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月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
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大阪・淀川に沿って |
江戸時代まで天下の台所として日本経済を担っていた大坂で、重要な役割を果たしていたのが水運。水の都と言われるように大坂の町には川や運河が縦横に走り、船を使って物資が全国から大阪に集まり、そして全国へ出て行った。その幹線水路とも言えるのが淀川で、平安時代から京の都と難波の間を結び人や物を運んだ。今回はその淀川にスポットを当ててみた。 |
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明治時代の淀川改修工事によって生まれた「ワンド」と呼ばれる人工入江は、天然記念物の「イタセンパラ」などの魚類、水草やヨシなどの植物、野鳥などの楽園となっている。緑が広がる河川敷公園はスポーツを楽しんだり、水辺に憩いを求める人たちでにぎわっている。 |
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(写真は イタセンパラ |
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水位の異なる淀川本川と大川を船が往来するには、毛馬閘門に船を入れて進行する川の水位に合わせなければならず、水上交通が盛んなころには毛馬閘門は重要な役目を果たしていた。 |
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(写真は 毛馬閘門) |
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明治43年(1910)の京阪電鉄の開通によって淀川の水上交通は衰退したため、鍵屋は高級料理旅館に商売替えして平成10年(1998)まで営業していたが、廃業後、建物を枚方市に寄贈した。 |
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(写真は くらわんか舟(歌川広重 画)) |
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今も枚方名物として「くらわんか餅」や「くらわんか鮨」「ごんぼ汁」が、現代人の口に合うように味つけして売られている。枚方市立枚方宿鍵屋資料館でも予約しておけば「くらわんか餅」や「ごんぼ汁付くらわんか鮨」などが味わえる。 |
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(写真は ごんぼ汁(くらわんか汁・割烹 藤)) |
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江戸時代、高槻では酒造りが盛んで、富田では24軒の造り酒屋が銘酒を造っていた。冬には盛んに寒天作りが行われ、とりわけ高槻の城山の寒天は評判がよく、高槻を代表する産業となっていた。焼物の古曽部焼の産地でもあり、淀川のくらわんか茶碗にも古曽部焼のものがある。これらの産業を支えた酒造用具、寒天製造用具、古曽部焼窯跡の出土品などを展示、当時の様子を伝えている。 |
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(写真は 高槻城絵馬(野見神社 蔵)) |
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