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月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
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大阪市・天満界隈 |
夏の天神祭で知られ大阪の下町を代表する天満界隈。学問の神様の大阪天満宮を中心に広がる日本一長い商店街・天神橋筋商店街。この商店街の一角に落語の定席「天満天神繁昌亭」がオープンし、キタやミナミとは異なるムードの街が出現しそうな天満界隈を探索してみた。 |
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道真が太宰府に向かう途中参拝したと言う大将軍社は、大化の改新後に孝徳天皇が都を難波長柄豊碕宮に遷都し、都の守護神として建立した社である。当時はこの一帯はうっそうとした森が広がっており、現在の南森町の地名は、この大将軍社の森にちなんだものである。天満宮の名称は道真を祀ってからで、大将軍社は現在、天満宮の摂社となっている。 |
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(写真は 登龍門) |
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客席の天井は建設費の寄付者名が寄席文字で書き込まれた1581個の提灯で埋めつくされている。高座の正面には人間国宝・桂米朝の筆になる「楽」の額が掲げられている。話芸の殿堂にふさわしく噺家の声が生の声と差がない高性能スピカーなど最新の設備も取り入れられた。 |
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(写真は 舞台と客席) |
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戦後の昭和24年(1949)同じ場所での再建計画が持ち上がったが、大阪市がこの地を緑地帯とすることになり、JR天満駅北の池田町の元東洋紡績天満工場跡地に天満卸売市場として再建された。裸電球の下での店員の威勢のよいかけ声、天井からぶら下げられたかごの中へ売り上げ金が放り込まれる庶民的な市場だった。 |
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(写真は 天満の子守歌碑) |
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この商店街も時代と共に様変わりもしてきたが、何軒もの老舗が今も残っている。天神橋3丁目に鎧兜を飾った水田國重刃物店は、元は刀鍛冶で大塩の乱の大塩平八郎の刀を打ったと言う。近くの大塩家の菩提寺・成正寺に平八郎の墓碑がある。 |
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(写真は お好み焼 甚六) |
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8階では明治、大正、昭和時代のモダン大阪の特徴的な住まい、暮らしを「住まいの大阪六景」として精巧な模型と人形で見せてくれる。洋館が建ち並ぶ明治時代の川口居留地、昭和時代初期の北船場の町並、高度経済成長期の鉄筋コンクリートの建物が並ぶ古市中団地などだ。 |
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(写真は 昭和33年製のテレビ) |
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