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月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
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亀山市、鈴鹿市、四日市市 |
今週は滋賀、三重県境の鈴鹿峠から東海道の宿場町を東へ四日市までたどってみた。鈴鹿峠の東側の宿場町・関町は平成17年(2005)1月に亀山市と合併している。訪れた鈴鹿峠から坂下宿、関宿、亀山宿、庄野宿、石薬師宿、四日市宿は、時代の移り変わりとともに町は変化しているが、街道筋には今も宿場町の面影があちこちに残っていた。 |
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旅人たちの中には坂下宿や関宿で馬を雇い難所の鈴鹿峠を越えた。その馬子たちが馬を引きながら唄ったのが鈴鹿馬子唄。馬子唄としては日本の南限とされ、その歌詞は宿場町の情緒的な風情を唄い込んでおり、ほかの馬子唄にない艶っぽさがある異色の馬子唄と言われている。 |
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(写真は 鈴鹿峠) |
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関宿の東の追分は東海道と伊勢街道の分岐点で、伊勢神宮遥拝のための大鳥居が立っている。 |
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(写真は 御馳走場) |
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亀山城は豊臣秀吉の武将だった岡本宗憲が、旧城の南東の丘陵地に平山城を築いた。約2000mの白亜の土塀が巡らされ、これがチョウの舞う姿に見えたことから「粉蝶(こちょう)城」とも呼ばれていた。江戸時代に入り東海道の要衝を占める城として、譜代大名を中心に城主が目まぐるしく変わった。 |
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(写真は 亀山城跡) |
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江戸時代から鈴鹿が誇ってきた特産品で国の伝統工芸品に指定されているのが「鈴鹿墨」と「伊勢形紙」。これらの特産品については東海道筋からは外れるが、鈴鹿市伝統産業会館で詳しく紹介している。 |
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(写真は 鈴鹿墨) |
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もうひとつの四日市名物は柄の丸い「日永うちわ」。日永うちわの起源は定かでないが、江戸時代から東海道を行き来する旅人やお伊勢参りの客たちの土産物として売り出された。この付近に自生していた女竹(めだけ)を使い、柄とうちわの骨が一体となった作りが握りやすく、柔らかな風が送れると喜ばれた。うちわ絵には美人画や富士山、伊勢神宮などが描かれていた。 |
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(写真は 日永うちわ(稲藤)) |
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