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月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
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特選“西国観音霊場巡り” |
平安時代に花山法皇が始めたとされる西国三十三ヶ所観音霊場めぐりは、近畿各地の観音信仰の寺々をたどる巡礼の道。千年の時を経て現代もなおこの道をたどる人々の姿は絶えることがない。今回は花山法皇が修行した那智山の第一番青岸渡寺に始まって、紀州、和泉、河内、大和の観音霊場をたどる。 |
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織田信長の軍勢の兵火で焼失した本堂を、天正15年(1587)豊臣秀吉が弟の秀長に命じて再建させたのが現在の本堂(国・重文)である。その後、明治維新の排仏毀釈(はいぶつきしゃく)令で青岸渡寺は荒廃したが、明治7年(1874)以降、徐々に復興し現在の盛観を取り戻した。 |
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(写真は 本尊 如意輪観世音菩薩(お前立ち)) |
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総ケヤキ造りの本堂は西国三十三カ所霊場の中で最も大きな建物である。寺域への入口の壮大な大門(国・重文)や「風猛山」の扁額がかかる中門(国・重文)など、大小20余の堂塔が甍(いらか)を連ねる様子は平安時代の隆盛時をほうふつさせる。 |
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(写真は 粉河寺庭園) |
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空海が真言宗を開いた時に真言宗に転じ寺運も大いに栄え、寺坊800余り、約3000人の僧を抱えていた大寺だったが、江戸時代初期に真言宗から天台宗に改宗した。 |
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(写真は 三十三観音堂) |
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本尊は秘仏で毎月18日の御開帳の日に、厨子の扉が開けられその姿を拝観することができる。千の眼で人びとを導き、千の手で迷える衆生を救うとされる葛井寺の十一面千手千眼観音像は、平安時代から西国三十三カ所第5番札所として信仰を集め、今も観音巡礼の参詣者が毎日絶えない。 |
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(写真は 紫雲石の燈籠) |
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壺阪寺は創建後、平安時代には大伽藍を擁し全盛を極めていたが、火災で堂塔を焼失し、現在は室町時代から江戸時代にかけて再建された本堂の八角堂、礼堂、三重塔(いずれも国・重文)や阿弥陀堂、因幡堂などがある。 |
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(写真は 多宝塔) |
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