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月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
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和歌山・那智勝浦町 |
那智勝浦町は東征に向かう神武天皇が上陸した地とも伝えられ、平安時代以降は熊野詣の宿場町として栄えた。近代は紀南を代表する温泉町、生鮮マグロの水揚げ日本一を誇る遠洋マグロ漁業の町として知られている。こうした那智勝浦町を熊野信仰を中心に探訪したみた。 |
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熊野の神の使いは三本足の八咫烏(やたがらす)。東征する神武天皇を熊野から大和へ案内した八咫烏は、那智に戻って石になったと伝えられ、那智大社本殿敷地の一角に黒い烏石がある。最近はサッカーの守り神として八咫烏のお守りを買い求める選手やファンが多い。 |
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(写真は 那智の滝) |
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織田信長の軍勢の兵火で焼失した本堂を、天正15年(1587)豊臣秀吉が弟の秀長に命じて再建させたのが現在の本堂(国・重文)である。その後、明治維新の排仏毀釈(はいぶつきしゃく)令で青岸渡寺は荒廃したが、明治7年(1874)以降、徐々に復興し現在の盛観を取り戻した。 |
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(写真は 本尊 如意輪観世音菩薩(お前立ち)) |
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熊野年代記には平安時代初期の貞観10年(868)の慶龍上人に始まり、平安時代に3回、室町時代に10回、江戸時代に6回の補陀洛渡海があったと記されており、境内にはこれらの渡海上人たちの墓所がある。室町時代に描かれた「那智参詣曼荼羅」には四方に鳥居をめぐらせ、白帆をあげた小舟が描かれており、寺にはこうした補陀洛渡海に使われた舟を復元して展示している。 |
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(写真は 渡海船) |
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勝浦温泉は古くは熊野詣の湯垢離(ゆごり)場として栄えた所。泉質や温度が微妙に異なる170以上の泉源から豊富な温泉がが湧き出ており、白浜と並ぶ南紀の代表的な温泉地である。海に臨む露天風呂も多いが、かつうら御苑の「滝見の湯」は、その名の通り青い海のみならず、那智山、那智の滝まで望める贅沢な湯である。 |
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(写真は かつうら御苑) |
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