月〜金曜日 18時54分〜19時00分


特選“大自然の芸術”

 近畿は文化遺産に焦点をあわせて紹介されることが多いが、山あり海あり大自然が生み出したすばらしい景観も楽しむことができる。それらのいずれもが単に自然美を誇っているだけでなく、長い歴史につちかわれたエピソードでいろどられている。今週は歴史街道沿線の景勝地を訪ね、地元に人々に語り伝えられてきた伝説をひもといてみた。


 
東尋坊 放送 9月11日(月)
 断崖絶壁が続く東尋坊は国の天然記念物に指定され、福井県を代表する名勝として、毎日大勢の観光客が訪れる。海中深くからそそり立つ断崖絶壁が屏風のように、1kmにわたって続く海食景観で、輝石安山岩の柱状節理は地質学的に珍しいもの。日本では唯一東尋坊だけに見られ、世界では3例しかないと言う。柱状節理はマグマが冷えて固まる時に柱状に割れ目ができるもので、火山国の日本には各地で見られるが、輝石安山岩のものはない。
 遊覧船で巡るとローソク岩、ライオン岩、千畳敷などと名付けられた奇岩、奇礁が連なる自然の造形美が、次々と眼前に現れる。

東尋坊

(写真は 東尋坊)

東尋坊観光遊覧船

 池と呼ばれる大小の入り江が8カ所あり、最も大きな奥行40mの大池へ奥深く船で乗り入れると、そそり立つ50mもの断崖を真下から見上げる形になり、その迫力に圧倒されてしまう。このように東尋坊遊覧船で海上から眺めると、陸上からの眺めとは異なった迫力で東尋坊が迫ってくる。また逆にビルの8〜9階に相当する断崖の上に立って、波が打ち寄せる海面を見下ろすと、さすがに足がすくむ。
 三国港から東尋坊に至る荒磯遊歩道には、三国ゆかりの高見順、三好達治、高浜虚子らの文学碑が立ち並んでおり、これらの文学碑と荒磯の岩と海の風景を眺めながら歩くのも趣がある。

(写真は 東尋坊観光遊覧船)

 東尋坊の名は、1300年前の悪名高い僧兵の名に由来するとの伝説がある。勝山市にあった平泉寺は多くの僧兵を抱えていたが、近郷の民、百姓を苦しめる悪僧兵たちがおり、その悪僧兵の旗頭とも言えるのが東尋坊だった。
 手を焼いていた寺は何とか追い出そうと寺侍の真柄覚念に頼んだ。覚念は東尋坊を三国見物に誘い、酒盛りをして東尋坊を前後不覚に酔いつぶし、断崖から海に突き落とした。突き落とされた命日になると海が荒れたので、僧侶が絶壁の上で東尋坊の供養をしたところ海が荒れるのが収まり、この海岸を東尋坊と呼ぶようになった。

夕景

(写真は 夕景)


 
日本三景・天橋立 放送 9月12日(火)
 松島、宮島と並ぶ日本三景のひとつ天橋立は、宮津湾を外海と内海の阿蘇海に区切って伸びる全長3.6km、約8000本のクロマツの緑におおわれた細長い砂洲である。砂洲は幅の広い所で170m、狭い所はわずか20mしかない。
 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が天界に架けた梯子が、寝ている間に倒れたのが天橋立と言う壮大な伝説がある。実際は丹後半島を回って南へ流れる対馬海流と宮津湾に流れ込む野田川の流れが運んできた砂礫が、数千年もの間に堆積してできた砂洲である。

天橋立

(写真は 天橋立)

股のぞき

 天橋立の眺めは南側の文殊山の天橋立ビューランドからは、飛龍観と呼ばれ龍が天に昇るような男性的な眺め。北側の成相山の傘松公園からは、斜めにすらりと伸びる女性的な眺め。いずれも天地逆転の「股のぞき」の絶景が楽しめる。西側の大内峠からは真っすぐ横一文字の天橋立一字観、東の栗田峠からは橋立観、獅子崎の天橋立展望台からは雪舟観と、四方それぞれ趣の異なった天橋立の景観が楽しめる。
 奈良時代の丹後国風土記に「天椅立(あまのはしだて)」と記されて初めて文書に登場する。平安時代には歌枕として使われ、和泉式部らが天橋立の磯清水を詠んだ歌が有名だ。

(写真は 股のぞき)

 この見事な景観の天橋立が画題にならないはずがない。室町時代の画僧・雪舟が描いた「天橋立図」(国宝)は、天橋立の東側の栗田半島方面から描いたもので、絵の中に智恩寺などの名刹が描かれている。江戸時代に入ると歌川広重が南から見上げるように描き、丸山応挙派の画家・島田雅喬が北側の成相山方向から見下ろす景色を写実的に描いている。
 天橋立には名所が多い。岩見重太郎仇討ちの場、周りが海の砂洲なのにこんこんと清水が湧き出て、日本名水百選のひとつの磯清水などがある。阿蘇海に臨むホテルや旅館の露天風呂の湯につかり、ゆったりと眺める天橋立は大尽気分で格別。

磯清水

(写真は 磯清水)


 
立里の荒神さん(野迫川村) 放送 9月13日(水)
 野迫川村のほぼ中央に標高1260mの荒神岳がそびえ立っている。そのピラミッド型の山頂に鎮座するのが立里(たてり)の荒神さんと呼び親しまれている荒神社(こうじんしゃ)。弘法大師・空海が高野山を開く前に建立したと伝えられており、日本三大荒神のひとつとも言われ、各地から参詣者が訪れている。
 祭神の火産霊神(ほむすびのみこと)は三宝荒神とも言い、火伏せの神として崇敬され、関西では台所のかまどの神として昔から人びとに親しまれ崇められてきた。

参道

(写真は 参道)

社殿

 荒神社縁起によると弘法大師は高野山開基に際し、伽藍(がらん)繁栄、密教守護、悪魔降伏などのために神社を建立しようとしたところ、黒雲の中から異形の夜叉神が現れた。大師が「何者ぞ」と問うと「荒神岳に住む神なり」と答え「我をまつれば大願成就する」と言った。大師が木の板に三宝荒神の像を描いてまつり、祈願したのが立里荒神社の始まりで、大師念願の高野山の伽藍も無事建立されたとある。
 弘法大師は高野山開基の後も毎月、立里荒神社に参詣しており、大師亡き後も高野山の高僧たちが参詣していたと伝えられている。

(写真は 社殿)

 立里荒神社の本殿は21年ごとに建て替えられてきたが、現在の本殿は昭和7年(1932)に建立されたもので、21年ごとの建て替えのサイクルは現在は崩れてきている。
 荒神岳の山頂に位置するだけに荒神社境内からの眺望が素晴らしく、殊に雲海から昇る朝日の光景は絶景で感動的である。眼下に広がる雲海の中に山々の峰が海に浮かぶ島のようで、このような見事な雲海が眺められる場所はそれほど多くない。見事な雲海が出現するのは、夏から秋にかけて雨の日の翌日が晴れた早朝、日の出から数時間が最高とのこと。但し自然現象のことで雲海が現れない日もあり、自らの幸運を祈るしかない。

雲海

(写真は 雲海)


 
夜叉ヶ池 放送 9月14日(木)
 夜叉ヶ池は今庄町最南端の福井、滋賀、岐阜の県境にある三国岳(1209m)と三周ヶ岳(1292m)の中間の標高1099mの尾根筋にある。
 麓の登山口から夜叉ヶ池までは約2時間のハイキングコース。急峻な山道だが、その途中には清流がほとばしるように流れ落ちる夜叉滝や四季の花々が目を楽しませ元気づけてくれる。こうした道すがらの自然を楽しみながら登れば、いつしか夜叉ヶ池にたどり着く。夜叉ヶ池からさらに三国岳、三周ヶ岳への登山を試みるなり、周辺の高山植物などを楽しむこともできる。

夜叉滝

(写真は 夜叉滝)

ハイキングコース

 急な登山道を登り、やっとの思いでたどり着いた夜叉ヶ池。周囲がブナの原生林で覆われ、碧潭(へきたん)の水をたたえた池を眼前にすると、その美しさはもとより、夜叉ヶ池に漂う深山の池の神秘性に人びとは息を呑んでしまう。
 標高1099mの高い位置にある夜叉ヶ池は、風化や浸食作用によってできた谷が多量の土砂でせき止められ、固いチャート層の岩盤上に水が蓄えられてできたと見られている。広さは3600平方m、周囲23m、最も深いところは7〜8mある。今庄町を北へ流れる日野川は、この夜叉池に源を発しており、昔から雨乞いの池として近郷の人びとの信仰を集めていた。

(写真は ハイキングコース)

 夜叉ヶ池が信仰の対象となっていたので、池の周辺は自然や植物、動物、魚、鳥、昆虫、両棲類などの宝庫であり、これらの研究者にとっては垂涎(すいえん)の地とも言える。
 植物は北方系植物の西限と言えるタテヤマリンドウなどや高山性、亜高山性植物、積雪寒冷地性植物など、いろいろな植物が豊富に自生している。樹木もブナやナラなどが多く、アケビやクリ、ワラビ、ゼンマイ、タラの芽など、山菜、木の実などもたくさんある。野鳥も四季を通じて多くの種類が生息し、さえずりの声を聴くことができる。池には魚類はいないが、ゲンゴロウやモリアオガエル、ヤマアカガエル、イモリが生息している。数え上げればきりがないほど動植物の種類が豊富なのは、夜叉ヶ池周辺の自然環境が汚染されていないことを証明している。

イモリ

(写真は イモリ)


 
奥香落渓(曽爾村) 放送 9月15日(金)
 三重県に接する曽爾村の北半分は、室生赤目青山国定公園に含まれ、村内の長野から名張市境の落合までを奥香落渓(おくこおちだに)と言う。曾爾川の両岸に柱状節理の大岩壁がそそり立ち、巨岩、奇岩が点在する見事な渓谷美を現出し、その眺めはすばらしい。この渓谷美はさらに三重県の香落渓へと続いている。秋にはこの渓谷美を紅葉が彩り、一層美しい景色を作り出し、ブドウ狩りなどを楽しみながらのハイカーたちの人気のコースとなっている。
 この渓谷は大昔に室生火山帯のマグマが固まるときに、柱状に割れ目ができる柱状節理と呼ばれる岩が隆起し、地上に現れたものである。九州の景勝地・耶馬渓にあやかって関西の耶馬渓とも言われている。

鎧岳

(写真は 鎧岳)

曽爾高原

 奥香落渓の圧巻は高さ約200mの垂直の岩の大絶壁が約700mにわたって続く小太郎岩。昔、小太郎と言う長者の息子を、財産を狙っていた継母がこの岩壁の上から突き落とそうとして、自らが転落したと言う悲しい伝説がこの岩の名の由来。
 武者の鎧(よろい)を装ったような、いかめしい姿でそびえ立つ高さ894mの岩峰が鎧岳(国・天然記念物)で、見る方向によっては横たわる獅子にも見える。鎧岳のすぐ西に兜(かぶと)のような山容の高さ920mの兜岳(国・天然記念物)がある。さらにその南西に高さ約200mの柱状節理の岩壁が約1500mにわたって続き、まるで岩の屏風を立てたような景観を見せる屏風岩(国・天然記念物)が迫ってくる。

(写真は 曽爾高原)

 荒々しい岩壁や巨岩、奇岩に木々の緑、曾爾川の澄み切った清流と青い空がマッチした奥香落渓の渓谷美に満喫したら、今度は対照的な柔らかい曲線を描いて広がる秋のススキの高原で有名な曾爾高原へ。
 曾爾高原は四季それぞれに表情を変える。春から夏にかけては緑のじゅうたんを敷き詰めたように緑のススキが一面に広がる。秋には背丈を越えるような銀色のススキが幻想的な世界を作り出す。風になびくススキは海原の波のようで、この季節が曾爾高原のハイライト。初冬、地区の人たちが茅葺き屋根用にススキを刈り取り、早春に山焼きが行われ高原は真っ黒になる。 扇風機もクーラーも必要ない渓谷沿いのひなびた宿でひと風呂浴び、奥香落渓、曾爾高原のハイキングの汗を流す。その後、宿自慢のぼたん鍋に舌鼓を打てば足の疲れも厳しい残暑も吹き飛んでしまう。

ぼたん鍋(木治屋)

(写真は ぼたん鍋(木治屋))


◇問い合わせ先◇
三国町観光協会0776−82−5515
東尋坊観光遊覧船0776−81−3808
天橋立観光協会0772−22−0670
天橋立ホテル(天橋立温泉)0772−22−4111
荒神社(立里の荒神さん)0747−37−2001
今庄観光協会0778−45−0074
曽爾村むらづくり推進課0745−94−2101
木治屋(やど・ぼたん鍋)0745−94−2551

◆歴史街道とは

    関西は「歴史・文化の宝庫」として世界に誇れる地域です。歴史街道では、日本の歴史文化の魅力を楽しく体験し、実感できる旅のルートとエリアを設定しました。伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸といった主要歴史都市を時代の流れに沿ってたどる「メインルート」と各地域の特徴をテーマとして活かした3つの「ネットワーク」です。

 

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」

    の3つの目標を掲げ、その実現を目指しています。

 

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歴史街道推進協議会