月〜金曜日 18時54分〜19時00分


伊丹市、宝塚市 

 六甲山系東端の山麓に広がる伊丹市と宝塚市は、今は大阪のベッドタウンとなっているが、古くは良質の水と米に恵まれ酒造りが盛んだったり、宿場町として繁栄し、街道筋には江戸時代の町家が昔の面影をとどめている。こうした新旧織り交ぜた町のたたずまいを探訪してみた。


 
荒牧バラ公園(伊丹市)  放送 6月26日(月)
 伊丹市の最北部、宝塚市との境に近い荒牧バラ公園では、5月中旬から6月下旬にかけて世界のバラ約250種、1万本が咲き競い、大勢の見物客でにぎわう。
 1.7haの広い公園は、西側の天神川の河川堤防を利用した8mの高低差を生かして、立体的に構成された南欧風の雰囲気が、色とりどりのバラの美しさと華やかさをひきたてている。公園メインゲートから平和モニュメントへのアプローチには、スペイン風の円柱とリズミカルな水の流れが来園者を迎え、その両側には1万本のバラが見渡せる。

ローズギャラリー

(写真は ローズギャラリー)

ヒロシマ アピール

 バラ園のシンボルでもある赤い3本の柱の「平和モニュメント」は、彫刻家・故井上武吉氏の作品で、自由、平等、人類愛を表している。この3本柱を中心に広場が広がり、広場の小さなピラミッドは死者への弔い、半球体は生命の誕生を表している。この「平和モニュメント」のそばには、平和への願いをこめたバラの「ヒロシマアピール」などが咲く。
 ふるさとのバラコーナーでは、伊丹で作り出されたバラの「天津乙女」「マダムヴィオレ」「キャリオカ」をはじめ、日本で作り出された「聖火」「たそがれ」「金閣」など、約20種が集められている。

(写真は ヒロシマ アピール)

 伊丹市との国際姉妹都市・ベルギーのハッセルト市との友好を表すハッセルト・バラコーナーには、ベルギーの首都・ブリュッセルの「小便小僧」のレプリカが置かれ、ベルギー人が品種改良を重ねて作り出したバラが咲き誇っている。
 このほか枝がつる状に伸びて小さな花をつけたバラ、花の直径が2〜6cmの姫バラなど、大小、色とりどりの世界のバラが咲き誇り、香りを漂わせている。春バラの見ごろは6月で終わるが、10月上旬から11月下旬にかけては秋バラが見ごろとなる。

天津乙女

(写真は 天津乙女)


 
昆陽寺と昆陽池(伊丹市)  放送 6月27日(火)
 昆陽寺は寺伝によると天平5年(733)行基が聖武天皇の勅願所として建立したもので、行基が畿内に創建した49院のひとつである。初めは布施屋として病気や貧困、孤独に苦しむ人たちを救済し、次第に寺院の形態を整えて行った。行基は、寺で神事、仏事を行い国家安泰、五穀豊穰などを祈願していた。
 行基は朝廷の許しを得て荒地だったこの地を開墾、昆陽池をはじめ大小12カ所の池を築造して水田150haを開いた。その中心に堂宇を建立して昆陽寺とした。

行基菩薩

(写真は 行基菩薩)

本尊 薬師如来

 本堂には行基自刻の薬師如来像が安置され、行基堂には自作の行基菩薩像、脇侍に文殊、普賢両菩薩像のほか、四天王像が安置されている。朱塗りの2層の山門は江戸時代初期の明暦年間(1655〜58)の建立で、2層の周囲に縁をめぐらしている。
 昆陽寺は行基の徳を慕う人たちの参詣者でにぎわい、行基没後も隆盛していたが、天正7年(1579)織田信長の伊丹城攻めの兵火で、堂塔伽藍(がらん)はことごとく焼失した。その後、行基の徳を慕う信徒らによって山門、諸堂が再建されて現代にいたり、阪神淡路大震災で大きな被害を受けたが、3年ほどで完全復興した。

(写真は 本尊 薬師如来)

 昆陽寺の北東1.5kmのところにある昆陽池は、行基が畿内で数多く掘った潅漑用水池の中でも最大のものである。都市部では珍しい野鳥のオアシスとなっており、関西地方屈指の渡り鳥の飛来地として冬にはカモや白鳥など多くの水鳥が飛来し、野鳥愛好者たちを楽しませている。
 昭和36年(1961)に池の東北部分が埋め立てられ、3分の2ほどの広さになってしまったが、昭和47年(1972)から池全体が野鳥公園として整備され、野鳥の楽園となった。公園内には伊丹市昆虫館もあり、チョウの温室では1年中、チョウの舞う姿が見られる。

昆陽池

(写真は 昆陽池)


 
小浜宿(宝塚市)  放送 6月28日(水)
 宝塚市の小浜宿は戦国時代の明応年間(1492〜1501)に建立された浄土真宗の毫攝寺(ごうしょうじ)の寺内町として発展した町。こうした寺内町は戦国大名や他の仏教宗派に対抗するため、真宗寺院を核として近畿一円や北陸地方で形成された。近畿では富田林市、高槻市、大阪市平野区、八尾市、橿原市などの寺内町がよく知られており、今もその名残をとどめている。
 小浜町の寺内町は北、西、南の三方を大堀川が迂回し、東側が池と土塁で囲まれた自然の要害となっている地で、当時、真宗の門徒が戦国大名と対立した一向一揆の一向勢力の拠点となっていた。

毫攝寺

(写真は 毫攝寺)

首地蔵

 毫攝寺は丹波国・六人部(福知山市)にあった寺を応仁の乱後に小浜に移したとされている。豊臣秀吉や秀次が有馬温泉へ行く途中、毫攝寺に宿泊しており、秀次が住職の次女・亀姫を側室として迎えたが、秀次が謀反の罪で自害させられ、子供や亀姫ら妻妾たちも京都・三条河原で処刑された。この時に毫攝寺も焼き打ちされ、寺領も没収の憂き目に遭っている。
 寺内町の小浜は有馬温泉に通じる有馬街道、西宮の港に通じる西宮街道、京都に通じる京伏見街道が交差する交通の要衝地で、徳川幕府もこの地を重視して天領としており、宿場町として大いに栄えた。

(写真は 首地蔵)

 毫攝寺の北の通りには格子戸に虫籠窓(むしこまど)の江戸時代をしのばせる町家が残り、西宮街道沿いの高台には、首から上の病気なら何でも治してくれると言われる首地蔵が柔和な表情で通行人を見下ろしている。
 江戸時代には銘酒の産地として知られ、腕の良い大工や左官職人が住む町として有名だった。こうした小浜町の歴史や民俗資料を保存、展示しているのが宝塚市立小浜宿資料館。この資料館は戦国時代の武将・山中鹿之介を祖とする山中家の協力で、家屋の一部を買い取りオープンした。また、江戸時代の庄屋だった旧和田家住宅が宝塚市に寄贈され、宝塚市立歴史民俗資料館に衣替えして同家に伝わる古文書など約4000点を展示している。

旧和田家住宅

(写真は 旧和田家住宅)


 
向月窯(宝塚市)  放送 6月29日(木)
 独創的でユニークな陶器の作品が生み出されている、横尾和晃さんのアトリエと向月窯(こうげつがま)が、小浜宿に近い宝塚市向月町の住宅街にある。横尾さんは京都市立芸術大学陶器科を卒業後、この地に窯を築き、作陶活動を続け、各地の建物の陶板や陶壁などを制作している。

花活け

(写真は 花活け)

「天狗さん ちょっと風おくれ あまったら返す」の鉢

 皿、鉢、茶碗、湯飲み、花瓶など横尾さんの作品は、その形はどれも特別変わったものではないが、面白いのは器の肌に描かれた絵柄で、横尾さん曰く「絵日記かな」。興味をひかれたものは何でも独特の暖かみのあるタッチで絵にしていく。
自由奔放で大胆、かつ繊細な絵柄には、横尾さんのおおらかな人柄がそのまま焼き付けられているようで、思わずニッコリさせられてしまう作品が多い。

(写真は 「天狗さん ちょっと風おくれ あまったら
                                                返す」の鉢)

 ベートーヴェンの第九を演奏オーケストラと合唱するフルメンバーが描かれた大皿なんて、陶磁器に造詣の深い人でもあまり想像しない。それを描いてしまうのが横尾さん。他に演奏するミュージシャン、カーテンコールの出演者のほかに、静物、花などその絵柄は幅広い。いつも斬新な絵柄に挑戦するため、日ごろのスケッチも怠らないのが日課でもある。

「ベートーベン交響曲第九番」の皿

(写真は 「ベートーベン交響曲第九番」の皿)


 
西国三十三カ所第24番札所・
中山寺(宝塚市) 
放送 6月30日(金)
 二層の山門をくぐり、塔頭寺院が両側に並ぶ参道を進むと、観音巡礼姿や妊婦の参詣者が目立つ本堂に至る。安産祈願の寺として名高い中山寺は、今から1400年の昔、聖徳太子が14代仲哀天皇の后・大仲姫一門の霊を供養するため、開かれたとされる日本最初の観音霊場で、四天王寺建立に先立つこと4年前と言う。
 本尊の秘仏・十一面観世音菩薩像(国・重文)は平安時代初期の作で、インドの王妃・勝鬘(しょうまん)夫人が女人救済とお産の苦痛を救う悲願を込めて、自らの等身像を彫刻した故事に由来すると伝わることから、安産の観音様として信仰を集めている。秘仏の本尊は毎月18日に開帳され、拝観することができる。

聖徳太子勝鬘経講讃坐像

(写真は 聖徳太子勝鬘経講讃坐像)

本尊 十一面観世音菩薩

 また平安時代後期、摂津国・多田城主の妻の不信心と邪心を戒めた「鐘の緒」の伝説から、邪心、悪心のある女性でも、中山寺の観音様に祈れば許されて安産になるとの伝えから「安産の帯」を求めて参詣する妊婦が多い。
皇室の崇信も篤く、古くは後醍醐天皇の后や明治天皇の生母をはじめ、最近は昭和天皇の美智子皇后、秋篠宮紀子妃らの安産祈願と腹帯献上が行われてきた。
 本尊の脇侍も本尊と同じ十一面観音像で、三体合わせて三十三面となり、西国三十三観音を象徴して観音三十三化身を表す。即ち中山寺に参詣すれば三十三カ所を参詣したと同じ功徳が得られると言う。

(写真は 本尊 十一面観世音菩薩)

 現在の本堂は豊臣秀吉が中山寺に祈願して淀君が懐妊し、世継ぎの秀頼を授かったことから、秀頼が慶長8年(1603)に焼失した本堂などを再建した。「望海楼」の別名を持つ山門は正保3年(1646)徳川幕府3代将軍・家光によって再建された。
 8月9日の星下り大会式は、西国三十三カ所の観音様が星となって中山寺に集まる日とされており、この日にお参りすると4万6000日参詣したと同じ功徳があると言われ、大勢の参詣者でにぎわう。
 御詠歌は「のをもすぎ さとをもゆきて なかやまの てらへまいるは のちのよのため」。

西国三十三所観音集会図

(写真は 西国三十三所観音集会図)


◇あ    し◇
荒牧バラ公園
(みどりのプラザ)
JR福知山線中山寺駅、阪急電鉄宝塚線山本駅下車徒歩20分。
JR福知山線伊丹駅、阪急電鉄伊丹線伊丹駅からバスで荒牧バラ公園または鶴田団地下車すぐ。
昆陽寺JR福知山線伊丹駅、阪急電鉄伊丹線伊丹駅からバスで昆陽里下車すぐ。
昆陽池公園JR福知山線伊丹駅、阪急電鉄伊丹線伊丹駅からバスで松ケ丘または昆陽池公園前下車すぐ。
宝塚市立小浜宿資料館、
毫攝寺
JR福知山線、阪急電鉄宝塚線、阪急電鉄今津線宝塚駅から
バスで小浜下車すぐ。
阪急電鉄宝塚線売布神社駅下車徒歩15分。
宝塚市立歴史民俗資料館
(旧和田家住宅)
JR福知山線、阪急電鉄宝塚線、阪急電鉄今津線宝塚駅から
バスで小浜下車5分。
阪急電鉄宝塚線売布神社駅下車徒歩10分。
中山寺阪急電鉄宝塚線中山駅下車徒歩5分。 
JR福知山線中山寺駅下車徒歩15分。
◇問い合わせ先◇
伊丹市役所みどり課072−784−8134 
伊丹市公園緑化協会072−784−8096 
荒牧バラ公園
(みどりのプラザ)
072−772−7696
昆陽寺072−781−6015 
昆陽池公園管理事務所072−779−0525 
伊丹市立昆虫館072−785−3582 
宝塚市役所観光商工課、
宝塚市国際観光協会
0797−77−2012
宝塚市立小浜宿資料館0797−81−3655 
毫攝寺0797−86−2424 
宝塚市立歴史民俗資料館(旧和田家住宅)0797−86−2752
中山寺0797−87−0024 

◆歴史街道とは

    関西は「歴史・文化の宝庫」として世界に誇れる地域です。歴史街道では、日本の歴史文化の魅力を楽しく体験し、実感できる旅のルートとエリアを設定しました。伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸といった主要歴史都市を時代の流れに沿ってたどる「メインルート」と各地域の特徴をテーマとして活かした3つの「ネットワーク」です。

 

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」

    の3つの目標を掲げ、その実現を目指しています。

 

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