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月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
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京都市・木屋町通 |
京都市中京区二条通から南に下京区七条通まで高瀬川に沿った2.8kmの通りが木屋町通。高瀬川のせせらぎと東側の鴨川が、木屋町通に京都ならでは風情を添えている。通りには江戸時代から続く商店や料亭などの老舗や幕末の志士にまつわる史跡も多いが、若者向けの街への様変わりも始まっている通りでもある。 |
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日本銀行京都支店の南側に高瀬川の起源で高瀬舟の船着場だった高瀬川一之船入跡(国指定史跡)があり、復元された高瀬舟が荷物を積んで浮かんでいる。高瀬川には9カ所の船着場があったが、現在残っているのはこの一之船入跡だけとなった。 |
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(写真は 酢屋) |
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四条通から少し下がった高瀬川に架かる団栗橋南の「鳥彌三(とりやさ)」は、天明8年(1788)創業の水だきの老舗で、坂本龍馬もよく通い高瀬川に面した部屋を好んで使ったと言う。 |
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(写真は 鳥彌三) |
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境内の秀次一族の墓所には5人の子と側室34人、秀次に殉じて自刃した家臣10人、合わせて49基の五輪塔が立ち、中央に秀次の石の首びつが安置されている。この墓所には戦国の世の犠牲になった大勢の女性の霊を慰めるように、四季の花が絶えることがない。 |
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(写真は 地蔵堂) |
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高瀬川の開削以後、物流、運輸の町だった木屋町通だが、大正時代に高瀬川の舟運が完全に終わった時から新しい歓楽街として生まれ変わった。今は若者向けの店も増え、夜遅くまで歓声があがる若者の街へと変わりつつある。だがライトアップされた夜桜が美しい季節には、昔ながらの木屋町通の風情が醸し出され、花筏が浮かぶ高瀬川は京ならではの情緒ある光景と言える。 |
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(写真は cafe&dinner mix) |
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ドイツの物理学者・レントゲンによってX線が発見された1895年の翌年、島津製作所はX線写真の撮影に成功した。これが契機となって医療用X線装置の開発に取り組むようになり、昭和9年(1934)国産のX線管を完成し「総合X線装置メーカー・レントゲンの島津」の地位を確立していった。 |
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(写真は X線装置「ダイアナ号」) |
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