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月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
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三木市・加東市 |
古くから開けた三木市は、戦国時代の三木合戦で知られる城下町だったが、その後は金物の町として発展した。高度経済成長期にはベッドタウンとして発展し人口が急増した。加東市は2006年3月20日に社町、滝野町、東条町の3町が合併して誕生したばかりの新しい市で、今後の発展が期待されている。 |
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秀吉との2年近くにおよんだ戦いの様子を描いた「三木合戦絵図」が法界寺に残されており、毎年 |
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(写真は 三木合戦図(法界寺 蔵)) |
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三木城攻めで三木城主・別所長治が城を明け渡して三木城は落城したが、この戦いの後、羽柴秀吉が三木の町の復興に力を入れたことから大工や鍛冶職人が城下町に多く集まった。やがて三木のノコギリ、ノミ、カンナなどの大工道具の素晴らしさが、京都や大阪にまで知られるようになった。 |
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(写真は 三木金物古式鍛錬技術保存会) |
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第2次世界大戦後は物資不足とインフレによって国内需要が減り、三木の金物工業は窮乏期となったが、輸出に活路を見出し、インド、ハワイ、台湾、韓国などへ進出した。 |
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(写真は 永尾駒製作所) |
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中世以降は聖護院の末寺の修験道の寺として知られ、江戸時代に入ると天台系山伏を統率する寺のひとつとして修験道界に重きをなしていた。毎年10月10日には関西一円から200人余りの山伏が集まって採燈大護摩が執り行われ、全山にほら貝の音がこだまする。 |
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(写真は 毘沙門天立像) |
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清水寺は度々の火災で諸堂宇を焼失しており、現在の堂塔は大正時代以降に再建されたものである。古くは白河法皇の妃・祇園女御が多宝塔、池の禅尼が薬師堂、後白河法皇が常行堂、源頼朝が阿弥陀堂をそれぞれ建立、境内に甍を連ねていたが、明治時代から大正時代にかけての火災で焼失した。 |
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(写真は 十一面千手観世音菩薩) |
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