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月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
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桜井市・山の辺の道と万葉の歌 |
桜井市は飛鳥に都が置かれる前に古代の宮殿が置かれた所で、多くの宮殿跡がある。宮殿近くの野山は天皇や皇子、皇女、宮廷人の散策の場所となり、恋を語り合う歌が交わされるなど万葉歌の舞台ともなっていた。三輪山を御神体とする大神(おおみわ)神社や古代ロマンを駆り立てる山の辺の道などの史跡が多く、豊かな自然に恵まれている。 |
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桜井市の中心地から東へ外れた朝倉は「隠り口(こもりく)」の枕詞にふさわしい山あいの地で、雄略天皇の泊瀬朝倉宮があったとされる所だが、その場所は確定していない。日本書紀に「天皇、壇を泊瀬の朝倉に設けて即位し、宮を定む」とあり、その場所は桜井市岩坂上岩坂、黒崎天の森、脇本などの説がある。発掘調査などで宮の柱穴や敷石群などと推定されるものが出土しているが、朝倉宮跡として決定づけるものがない。 |
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(写真は 脇本遺跡発掘跡) |
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京都と奈良府県境の笠置山南部に源を発する初瀬川は、桜井市を西へ流れて佐保川と合流して大和川となり、奈良盆地から生駒山系南部の峡谷を通って河内平野を抜けて石川と合流、堺市北部で大阪湾にそそぐ全長68kmの河川。仏教伝来の地とされる桜井市のあたりは難波津から大和川を遡ってきた船の終着地となっていた。 |
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(写真は 初瀬川) |
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こうした大勢の人が集まるところでは、古代には恋人や結婚相手を求める男女が集まって踊り、恋の歌を詠み交わして求婚の機会をとした「歌垣(うたがき)」が春秋に催された。本来は豊作を祈り、豊作に感謝する農耕儀礼が主であったが、次第に変形して古代の結婚へのひとつのプロセスとなった。 |
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(写真は 金屋の石仏) |
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三ツ鳥居は明神型の三つの鳥居をひとつに組み合わせた独特の形をした鳥居で、別名「三輪鳥居」とも呼ばれている。この鳥居の起源や形式については定かでない。現在の三ツ鳥居は明治16年(1883)に再建されたものだが、飾り金具などは江戸時代初期のものが使われている。 |
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(写真は 神宝社) |
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三輪山の麓にある桧原神社からの眺めは素晴らしい。大和平野が一望でき、大和三山や遠くには金剛、葛城、二上、生駒の山並みを望むことができる。夕暮れ時、二上山方向に沈む夕日の眺めは、荘厳な感動を与えてくれ光景で、神が宿る三輪山からの眺めにふさわしい。天照大神を祀ったり「大和は 国のまほろば…」の歌が詠まれたのもうなずける地である。 |
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(写真は 桧原御休処) |
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