月〜金曜日 18時54分〜19時00分


奈良・明日香村

 黄金色に色づいていた飛鳥の棚田の稲も刈り取られ、晩秋の飛鳥の里は静かなたたずまいを見せている。観光客が少なくなる冬の飛鳥は格別な趣があるとも言われ、静けさを取り戻しつつある飛鳥の里を散策してみた。


 
飛鳥京 放送 11月6日(月)
 推古天皇が西暦592年、豊浦宮に即位してから和銅3年(710)元明天皇が藤原京を捨て、奈良の平城京へ遷都するまでの100余年が飛鳥時代。
 この間、歴代天皇は即位するたびに都を遷したが、いずれの天皇の宮も飛鳥にあり、この間に飛鳥を離れたのは孝徳天皇の難波宮と天智天皇、弘文天皇の近江大津宮の3人、15年間に過ぎない。この間も飛鳥に留守官(るすのつかさ)が置かれ、飛鳥の地は政治、文化の中心であった。推古天皇の即位で豪族間の争いがひとまず終わり、聖徳太子が推古天皇の摂政として天皇中心の政治体制を築き、統一国家の基礎を固めた。

蘇我入鹿首塚

(写真は 蘇我入鹿首塚)

伝飛鳥板蓋宮跡

 聖徳太子の没後、政治の実権は再び豪族の蘇我氏に握られたが、中大兄皇子(後の天智天皇)らによって蘇我入鹿を倒す大化の改新が行われ、豪族の政治支配に終止符が打たれた。
 飛鳥時代は仏教の興隆によって壮大な寺院建築や仏像彫刻技術などが飛躍的に進歩し、飛鳥文化を作りあげた。文学面でも皇族や朝廷人たちがおおらかな生活や感情を歌に詠み、これらの秀歌を集めた万葉集は日本文学の原点となった。こうした飛鳥文化は後の白鳳、天平文化へと受け継がれていく。

(写真は 伝飛鳥板蓋宮跡)

 蘇我入鹿を暗殺した大化の改新の舞台となったのが、642年に皇極天皇が造営した板蓋宮(いたぶきのみや)だが、その跡と伝わる伝板蓋宮跡は田んぼの中に石敷きが広がる史跡公園となっている。茅葺きの屋根が主だった当時、初めて板葺きにした宮殿だったことからこの名がつけられたようだ。
 伝板蓋宮跡の北の飛鳥寺には蘇我入鹿首塚とされる五輪塔があり、訪れる人がときどき花を供えている。古代の生臭い権力争いは時の流れが洗い流し、首塚の周囲はどかで平穏な田園風景である。
近くに中大兄皇子が造った水時計・漏刻の水落遺跡があり、今は楼閣の建物を支えた基壇部分が残っている。

水落遺跡

(写真は 水落遺跡)


 
西国三十三カ所第7番札所
・岡寺
放送 11月7日(火)
 急な石段を登り朱塗りの仁王門(国・重文)をくぐり抜けると本堂にたどり着く岡寺。天智天皇の草壁皇子の住まいだった岡宮を、天智天皇2年(663)義淵僧正がもらい受け、寺としたのが始まりと言う古刹。岡宮に建てられたことから岡寺と呼ばれるようになった。
 本尊の如意輪観世音菩薩座像(国・重文)は、弘法大師がインド、中国、日本三国の粘土を使って作ったと伝わる。高さ4.58mの白い観音像はわが国で最大、最古の塑像(粘土造りの像)で、唇にわずかに残る朱色が印象的である。

本尊如意輪観世音菩薩像

(写真は 本尊如意輪観世音菩薩像)

龍蓋池

 岡寺の正式名称は龍蓋寺(りゅうがいじ)と言う。寺の近くの農地を荒らす悪い龍を、義淵僧正が法力で池に封じ込め大石で蓋(ふた)をした。本堂前にある龍蓋池がその池で、この池の名から寺の呼び名が生まれた。
 岡寺は平安時代中ごろから盛んになる観音信仰以前から観音霊場とした栄えていたが、さらに災いを取り除いた龍蓋伝説が厄除け信仰につながり、観音信仰に加えて厄除けの参詣者が多くなった。
特に鎌倉時代から2月(現在は3月)の初午の日に岡寺に参って厄除けの祈願をする人たちが増えたと言う。

(写真は 龍蓋池)

 義淵僧正は大和国高市郡の生まれで、父母が観音様に子宝を授かるように祈って生まれたと言われている。これを聞いた天智天皇が岡宮で草壁皇子と一緒に育てたとも伝わる。
 義淵僧正は法相宗を確立した学僧で、その門下に奈良時代に高僧となった行基、良弁、玄ム、道慈、道鏡らがいた。義淵の老僧姿を写した木心乾漆義淵僧正座像(国宝)は、奈良時代の秀作とされている。
 御詠歌は「けさみれば つゆおかでらの にわのこけ さながらるりの ひかりなりけり」。

義淵僧正像

(写真は 義淵僧正像)


 
石造物の謎 放送 11月8日(水)
 飛鳥地方にはいつ、誰が、何のために造り、何に使ったのか今も分からない謎の石造物が多く、そのほとんどが明日香村内に集中している。
 その代表格で明日香村のシンボルとも言えるのが石舞台古墳。古墳上部の封土が失われて巨大な天井石が露出している古墳は、6?7世紀に勢力をふるった蘇我馬子の墓と推定されている。一辺が50mの方墳で、最も大きな石は重さ77トン、巨石を3段に積んだ玄室は長さ7.6m、幅3.5m、高さ4.7m。キツネが女性に化けて石の上で舞を舞ったとか、旅芸人が舞の舞台にしたなど、石舞台の呼び名の由来はいろいろな説がある。

石舞台古墳

(写真は 石舞台古墳)

亀石

 畑のかたわらにうずくまるようにしている亀石はユーモラスな感じもするが、何とも不思議な造形物だ。南西を向いている亀石が西を向くと飛鳥一帯が泥の海になるなどと伝えられているが、条里制の境界、あるいは川原寺の寺域を示すためのものなど諸説がある。
 伝板蓋宮跡の東の丘の上にある酒船石も謎の石造物。酒や油を搾るためだとか、薬を作るためだとか言われているが、庭園に水を引く施設の一部との説が有力視されている。酒船石のすぐ北で平成12年(2000)に発掘された亀形石造物、小判形石造物も導水施設と見られることから酒船石と関連があるとされている。

(写真は 亀石)

 鬼の俎(まないた)、鬼の雪隠(せっちん)もいろいろと推測される石造物だが、横穴式石槨の基底石と蓋石(ふたいし)だろうと見られている。吉備姫王墓のすぐ横に4体の猿石がうずくまっている。江戸時代の元禄15年(1704)に近くの水田から5体が出土し、1体は高取城の登り道の途中に置かれている。
 このほか飛鳥資料館にある噴水施設の一部と見られる須弥山石、石人像、二つの顔が彫られた橘寺の二面石、飛鳥川のほとりにある弥勒石、明日香村との境界近くにある橿原市の益田岩船ほか、明日香村内の神社や寺にはいろいろな石造物が多い。

酒船石

(写真は 酒船石)


 
宇須多伎比売の神 放送 11月9日(木)
 明日香村を北に流れる飛鳥川の上流地域の祝戸、稲淵あたりは人の気配も一段と少なくなり、本来の飛鳥の里らしい空気に包まれている。
 この地域には一面に広がる棚田があり、飛鳥の見どころのひとつとして、訪れる人たちの人気を呼んでいる。春はレンゲ、タンポポ、菜の花、夏は草むらで鳴くキリギリスや樹林のセミの声、秋は真っ赤なヒガンバナ、ハギ、ススキと草花が美しい。冬は数回降る淡雪に冬枯れの棚田が雪化粧して何とも言えぬ表情を見せてくれ、四季それぞれに変化する姿には飽きがこない。

稲渕の棚田

(写真は 稲渕の棚田)

飛鳥川上坐宇須多伎比売命神社

 稲淵の飛鳥川上坐宇須多伎比売命(あすかかわかみにいますうすたきひめのみこと)神社は、丘陵の長くて急な189段の石段を登った所に鎮座する日本一長い名前の神社。
 いつ創建されたか明らかではないが、延喜式にも記載されていることから千数百年の昔から祀られていたことは間違いなく、この地の氏神であり、飛鳥一帯を潤す水の神として「うさのみやさん」と呼ばれ親しまれている。社殿は拝殿だけで、御神体は拝殿奥の山となっている。日本書紀にある斉明天皇が降雨の祈祷を行ったのがこの場所ではないかと見られている。

(写真は 飛鳥川上坐宇須多伎比売命神社)

 飛鳥川上流にはこの飛鳥川上坐宇須多伎比売命神社のほかに、古社の加夜奈留美命(かやなるみのみこと)神社がある。この神社のある場所は飛鳥坐(あすかにいます)神社があった所と言われており、宇須多岐比売命は加夜奈留美命や飛鳥坐神社の祭神・事代主命(ことしろぬしのみこと)の母神とされている。これらの三つの神社はいずれも古い祭祀形式をとっている。
 またこの地方には性崇拝の名残があり、そのひとつが今も受け継がれて正月に行われる稲淵の男綱掛け、栢森の女綱掛けの行事である。

飛鳥川

(写真は 飛鳥川)


 
飛鳥散策の楽しみ 放送 11月10日(金)
 石舞台に近い明日香村中心部に築150年の大和棟の造り酒屋だった民家が、今は「飛鳥藍染織館(あすかあいせんしょくかん)」となっている。
 館長の渡辺誠弥氏の藍染コレクション約1000点と民俗学者・鈴木正彦氏の土鈴のコレクション約1万3000点、写真家のシノ・イサム氏万葉の飛鳥の写真約1000点がが所狭しと展示されている。元NHKアナウンサーの渡辺氏は松江放送局勤務の時、一枚の藍染の布に出会って藍染に魅せられ、藍染の布を集めるようになった。

飛鳥藍染織館

(写真は 飛鳥藍染織館)

藍染

 松江地方では「藍染は嫁入り道具を中心にした女の一生の装い」と言われている。嫁ぐ娘に油単(ゆたん)、夜具、夜着、祝い風呂敷、鏡掛け、提灯袋、傘袋まで、藍で染めて持たせたそうだ。やがて嫁いだ娘に子供が生まれると今度は産衣、おむつ、子負い帯、湯上げ、足拭きを同じように藍で染めて送る。嫁ごしらえ、孫ごしらえと呼ばれるのが山陰地方の慣わしで、まさしく藍は愛である証と言える。
 土鈴は「産まれてきた子の幸せを願う」と言い、藍染の孫ごしらえと相通じるところがあり、この組み合わせの展示に妙味がある。

(写真は 藍染)

 飛鳥の写真は1300年の万葉の飛鳥を凝縮した写真と言える。飛鳥藍染織館では木綿のハンカチ、絹のストールの藍の絞り染め、ろーけつ染め、土鈴の絵付けがそれぞれ実費で体験できる。
 さて、飛鳥へ来たら一度は味わっておきたいのが古代食。藤原京跡から出土した木簡の記録を元に牛乳を煮詰めたチーズの「蘇(そ)」や赤米ご飯、にごり酒など地元の食材を使った古代の高級料理が味わえる。赤米のご飯は動脈硬化防止や抗がんの薬効もあるとか、楊貴妃も美容食として愛用していたとか言われているが…。

創作古代食「飛鳥の宴」和食レストラン あすか野

(写真は 創作古代食「飛鳥の宴」
                和食レストラン あすか野)


◇あ    し◇
飛鳥巡り近鉄橿原線・南大阪線橿原神宮前駅、吉野線岡寺駅・飛鳥駅からレンタサイクル利用が便利だが、明日香村内は坂道が多いので、老人や体力のない人はバス利用がよい。
近鉄橿原線・南大阪線橿原神宮前駅、吉野線飛鳥駅から明日香周遊バス(赤かめバス=一日乗り放題乗車券650円)と明日香村営明日香循環バス(金かめバス=1回100円)があり、この両方をうまく乗り継げば飛鳥の史跡、観光スポットはほとんど回れる。  
◇問い合わせ先◇
明日香村役場0744−54−2001
明日香村観光開発公社0744−54−4577
飛鳥京観光協会0744−54−2362
奈良文化財研究所飛鳥資料館0744−54−3561
岡寺0744−54−2007
飛鳥藍染織館0744−54−2003

◆歴史街道とは

    関西は「歴史・文化の宝庫」として世界に誇れる地域です。歴史街道では、日本の歴史文化の魅力を楽しく体験し、実感できる旅のルートとエリアを設定しました。伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸といった主要歴史都市を時代の流れに沿ってたどる「メインルート」と各地域の特徴をテーマとして活かした3つの「ネットワーク」です。

 

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」

    の3つの目標を掲げ、その実現を目指しています。

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

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