月〜金曜日 18時54分〜19時00分


京都市・中京区界隈

 京都市中京区は京都市役所、二条城などがあるほか、商業の中心地としてにぎわう京都市の中心街である。近代建築のビルが建ち並ぶ中に江戸時代から続く京町家も残っており、随所に京ならではの情緒が感じられる中京区界隈を歩いてみた。


 
西国三十三ヵ所第18番札所
・六角堂頂法寺
放送 11月13日(月)
 京の町で「六角さん」と呼び親しまれてきた頂法寺の本堂は、拝殿のある正面からは六角には見えないが、真上から見ると正六角形で、その本堂内に本尊・如意輪観世音菩薩像が祀られている。
 烏丸通に面している六角堂は今は車が行き交う市街地だが、昔はこのあたりは森だった。用明天皇2年(587)聖徳太子は四天王寺建立の用材を求めてこの地を訪れた時、清らかな池を見つけて沐浴(もくよく)した。沐浴後、池のほとりの木にかけておいた護持仏の如意輪観世音菩薩像を取ろうとしたが木から離れなかった。

本堂

(写真は 本堂)

本尊 如意輪観世音菩薩(お前立ち)

 聖徳太子は観音様がこの地に留まろうとしていることを知り、六角の堂を建てて護持仏を祀ったのが六角堂・頂法寺の始まりと伝えられている。六角堂は創建以来、応仁の乱などの兵火や火災などで度々焼失したが、その都度、町衆ら信者の力で再建されており、現在の建物は明治8年(1875)に再建されたものである。
 聖徳太子沐浴の池は今は狭められ、境内の一角にその形をわずかに残しており、かたわらには聖徳太子を祀る太子堂が建てられ、太子信仰の信者たちの参詣者が多い。

(写真は 本尊如意輪観世音菩薩(お前立ち))

 平安遷都の時、六角堂が建設する道路の中央にあったため「南北どちらかへ少し移ってもらえないでしょうか」と本尊に祈願したところ、一夜のうちに北へ約15m移動、道路を通すことができたとの伝えがある。
 移動する前の六角堂の礎石と言われる直径約40cmの六角形の石の中央にへそのような穴があり、これを「へそ石」と呼び「京都のへそ」とも言われている。西国巡礼の参詣者らは六角堂前の茶店で名物の「へそ石餅」と抹茶を味わい、みやげとして「へそ石餅」を求めて持ち帰っている。
 御詠歌は「わがおもう こころのうちは むつのかど ただまろかれと いのるなりけり」。

へそ石

(写真は へそ石)


 
いけ花発祥の地 放送 11月14日(火)
 六角堂頂法寺は生け花発祥の地でもあり、境内の一角には華道家元・池坊の和と美の殿堂となっている地上11階、地下2階のビルが建っている。
 境内東北隅に聖徳太子沐浴の池の跡とされる池があるが、遣隋使の小野妹子が隋から帰国後、この池のほとりに坊を建て、太子の護持仏であった本尊の如意輪観音像を守護し、朝夕に花を供えた。
池のほとりに坊があったことから池坊と呼ばれ、仏への供花(くげ)が妹子の子孫に受け継がれ、池坊華道へと発展し、わが国華道界の一大流派となった。

青銅 丸龍耳付立花瓶

(写真は 青銅 丸龍耳付立花瓶)

現存する最古の花伝書

 平安時代に盛んになる浄土信仰と共に仏に花を供える供花の風習がひろまった。そして貴族の邸宅内では花を瓶にさして眺めるような風流な趣向も起こった。
 14〜15世紀の室町時代に入ると書院造りの住宅が生まれ、床の間に花を飾る挿花が現れる。池坊ではこの挿花を花伝書では「花を立てる」と言い、これが初期のいけ花である「立て花」で、主に宮中や寺などの座敷や庭の飾りとして花が立てられた。

(写真は 現存する最古の花伝書)

 応仁の乱(1467〜77)の後に池坊専応は、単に美しい花を愛でるだけでなく、花を生けることによって悟りに至る自覚を持ついけ花を成立させた。こうして時代と共にいけ花の心が昇華し、今日の生花の形として定着したのが、18世紀前半の江戸時代の元文・寛保年間(1736〜44)のころである。
 池坊本部ビル内の3階にあるいけばな資料館には、歴代家元の花図や花伝書、書などのいけ花の資料、花瓶や壺など六角堂の什物類などが展示されている。

立花図屏風

(写真は 立花図屏風)


 
モダンな町家・紫織庵 放送 11月15日(水)
 紅殻格子に虫籠(むしこ)窓の伝統的な町家が何軒も残る新町通の六角上ルに「京のじゅばん&町家の美術館」の木札をひっそり掲げる紫織(しおり)庵の川崎家住宅がある。
 この建物の歴史は今から約200年前の江戸時代後期の寛政・享和年間(1789〜1804)に開業した医院まで遡る。大正15年(1926)に京都・室町随一の豪商・井上利助によって、和風建築にライト様式のモダンな洋館が新たに新築され、現在は和洋折衷の京町家として京都市の有形文化財の指定を受けている。

玄関

(写真は 玄関)

洋間

 洋館部分は日本の近代建築の父と呼ばれる武田五一が、フランク・ロイド・ライト設計の旧帝国ホテルの建築を参考に設計した。茶室・紫織庵や和室部分は数寄屋の名工・上坂浅次郎が設計に携わっている。
 広縁のガラス戸はすべて建築当初の波打ちガラスで、一枚も破損せずに今日に伝わっているほか、東山三十六峰をモチーフにした欄間など、京町家の貴重な建築資料が残っている。祇園祭の時に京の町家の人たちが屏風や秘蔵の品を公開する「屏風祭」と言う慣わしがあるが、紫織庵では年間を通じて「屏風祭」を再現して公開している。

(写真は 洋間)

 この建物の現所有者の川崎家が長襦袢メーカーなので、主屋2階広間は「長襦袢友禅資料室」として、明治時代から大正時代にかけての世俗を反映した当時の柄の長襦袢などが展示されている。
友禅図柄の伝統的な花鳥風月模様だけでなく、アール・ヌーボーや童話、芸能、スポーツ柄などの華やかな長襦袢がある。
 現当主の川崎栄一郎さんは「伝統の友禅柄を後世に伝えなければならない」と平成元年(1989)から復刻に取り組んだが、昔ながらの技法を忠実に守りながら柄や染めを再現しても、繊細な髪の毛などの繊細な描写は復元できなかったそうだ。

長襦袢

(写真は 長襦袢)


 
格子の奥に 放送 11月16日(木)
 二条通と御池通の間を東西に走る押小路通にも昔ながらの古い店が多い。そうした町家の表の格子は業種によってそれぞれ異なった特徴を持っていると言う。
 二条城のすぐ南から下る大宮通と押小路通の角にある菓子屋の「格子家」は、「昔なつ菓子」を標榜しているだけに、暖簾をくぐって店内に入ると手作りの昔懐かしい駄菓子の数々がズラリと並んでいる。戦前から戦中、戦後に育った熟年層にとっては、子供のころの郷愁がよみがえる菓子ばかりである。

昔なつ菓子 格子家

(写真は 昔なつ菓子 格子家)

どろぼう

 格子屋は大正元年(1912)創業の菓子製造卸専門の田中製菓だった。二条城見物などに訪れた観光客らが、田中製菓から流れ出る甘い菓子の香りに誘われた訪れ「ぜひ売って欲しい」と懇願されることが多かった。観光客に喜ばれるならその要望に応えようと、昭和63年(1988)から店舗を構えて小売りを始めた。
 古い町家の壁や格子を塗り替え、その名もずばり「格子屋」としてオープンした。石畳が敷かれた数坪の可愛らしい店には、昔懐かしい菓子が並び大人の方が大喜びで買いだめする人もいるほどだ。

(写真は どろぼう)

 格子屋の名物はその名を聞いてドキッとする手作り菓子の「どろぼう」。おこしを黒砂糖に漬け込んだお菓子で「泥棒してでも食べたくなる」と言われるほどおいしいことからこの名が付けられたとか。やや固めのモチモチした歯触りと黒砂糖の何とも言えない風味が人気。
 このほか食べ終わると貝殻が笛になる黒砂糖味の「貝ニッキ」とか、針で突くとはじけ出る「プッチンようかん」、親父のげんこつより堅い「げんこつ飴」やせんべい、おかき、あられなど品数は豊富だ。

お火焚おこし

(写真は お火焚おこし)


 
足袋の老舗 放送 11月17日(金)
 京都と言えば西陣織や京友禅など織物の町で、古い町家が残る通りや神社仏閣などでは和服姿がよく似合う町でもある。和服となればその足元の足袋は欠かすことのできない必需品である。
 三条通堺町角に唐破風付の看板を掲げて店を構えるのが足袋の老舗の分銅屋。普段から着物姿で暮らし、仕事をしている人たちの間では広く知られている店である。創業は幕末の元治元年(1864)で、当初は漢方薬を扱っており、薬の量を量るのに用いた分銅が屋号のいわれとなっている。

分銅屋足袋

(写真は 分銅屋足袋)

足袋づくり

 ひとつひとつ手作りで丁寧に作られた分銅屋の足袋は「足にぴったりと合い歩きやすい」と常連客たちの評判はよい。また古い町家の店内の雰囲気が足袋の商いにぴったりしている。
 足袋の始まりは奈良時代ごろと言われ、最初は靴下のように指が分かれていない形のものを履いていた。これを「したうず(下沓・襪)」または「しとうず(下沓・襪)」と言った。また、平安時代に山家(やまが)の人たちが作業の時に足を守るため、猿、熊、鹿などの毛皮を履き物の形にして指先に付けたのが足袋の原形との説もある。

(写真は 足袋づくり)

 現在の足袋のように指が分かれ出したの室町時代になってからと言われる。さらにこはぜが使われるようになったのは江戸時代からで、明治時代中ごろから金属製のこはぜが登場した。それ以前は足首のところをひもで結んでおり、最近の若い人に喜ばれていると言う。
 足袋は汚れや傷、暑さ、寒さから足を守るのが主目的で、後には儀式などの際に威儀を整える装飾品としても使われるようになった。足袋を大別すると皮足袋、織布足袋だったが、江戸時代に皮が高騰して木綿足袋が主流になった。

白足袋

(写真は 白足袋)


◇あ    し◇
六角堂頂法寺・華道家元池坊総務所地下鉄烏丸線、東西線烏丸御池駅下車徒歩3分。京都市バス烏丸三条下車すぐ。
京のじゅばん&町家の美術館・紫織庵地下鉄烏丸線、東西線烏丸御池駅下車徒歩7分。京都市バス烏丸三条下車徒歩4分。
格子屋(昔菓子) 地下鉄東西線二条城前駅下車すぐ。
京都市バス神泉苑前下車すぐ。
分銅屋足袋地下鉄烏丸線、東西線烏丸御池駅下車徒歩5分。京都市バス烏丸三条下車徒歩3分。
◇問い合わせ先◇
六角堂頂法寺・華道家元池坊総務所075−221−2686
京のじゅばん&町家の美術館・紫織庵075−241−0215
格子屋075−841−4464
分銅屋足袋075−221−2389

◆歴史街道とは

    関西は「歴史・文化の宝庫」として世界に誇れる地域です。歴史街道では、日本の歴史文化の魅力を楽しく体験し、実感できる旅のルートとエリアを設定しました。伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸といった主要歴史都市を時代の流れに沿ってたどる「メインルート」と各地域の特徴をテーマとして活かした3つの「ネットワーク」です。

 

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
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  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」

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