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月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
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京都・与謝野町 |
2006年3月1日与謝郡加悦町、岩滝町、野田川町が合併して与謝野町が誕生した。旧三町は丹後ちりめんの産地として知られているほか、古くから日本海文化が栄えた地方で、縄文、弥生時代の遺跡や古墳などが多い。今回はその中でも丹後と京都、大阪を結ぶ街道筋で、経済、文化の中心だった旧加悦町を訪ねた。 |
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鉄幹は父の手ほどきで幼いころから歌に親しみ、父の生地をわが故郷と懐かしんでいた。父の記念碑除幕のため加悦を訪れた折に「帰り来て 家は無けれど 与謝郡 ゆく方はみな ちちのふるさと」と詠んでいる。晶子も夫ともに加悦を訪れ「大江山 桜の山の 高松に 居隠るるほど 遠きなりけり」と詠んだ。 |
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(写真は 与謝蕪村句碑) |
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「ちりめん街道」と呼ばれる旧街道筋は、明治時代から昭和時代初期にかけて、織屋のほかにランプ屋、化粧品屋、牛肉屋、呉服屋、料理旅館、人力車屋などさまざまな商店が軒を連ね、大変なにぎわいを見せていた。当時、但馬地方から加悦へ遠足で来た小学生が「ここは日本か」と驚いたと言う話が伝わっている。 |
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(写真は 伊藤医院) |
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尾藤家邸宅は近隣の旧家の建物を買い取り、幕末の文久3年(1863)にその建築材を使って着工し、2年後に完成させ、その後も蔵や座敷などを増築している。各室ごとに趣の異なる天井、床の間、襖(ふすま)絵、障子、欄間など、その意匠や装飾の凝り方には目を見はらせられる。 |
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(写真は 洋館応接室) |
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木造の旧加悦駅舎の改札を抜けるとSL広場。そこには日本で2番目に古い2号蒸気機関車や加悦鉄道で活躍した多くの蒸気機関車、ドイツ製の木造客車、郵便物を仕分ける棚のある郵便車、だるまストーブのある車掌室など、鉄道ファン垂涎の珍しい車両27両が展示されているほか、機関車の方向を変える転車台などがある。 |
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(写真は 車掌車) |
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復元された作山古墳の1号墳、2号墳の墳頂部や古墳の周辺には円筒埴輪や土器の複製品が並べられ、当時の様子をほうふつとさせている。蛭子山古墳の後円部の上に立つと古墳の巨大さが実感でき、石室にあった石棺が展示されているのを見学できる。作山古墳の1号墳、墳頂部ではガラス越しに内部の石室が発掘した当時のままの姿で見ることができる。 |
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(写真は はにわ資料館) |
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