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月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
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彦根市 |
彦根市は古くから交通の要衝で中山道と北国街道、朝鮮通信使が通った朝鮮人街道の合流、分岐点だった。この彦根市を代表するのが国宝の天守閣がそびえる彦根城でお城見物の観光客が絶えない。市街地には城下町の面影がいたる所に残っており、彦根藩主・井伊家にかかわる史跡や名勝、社寺が多い。 |
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石段の両側は石垣で堀の底を歩いている状態。この空堀を登ってきた敵を頭上の廊下橋、天秤櫓から攻撃する構造になっている。廊下橋は簡単に落とせる仕組みになっており、この橋が落とされると天守閣へは進めなくなる。天秤櫓にはいくつもの隠し狭間(はざま)があり、合戦になれば内側から壁を突き破って狙撃できる。堀は二重に巡らされ、内堀にかかる橋に平行している石垣は、橋を渡る敵を石垣の上から狙撃するために築かれた。 |
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(写真は 太鼓門櫓) |
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天守閣の北東にある名庭園・玄宮園の池や池畔の茶室・鳳翔台を前にして、天守閣を見上げるとまさに一幅の絵となる。玄宮園は4代藩主・直興が中国・唐の玄宗皇帝の離宮になぞらえて造園した池泉回遊式庭園。池の周りには中国・洞庭湖の瀟湘(しょうしょう)八景にちなんで選ばれた近江八景を模して、竹生島や沖の白石を表現する樹木や岩石を配置した縮景園となっている。 |
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(写真は 鳳翔台) |
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博物館中央には能舞台がある。この能舞台は江戸時代の建物で唯一現存するもので、明治維新以後、別の場所に移されていたものを表御殿復元に合わせ元の場所に戻した。博物館には能面や能装束、小道具類がそろっており、ほとんどの演目が上演できると言う。この能舞台を使って夏の夕涼みの「彦根城能」が毎年催されている。 |
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(写真は 能舞台) |
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創建当時のままの姿をとどめている方丈の56枚の襖(ふすま)の両面(一部片面)に、104面の多様な絵柄の襖絵が描かれている。この襖絵は彦根藩士の森川許六(きょりく)の筆になるとされ、彦根市文化財に指定されている。 |
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(写真は 下間獅子の間(森川許六 筆)) |
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招き猫の置物が所狭しと置かれている「招福本舗」。彦根藩2代藩主・井伊直孝を手招きして雷雨の難を逃れさせた白猫が、招き猫の始まりと言われている。招き猫は手が高く上がっているほど大きな福と遠くの人を招く。上がっている手が右手ならお金を招き、左手なら人を招く。両手なら願い事は何でもござれ。 |
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(写真は 川魚商 うおこう) |
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