月〜金曜日 18時54分〜19時00分


大阪市・天満界隈

 夏の天神祭で知られ大阪の下町を代表する天満界隈。学問の神様の大阪天満宮を中心に広がる日本一長い商店街・天神橋筋商店街。この商店街の一角に落語の定席「天満天神繁昌亭」がオープンし、キタやミナミとは異なるムードの街が出現しそうな天満界隈を探索してみた。


 
大阪天満宮 放送 10月9日(月)
 大阪天満宮は京都の祇園祭、東京の山王祭と共に日本三大祭のひとつとして知られる天神祭で全国的に名高い。天満宮の主祭神が菅原道真なので、普段は学問、芸能の上達、成功を祈願して参拝する人が多く「天満の天神さん」として地元の人たちに親しまれている。
 最近復刻された「天満宮御絵伝」には、平安時代中期、道真が突如として5、6歳の幼児として出現した日から太宰府で無念の死を遂げるまでの生涯、さらに京都の北野天満宮、その後の大阪天満宮の創祀に至る経緯が表されている。

天満宮御絵伝

(写真は 天満宮御絵伝)

大将軍社

 神童とも言われた道真は学識、人格ともに優れた平安時代前期の公卿、文人で宇多、醍醐両天皇に重用され、54歳で右大臣にまで昇った。讒言によって太宰府に流される途中、この地の大将軍社に参拝したゆかりで、道真没後の天暦3年(949)村上天皇の勅願で大阪天満宮が創祀され、天神信仰が盛んになった。
 大阪天満宮創建後、南北朝時代の貞和3年・正平2年(1342)の楠木正行と山名時氏の戦い、元亀元年(1570)の石山合戦、慶長20年(1615)の大坂夏の陣、天保8年(1837)の大塩平八郎の乱などで社殿は焼失、現在の社殿は天保14年(1843)に再建されたものである。

(写真は 大将軍社)

 道真が太宰府に向かう途中参拝したと言う大将軍社は、大化の改新後に孝徳天皇が都を難波長柄豊碕宮に遷都し、都の守護神として建立した社である。当時はこの一帯はうっそうとした森が広がっており、現在の南森町の地名は、この大将軍社の森にちなんだものである。天満宮の名称は道真を祀ってからで、大将軍社は現在、天満宮の摂社となっている。
 学問の神様である天満宮には、受験シーズンになると合格祈願の絵馬が所狭しと奉納され、本殿東には学問、芸能の上達を祈願する登り龍の彫り物が施された登龍門がある。

登龍門

(写真は 登龍門)


 
天満天神繁昌亭 放送 10月10日(火)
 最近の大阪の大きな明るい話題は、何と言っても大阪天満宮の北の鳥居脇に、2006年9月15日にオープンした落語の定席「天満天神繁昌亭(客席256)」である。約80年ぶりに復活した落語専門の定席は、上方落語界の長年の悲願だった。
 大阪天満宮界隈には戦前まで、寄席や芝居小屋が8軒建ち並び「天満八軒」と呼ばれ、大層にぎやかな所だった。東京には落語の定席が4軒あり、毎日落語が聞けるが、戦後の大阪にはずっと落語の定席がなく、噺家たちはあちこちの演芸場の舞台で落語を続け、上方落語の灯を守り続けてきた。

天満天神繁昌亭

(写真は 天満天神繁昌亭)

「浪速天神祭」生田花朝 画

 まず上方落語協会と天神橋筋商店街で落語の小屋を再興しようとの話が持ち上がった。建設用地は天満宮が無償で提供し、建設費は桂三枝・上方落語協会長や商店街関係者らが市民や企業から浄財を募り、1億800万円が集まった。
 繁昌亭の建物は天神祭の祭船をイメージした外観、緞帳(どんちょう)は大阪の日本画家・故生田花朝氏が描いた天神祭の渡御船の絵を3人の職人が2ヶ月かけて織り込んだもので、いずれも天満天神の伝統と土地柄を生かしたデザインとなっている。

(写真は 「浪速天神祭」生田花朝 画)

 客席の天井は建設費の寄付者名が寄席文字で書き込まれた1581個の提灯で埋めつくされている。高座の正面には人間国宝・桂米朝の筆になる「楽」の額が掲げられている。話芸の殿堂にふさわしく噺家の声が生の声と差がない高性能スピカーなど最新の設備も取り入れられた。
 繁昌亭のオープンに伴い繁昌亭入場券付宿泊プランを売り出すホテル、繁昌亭で落語を聞くプランを取り入れたツアーを企画する旅行会社も出てきている。地元商店街も噺家の肉声が聞ける寄席小屋は、キタやミナミにはない活気あふれる大阪の新名所となるだろうと期待を寄せている。

舞台と客席

(写真は 舞台と客席)


 
天満の市 放送 10月11日(水)
 大阪天満宮から南へ数分、大川沿いの南天満公園のあたりは、豪商・淀屋の二代目个庵(こあん)が青物市場を開いた所で、青物市場跡地を示す石碑が立っている。
 この市場は大川の水運を活用して大いに栄え、江戸時代には「天下の台所」として聞こえた大坂を象徴する市場だった。この天満の「青物市場」と靱(うつぼ)の「ざこばの魚市」、堂島の「米市」が大坂三大市と呼ばれ、商都大阪の基礎を築く一翼を担った。

天満青物市場跡碑

(写真は 天満青物市場跡碑)

天満市場

 天満青物市が最も繁昌した時には毎日数万人の商人が品物を買い求め、農作物を売った農民たちは天満宮へ参拝したり、芝居見物や天満宮辺りの繁華街で遊んだりしたので、この界隈は大変なにぎわいを見せていた。
 その後、天満青物市場は転々としたが、昭和6年(1931)ざこば魚市と靱海産市場と共に統合して、安治川沿いの大阪中央卸売市場(現福島区)となった。だが、天満青物市場は統合後も中央卸売市場の配給所として存続し、昭和18年(1943)には大阪市の直轄となったが、昭和20年(1945)の大阪大空襲ですべて焼失した。

(写真は 天満市場)

 戦後の昭和24年(1949)同じ場所での再建計画が持ち上がったが、大阪市がこの地を緑地帯とすることになり、JR天満駅北の池田町の元東洋紡績天満工場跡地に天満卸売市場として再建された。裸電球の下での店員の威勢のよいかけ声、天井からぶら下げられたかごの中へ売り上げ金が放り込まれる庶民的な市場だった。
 それから半世紀以上を経過、建物の老朽化に伴い平成17年(2005)建物は高層ビルに生まれ変わったが、下町の市場の雰囲気は変わらない。天満青物市場があった南天満公園には、天満の市を歌った「天満の子守歌碑」があり、傍らには子守姿の少女の像が立っている。

天満の子守歌碑

(写真は 天満の子守歌碑)


 
天神さんの商店街 放送 10月12日(木)
 土佐堀川?中之島公園東端?堂島川をまたぐ天神橋は、天満橋、難波橋と共に大阪三大橋のひとつで、最初は豊臣秀吉の時代に架けられ「新橋」と呼ばれていたが、天満天神社が管理していたのでやがて「天神橋」と呼ばれるようになった。
 この天神橋を南から渡り、少し北へ歩くと天神橋1丁目、日本一長い商店街の南の入り口がある。
天神橋8丁目まで約2.6kmの天神橋筋商店街は、大阪天満宮の門前町として平安時代に始まったとされている。

國重刃物店

(写真は 國重刃物店)

大塩平八郎墓碑(成生寺)

 衣料や生活用品、食べ物屋など、ありとあらゆる商品を扱う商店が軒を連ね、天神橋筋商店街で手に入らぬものはないと言われるほどだ。大阪独特の開けっ広げで気さくな雰囲気があふれ、庶民的な商店街として他府県の人たちも買い物に訪れるほどだ。
 大阪天満宮の門前町の商店街らしく、天神橋2丁目商店街のアーケード入り口には、天神祭の時に船渡御する御神霊を出迎える「お迎え人形」をモチーフにした人形が飾られ、買い物客を出迎えている。

(写真は 大塩平八郎墓碑(成生寺))

 この商店街も時代と共に様変わりもしてきたが、何軒もの老舗が今も残っている。天神橋3丁目に鎧兜を飾った水田國重刃物店は、元は刀鍛冶で大塩の乱の大塩平八郎の刀を打ったと言う。近くの大塩家の菩提寺・成正寺に平八郎の墓碑がある。
 大阪の食べ物と言えばたこ焼きとお好み焼き。本場のたこ焼きとお好み焼きの店が商店街にも多い。本場のたこ焼きの作り方を習おうと、他府県から来た修学旅行生がたこ焼き屋に一日弟子入りして、おいしいたこ焼きの作り方を身につけて帰ったと言う話など話題豊富な商店街である。

お好み焼 甚六

(写真は お好み焼 甚六)


 
大阪くらしの今昔館 放送 10月13日(金)
 天六(天神橋6丁目)角のビル、住まいの情報センターの8、9階にあがると一気にタイムスリップ。「大阪くらしの今昔館」は、江戸時代から明治、大正、昭和時代にかけての大阪の庶民の暮らしが体感できる住まいのミュージアムだ。
 9階には江戸・天保時代のころの大坂の町並を実物大で復元した大坂町3丁目。この町並は自由に散策でき、日曜日にはボランティアによる町家衆の町家ツアーがあり、町家の秘密を聞くことができる。

大坂の町並み

(写真は 大坂の町並み)

住まいの大阪六景

 大坂町3丁目の木戸門を入ると表通りには風呂屋があり、さらに呉服屋、本屋、薬屋、人形屋、唐物屋、小間物屋などの店が並び、その内部の造り、道具類までが綿密に再現されている。商店の裏には庶民が暮らす裏長屋が裏通りに並び、にぎやかな表通りとは反対に普通の生活が営まれていた様子がうかがえる。
 この江戸時代の町並は季節によって飾り付けが変えられる。夏祭りのハイライト・天神祭の季節を迎える5月から8月までは、ハレの姿の夏祭りの飾りになる。9月から4月までは商家のにぎわいに変わる。

(写真は 住まいの大阪六景)

 8階では明治、大正、昭和時代のモダン大阪の特徴的な住まい、暮らしを「住まいの大阪六景」として精巧な模型と人形で見せてくれる。洋館が建ち並ぶ明治時代の川口居留地、昭和時代初期の北船場の町並、高度経済成長期の鉄筋コンクリートの建物が並ぶ古市中団地などだ。
 昭和30年代に家庭に登場した白黒テレビの画面にワクワクする一家団欒の子供たちの表情が印象的。三種の神器とまで言われた家庭電化製品なども展示され、お年寄りには懐かしさ、若者には珍しさが実感できる。

昭和33年製のテレビ

(写真は 昭和33年製のテレビ)


◇あ    し◇
大阪天満宮、
天満天神繁昌亭
JR東西線大阪天満宮駅下車徒歩3分。
JR環状線天満駅下車徒歩10分。
地下鉄堺筋線南森町駅下車徒歩3分。
京阪電鉄北浜駅下車徒歩15分。
天神橋筋商店街JR東西線大阪天満宮駅、JR環状線天満駅下車すぐ。
地下鉄堺筋線南森町駅、扇町駅、天神橋筋6丁目駅、
地下鉄谷町線、阪急電鉄千里線天神橋筋6丁目駅下車すぐ。
京阪電鉄北浜駅下車徒歩10分。
成正寺(大塩平八郎墓所)JR東西線大阪天満宮駅下車徒歩5分。
地下鉄堺筋線南森町駅下車徒歩5分。
國重刃物店JR東西線大阪天満宮駅下車すぐ。
地下鉄堺筋線南森町駅下車徒歩すぐ。
甚六(お好み焼き店)JR東西線大阪天満宮駅下車徒歩5分。
地下鉄堺筋線南森町駅下車徒歩5分。
大阪くらしの今昔館地下鉄堺筋線、谷町線、阪急電鉄千里線天神橋筋6丁目駅
下車すぐ。
JR環状線天満駅下車徒歩7分。
◇問い合わせ先◇
大阪天満宮06−6353−0025
天満天神繁昌亭06−6352−4874
上方落語協会06−6644−3619
天満市場商業協同組合06−6351−2738
國重刃物店06−6351−7170
成正寺06−6361−6212
甚六06−6353−4816
大阪くらしの今昔館06−6242−1170

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  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」

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