦根城天守閣は、大津城から移築したもので慶長
11年(1606)に完成している。天守建築としては最古の遺構で昭和27年(1952)国宝に指定された。現存する日本の城郭の天守閣で国宝に指定されているのは、彦根城のほかには姫路城、松本城、犬山城の4城だけ。
 四層五階だった大津城の天守閣を三層三階と小さくして再建したもので、高さは21mとこじんまりした天守閣となっている。天守閣を支える石垣は牛蒡積と呼ばれる工法で、一見すると粗雑な積み方の石垣に見えるが、極めて堅固な石垣とされている。

隠挟間

(写真は 隠挟間)

玄宮園

 唐破風、千鳥破風をバランスよく組み合わせた変化のある屋根、二、三層の壁には寺院などで使われる曲線美が美しい花頭窓が18カ所に取りつけられている。三層には高欄付廻縁をつけるなど独特の意匠美を誇り、その優美な姿は国宝にふさわしい。
 こうした建築美を見せる彦根城だが、敵の来襲に備える城郭本来の機能にも優れている。敵を鉄砲や矢で射るための「狭間(はざま)」は天守内に75個所もあり、外からは見えないように漆喰で塗り込められており、戦いの時には壁を破って使うようになっている。

(写真は 玄宮園)

 天守閣の北東にある名庭園・玄宮園の池や池畔の茶室・鳳翔台を前にして、天守閣を見上げるとまさに一幅の絵となる。玄宮園は4代藩主・直興が中国・唐の玄宗皇帝の離宮になぞらえて造園した池泉回遊式庭園。池の周りには中国・洞庭湖の瀟湘(しょうしょう)八景にちなんで選ばれた近江八景を模して、竹生島や沖の白石を表現する樹木や岩石を配置した縮景園となっている。
 玄宮園の築山にあるひなびた茶室・鳳翔台は藩主が客をもてなすための客殿で、玄宮園の美しさを観賞する最適のスポット。ここで茶を注文して薄茶を味わいながら庭の美しさを眺めると至福の気分にひたれる。

鳳翔台

(写真は 鳳翔台)


 
彦根城博物館  放送 3月1日(水)
 内堀に架かる表門橋を渡り表門を入ったところにある彦根城博物館は、彦根市制50周年記念事業として藩の政庁であった表御殿を復元して昭和62年(1987)に開館した。館内には井伊家に伝わる約3万5000点もの武具や美術工芸品、古文書類を収蔵、展示している。
 収蔵品は「井伊の赤備え」として戦国の世に有名を轟かせた朱塗りの甲冑や刀剣、武具をはじめ、歴代藩主の典雅な趣味をうかがわせる能面や能装束、茶道具、茶器類、武家には珍しい雅楽器の笙や鼓、風雅な調度品、書画など貴重なコレクションの宝庫と言える。

縫延三枚胴具足

(写真は 縫延三枚胴具足)

宝殊画賛(井伊直弼 筆)

 2代藩主・井伊直孝が着用した薫革威段替胴具足(くすべがわおどしだんがえどうぐそく)は「井伊の赤備え」の朱塗具足。無駄な装飾のない実戦向きのもので、完成度の高い具足とされている。国宝の彦根屏風には、江戸時代初期の寛永年間(1624〜44)の京都の遊里の様子が狩野派の絵師によって描かれている。
 直孝が将軍・徳川家光から拝領した我宿蒔絵硯箱(わがやどまきえすずりばこ=国・重文)のほか、桜田門外の変で散った大老・井伊直弼の二女・弥千代が輿入れの時に持参した雛(ひな)道具、藩主らが用いた茶道具、陶磁器などある。博物館では毎月展示替えをしているので、毎月異なった所蔵品に出会える。

(写真は 宝殊画賛(井伊直弼 筆))

 博物館中央には能舞台がある。この能舞台は江戸時代の建物で唯一現存するもので、明治維新以後、別の場所に移されていたものを表御殿復元に合わせ元の場所に戻した。博物館には能面や能装束、小道具類がそろっており、ほとんどの演目が上演できると言う。この能舞台を使って夏の夕涼みの「彦根城能」が毎年催されている。
 表御殿のほかに藩主の私邸にあたる奥向きの御殿の御座の間や茶室、庭園も復元されており、博物館全体が彦根城御殿の展示物ともなっている。茶室では定期的に茶会が催されいるほか、博物館の休憩コーナーには茶席が設けられ、能舞台を眺めながら薄茶とお菓子を味わうことができる。

能舞台

(写真は 能舞台)


 
龍潭寺  放送 3月2日(木)
 豊臣秀吉の重臣で関ヶ原の戦の西軍の総大将だった石田三成が城を構えていた佐和山の麓の龍潭寺(りょうたんじ)は、彦根藩初代藩主・井伊直政が慶長5年(1600)に佐和山城主になったのを機に、父祖の地・遠州(静岡)井伊谷からその菩提寺を移築した近江随一の禅刹。
 創建後、臨済宗の学問所として発展した。その教科の中に日本の造園専門学の発祥とされる「園頭科(おんずか)」と言う造園科があって、当時の学僧たちが造った庭が現存している。この園頭科で学んだ禅僧たちは全国の禅寺の庭園を手がけて名庭を造った。

方丈南庭「補陀落の庭」

(写真は 方丈南庭「補陀落の庭」)

書院北庭 露地庭園

 学僧たちが造った名庭として知られているのが方丈南庭の枯山水「補陀落(ふだらく)の庭」。一面の白砂の中に大小48の石を配して、観音菩薩の浄土である補陀落山一帯を表している。白砂は大海、砂紋はさざ波、庭の向こう側の垣根の前が水平線、後方がはるかかなたの雲、中央の島が補陀落山で真ん中の大きな立石が観音様の立ち姿を表している。
 書院東庭の鶴亀蓬莱庭園は佐和山を借景とした池泉庭園、書院北庭の池泉平庭は学僧の修行庭園として今日にいたっている。学僧に守られてきた北庭園内の樹齢400年以上の木々が、四季折々の風情を醸し出している。

(写真は 書院北庭 露地庭園)

 創建当時のままの姿をとどめている方丈の56枚の襖(ふすま)の両面(一部片面)に、104面の多様な絵柄の襖絵が描かれている。この襖絵は彦根藩士の森川許六(きょりく)の筆になるとされ、彦根市文化財に指定されている。
 襖絵は山水、人物、花鳥、走獣など10種におよぶ豊富な画題に加え、狩野派の影響を受けながらも許六独自の画風が表現されている。許六は芭蕉に俳句を学び蕉門十哲のひとりとされ、俳諧問答など俳論に優れていたと言われる多才な人物だった。

下間獅子の間(森川許六 筆)

(写真は 下間獅子の間(森川許六 筆))


 
城下町散策  放送 3月3日(金)
 城下町・彦根市は近世、近江随一の都市として栄え、今も古風な構えの武家屋敷や商家などが当時の面影を所どころにとどめている。こうした城下町の風情が残る市街地で「新しいものの中に古いものの良さと伝統を生かした活気みなぎるまち」を合い言葉に新しい町づくりが進められ、城下の町並みを再現したのが「夢京橋キャッスルロード」や「四番町スクエア」。
 郊外型大型量販店の進出で客足が減少していた商店街を再生し、彦根城を訪れた観光客の足を商店街に向け、城下町の情緒を楽しみながら地場産品や伝統産業、文化などを知ってもらいながら買い物をしてもらうのが狙い。

招福本舗

(写真は 招福本舗)

夢京橋キャッスルロード

 「夢京橋キャッスルロード」は彦根城外堀の京橋から南西へ伸びる約350mの商店街で、各種商店、美容院、銀行などすべての建物が白壁、黒格子の切妻屋根の町家風で統一され人気を呼んでいる。道路幅は18mで車道は6mと普通だが、歩道3m、植栽地帯1.5m、駐車帯1.5mとゆったりした空間を保ち、歩道はさび入り御影石の石畳。
 この夢京橋キャッスルロードにある「城下町夢あかり館」は、彦根の伝統産業のひとつ、和ろうそくの展示、照明グッズの販売やオジリナル・キャンドルが作れる体験コーナーがある。 

(写真は 夢京橋キャッスルロード)

 招き猫の置物が所狭しと置かれている「招福本舗」。彦根藩2代藩主・井伊直孝を手招きして雷雨の難を逃れさせた白猫が、招き猫の始まりと言われている。招き猫は手が高く上がっているほど大きな福と遠くの人を招く。上がっている手が右手ならお金を招き、左手なら人を招く。両手なら願い事は何でもござれ。
 彦根の台所として親しまれてきた市場商店街が新しく生まれ変わったのが「四番町スクエア」。こちらは大正ロマンの雰囲気の中で湖魚や鮒寿司など食を中心とした買い物が楽しめる。川魚店「うここう」は琵琶湖の小アユ、モロコ、川エビなどの佃煮が自慢。琵琶湖産の新鮮な魚や加工品が並んでいる。

川魚商 うおこう

(写真は 川魚商 うおこう)


◇あ    し◇
彦根城、彦根城博物館JR東海道線、近江鉄道彦根駅下車徒歩20分。     
龍潭寺JR東海道線、近江鉄道彦根駅下車徒歩20分。 
夢京橋キャッスルロード、四番町スクエアJR東海道線、近江鉄道彦根駅下車徒歩15分。
◇問い合わせ先◇
彦根市役所観光課0749−22−1411 
彦根観光協会0749−23−0001 
彦根市観光案内所0749−22−2954 
彦根城0749−22−2742 
彦根城博物館0749−22−6100 
龍潭寺0749−22−2777 
招福本舗0749−23−8629 
川魚・うおこう0749−22−3707 

◆歴史街道とは

    関西は「歴史・文化の宝庫」として世界に誇れる地域です。歴史街道では、日本の歴史文化の魅力を楽しく体験し、実感できる旅のルートとエリアを設定しました。伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸といった主要歴史都市を時代の流れに沿ってたどる「メインルート」と各地域の特徴をテーマとして活かした3つの「ネットワーク」です。

 

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」

    の3つの目標を掲げ、その実現を目指しています。

 

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