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月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
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桜井市、天理市・山の辺の道と万葉の歌 |
山の辺の道は、奈良盆地東側の山麓を桜井市三輪山の麓から奈良市まで、約26kmの道で日本最古の官道。自然に包まれた道筋には、古代の古社寺や古墳、万葉の歌碑、道祖神、石仏などが点在し、古代へのロマンをかきたて、四季を通じて訪れる人が絶えない。 |
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巻向遺跡群の中にある全長278mの前方後円墳の箸墓古墳は、三輪山の神・大物主命の妻・倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)の墓と伝えられている。日本書紀によると姫は記紀伝承上の第7代孝霊天皇の皇女で、巫女でもあったと言われている。夜だけ妻の所を訪れる妻問婚で、姫が「姿を見せて欲しい」と頼んだところ「翌朝、姫の櫛箱の中にいる」と言った。姫が櫛箱を開けたところ1匹の蛇がいたと伝えられている。 |
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(写真は 柿本人麻呂歌碑) |
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この穴師の里の巻向山麓に鎮座する大兵主(おおひょうず)神社は、元は弓月が岳山頂に祀られていた上社・穴師坐(あなしにます)兵主神社を現大兵主神社の下社・穴師大兵主神社に合祀したもので、国土繁栄、平和安全の神とされている。三柱の神を祀る社殿は大きな建物の屋根の下に三つの社殿が並ぶ珍しい形を取っている。 |
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(写真は 相撲神社) |
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大国魂大神は崇神天皇の時代まで天照大神と共に宮中に祀られていたが、神威を畏れた天皇が天照大神を三輪山山麓の桧原神社に移して祀り、その後、伊勢神宮に移された。大国魂大神もこの時、この地に移されたことから伊勢神宮に次ぐ神威とされていた。 |
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(写真は 大和神社) |
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石上神宮には古代から多くの武器類が保存されており、大和朝廷の武器庫の役割を持っており、朝廷の軍事担当だった物部氏がこうした武器類を管理していた。 |
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(写真は 神杉) |
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二人が談合した多武峯を「談(かたら)い山」とか「談所(だんじょ)が森」などと呼び、談山神社の名称の由来となった。 |
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(写真は 多武峯) |
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