|
月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
|
舞鶴市 |
天然の良港を有する舞鶴市は、古くは丹後国の政治、経済の中心地として繁栄、明治時代中ごろから軍港都市、戦後は抑留者の引揚港となり、その役目を終えた後は、日本海沿岸有数の港湾工業都市としての地位を保っている。その繁栄の原動力は港であり、港あっての舞鶴と言えよう。 |
|
|
||||
|
||||
|
||||
東港の入口にある舞鶴親海公園は、潮の香り、海の色、波の音、海の幸、海水を肌で感じながら家族連れで楽しめる広場。漁村活性化センター内のレストランでは、新鮮な海の幸を食材にした料理が海原を眺めながら味わえ、120mの岸壁では釣りが楽しめる。 |
||||
(写真は エル・マールまいづる) |
||||
|
||||
|
|
||||
|
||||
|
||||
引揚船が入港した舞鶴港の引揚地を見下ろす小高い丘は昭和45年(1970)引揚記念公園となり、公園内に戦争を知らない世代に引き揚げの事実を知らせ、戦争の悲劇を語り継いで平和の貴さを訴えかける引揚記念館が昭和63年(1988)に開館した。 |
||||
(写真は 舞鶴引揚記念館) |
||||
|
||||
|
|
||||
|
||||
|
||||
赤れんが倉庫群のひとつ、旧海軍兵器廠魚形水雷庫だった建物を転用したのが「舞鶴市立赤れんが博物館」。この建物は本格的な鉄骨構造のれんが建造物で、わが国に現存する最古級鉄骨構造のれんが建造物として保存運動が起こり、博物館として残すことになって平成5年(1993)にオープンした。 |
||||
(写真は 赤れんが博物館) |
||||
|
||||
|
|
||||
|
||||
|
||||
藤孝は当時、古今和歌集の古今伝授を伝える唯一の人物であり、古今伝授が絶えることを心配した後陽成天皇が、城を包囲していた軍に勅使を送り和解を働きかけた。藤孝は初めこの和解を拒絶していたが、ようやく和解が成立し古今伝授は後世に伝わった。 |
||||
(写真は 心種園) |
||||
|
||||
|
|
||||
|
||||
|
||||
毎年5月8日の舞儀音楽大会式に奉納される「仏舞(ほとけまい)」は松尾寺の珍しい会式として有名。仏舞は奈良時代に中国・唐から伝わったもので、本堂の舞台で大日如来、釈迦如来、阿弥陀如来の光背のついた金色の仏面をそれぞれ2人ずつがつけ、越天楽の曲に合わせて典雅な舞を舞う。古くは松尾寺の寺僧が舞っていたが、寺坊がなくなってからは門前町の松尾寺仏舞保存会の人たちが舞っている。 |
||||
(写真は 茶処 流々亭) |
||||
|
||||
|
◆歴史街道とは
|
歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
|
◆歴史街道倶楽部のご紹介 歴史街道推進協議会
|