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月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
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和泉市 |
和泉市やその周辺は古くから人が住み着いていた。約1万年前の旧石器時代の遺物が出土したり、日本でも有数の弥生時代の遺跡・池上曽根遺跡、豪族の割拠を示す大小の古墳、古社寺、熊野詣の王子跡など、史跡や文化財の多い所である。 |
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空海が剃髪した場所は現在、愛染堂が建ち、この堂内には愛染明王像のほかに勧操大徳像、弘法大師像が安置され、御髪堂には剃髪した空海の髪が納められている。施福寺の近くには空海が捨身の修行したと伝えられる捨身嶽があり、境内には姿見の井戸、知恵水、音無川、灯明松など、空海に関わる遺跡がある。 |
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(写真は 弘法大師御髪堂) |
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空海が真言宗を開いた時に真言宗に転じ寺運も大いに栄え、寺坊800余り、約3000人の僧を抱えていた大寺だったが、江戸時代初期に真言宗から天台宗に改宗した。 |
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(写真は 三十三観音堂) |
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稲作が始まったことにより富が集積され、富を守り集団を率いる首長が生まれた。これらの富と権力を奪い合う戦いが起こり、集団を守るための環濠集落が形成され、金属武器の製作が始まった。戦いで戦死して埋葬された弥生人の人骨には、武器が突き刺さったままのものが出土している。 |
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(写真は 平成の銅鐸) |
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和泉国総社は楠木正成、新田義貞、足利将軍、豊臣秀頼ら武人らの崇敬も篤く、社運は栄えた。現在の総社の社殿(国・重文)は、秀頼が慶長10年(1605)に再建したと伝えられている。総社は明治時代に入って泉井上神社に合併したが、その後、再び分離され、現在は泉井上神社の境内社となっている。 |
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(写真は 総社本殿) |
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ほかに弥生時代の一戸建住宅の円形と方形の竪穴住居が復元されている。こうした竪穴住居は近畿地方では古墳時代後期の1500年前まで、東北地方では鎌倉時代まで使われていた。 |
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(写真は 池上曽根弥生学習館) |
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