月〜金曜日 18時54分〜19時00分


奈良・斑鳩町

 聖徳太子が建立した法隆寺を中心に太子ゆかりの古寺が多い斑鳩の里。正岡子規の有名な句「柿くえば 鐘が鳴るなり 法隆寺」の情景が残る斑鳩の里を散策、紅葉の秋を満喫してみてはいかがですか。


 
三塔を望む 放送 11月20日(月)
 斑鳩の里のほぼ中央、法隆寺の五重塔(国宝)とその北方の法起寺の三重塔(国宝)、法輪寺の三重塔は古くから斑鳩三塔と称されてきた斑鳩を象徴する風景である。
 この斑鳩三塔を眺めながら、聖徳太子ゆかりの古寺や法隆寺をはじめ、斑鳩の里の歴史に深くかかわってきた里人たちの住む、静かな田園地帯の道を足の向くままにたどるのは、斑鳩散策ならではの醍醐味と言える。斑鳩の里を散策するなら法隆寺参道脇にある「法隆寺iセンター」に立ち寄って、予備知識を得ておくのが賢明。

法隆寺五重塔

(写真は 法隆寺五重塔)

法起寺三重塔

 法隆寺iセンターには法隆寺をはじめ斑鳩の里の歴史街道について詳しく紹介したり、案内する窓口がある。斑鳩の里を模型で再現して、代表的な6コースを映像で紹介している。2階には宮大工・故西岡常一氏の仕事を通じての伝統建築や木の文化に触れるコーナーがある。
 斑鳩三塔の古寺を歩くにはたっぷり一日の時間をかけて欲しい。法隆寺には塔だけでなく建築物、仏像をはじめ数多くの国宝、重要文化財がある。法起寺、法輪寺周辺には斑鳩の里らしい風景が楽しめる。

(写真は 法起寺三重塔)

 斑鳩三塔の代表格の法隆寺五重塔は高さ32.45mで和銅4年(711)に完成しており、数ある日本の五重塔の中で最古、しかも最も美しいとされている。塔の初層の心柱を囲むように、土で須弥山を型どりその周囲に塑像群が安置されている。
 周囲にコスモスの咲き乱れる斑鳩の里の風景を最もよく残しているのが法起寺。三重塔は慶雲3年(706)の完成で、現存する塔の中で最古の三重塔である。法輪寺の三重塔は7世紀前半に創建されたが、昭和19年(1944)の落雷によって焼失、昭和50年(1975)に再建されたのが現在の三重塔である。

法輪寺三重塔

(写真は 法輪寺三重塔)


 
中宮寺 放送 11月21日(火)
 法隆寺のすぐ東に接する中宮寺は、聖徳太子が用明天皇の皇后だった母・穴穂部間人(あなほべはしひと)皇后のために、その宮を寺にしたと伝えられ、聖徳太子創建七カ寺のひとつである。
 創建されたのは現在地の東方約500mの場所で、発掘調査の結果、南に塔、北に金堂がある四天王寺式伽藍(がらん)配置だった。出土した瓦から尼寺として建てられたことも判明した。その故地には現在も土壇が残っているが、室町時代後期に現在地へ移り、この時代の天文年間(1532〜55)に伏見宮定敦親王の王女・尊智王女が入寺して以来、皇女、王女が入寺するようになり門跡寺院となった。

本堂

(写真は 本堂)

本尊 如意輪観世音菩薩

 本尊は尼寺に似つかわしい優美な姿の弥勒菩薩像(国宝)で、モナリザやエジプトのスフィンクスと並んで「世界の三大微笑像」と言われる飛鳥時代彫刻の最高傑作である。。寺伝では如意輪観音像となっているが、弥勒像として造られたと見られている。
 左足を垂れ、右足をその上に乗せ、ふっくらとした頬に右手指先をあて、物思うような半跏思惟のポーズで、かすかに微笑をたたえた冥想的な表情は、拝観する人びとを魅了し、うっとりさせてやまない。

(写真は 本尊 如意輪観世音菩薩)

 中宮寺に伝わる国宝の天寿国繍帳(てんじゅこくしゅちょう)は、聖徳太子の没後、妃の橘大郎女(たちばなのおおいらつめ)が、太子の往生した浄土の様子を画家に描かせ、これを采女に刺繍させたもので、羅(ら)、綾(あや)、平絹(ひらぎぬ)の生地に、中国風の人物や唐草、鳳凰、月のウサギなどが描かれている。
 日本で最古の刺繍である天寿国繍帳は元は二張りあり、それぞれ横4m、縦2mほどの大きさだったと推定されている。現在の繍帳は残っていたものを1m四方に張り合わせている。

微笑

(写真は 微笑)


 
法輪寺 放送 11月22日(水)
 法輪寺の創建には二説がある。そのひとつは推古天皇30年(622)聖徳太子の子・山背大兄王が、太子の病気平癒を願って建立したと伝わるもの。もう一説は天智天皇9年(670)百済の開法師(かいほうし)、円明師(えんみょうし)、下氷新物(しもひしんもつ)の3人が力を合わせて造寺したと言うもの。
 昭和25年(1950)の発掘調査で法隆寺式の伽藍(がらん)配置で、規模は法隆寺西伽藍の3分の2であったことが判明した。7世紀中に寺観が整い、平安時代の仏像が多いことなどからこの時代に最も栄えたと見られる。

虚空蔵菩薩立像

(写真は 虚空蔵菩薩立像)

十一面観音立像

 三井の集落に建っているので三井寺とも呼ばれるが、三井の地名は聖徳太子がわが子の産湯に使うため、三つの井戸を掘ったことから三井と呼ばれるようになった言う。その井戸のひとつが「赤染井(あかそめい)」として残っており、古代朝鮮の井戸の形式を伝え日本に現存する最古に属する井戸と言われ、今も水が湧き出ている。
 本尊の薬師如来座像(国・重文)は、現存する飛鳥時代の木彫如来像としては最大のもので、薬壺を持たない古い形式のものである。虚空蔵菩薩立像(国・重文)は左手に水瓶を持ち、右腕を曲げ、手のひらを上に向けている姿は観音菩薩像と見られている。

(写真は 十一面観音立像)

 創建時のままの姿で斑鳩の三塔のひとつとして親しまれていた法輪寺の三重塔は、昭和19年(1944)落雷によって焼失した。このため国宝の指定が解除され、戦後の混乱と物資不足、その後の高度経済成長期には諸物価の高騰などの悪条件が重なり、三重塔再建は思うように進まなかった。
 しかし、住職の全国勧進行脚、地元住民や作家の故幸田文さんらの尽力で、昭和50年(1975)斑鳩に住む宮大工・故西岡常一棟梁の手によって、焼失前と同じ場所に同じ姿で再建された。
こうして斑鳩の里に蘇った三重塔は多くの人びとに心の安らぎを与えている。

本尊 薬師如来像

(写真は 本尊 薬師如来像)


 
吉田寺 放送 11月23日(木)
 龍田神社の南側の小高い丘の木立の中にひっそりとたたずむ吉田寺(きちでんじ)は、参詣者らから「ぽっくり寺」とか「ぽっくり往生の寺」と呼ばれる名高い寺。
 その建立は天智天皇の勅願によって建立され、境内に天皇の妹・間人(はしひと)皇女(孝徳天皇皇后)の墓と伝えれる古墳があることから、間人皇后の陵寺であったと伝えられ、永延元年(987)に恵心僧都源信が再興した。

恵心僧都

(写真は 恵心僧都)

大日如来像

 恵心僧都は孝心の篤い人で、母の臨終に際して魔除けの祈願をした衣服を着せてあげると、母は何の苦しみもなく称名念仏の中で往生を遂げた。その後、僧都は亡き母の追善と衆生救済のために栗の巨木を伐り、一刀三拝して本尊・丈六阿弥陀如来座像(国・重文)を彫り上げた。
 この本尊の前で念仏を唱えながら祈祷を受けたり、祈祷を受けた帯や腹巻き、腰巻きを着用すると、恵心僧都の母のように長く病み患うことなく、安らかに極楽往生が遂げられると言われ、これがぽっくり往生の寺の由来となった。

(写真は 大日如来像)

 像高5m余のこの阿弥陀如来座像は木造仏像では奈良県内最大で、別名「大和のおおぼとけ」と言われ、上品上生(じょうぼんじょうしょう)印を結ぶ端正な姿で、千体仏の光背を持っている。
 この寺の多宝塔は奈良県内で宝塔としては数少ない国の重要文化財に指定されているもので、心柱の寛正4年(1463)の銘から室町時代の建築で、その時代の様式を伝える貴重な建築物。内部には恵心僧都の父の追善のためと伝えられる秘仏の大日如来像が安置されおり、毎年9月2、3日と11月1〜3日に特別開扉され拝観できる。

本尊 丈六阿弥陀如来像

(写真は 本尊 丈六阿弥陀如来像)


 
懐かしい家並み 放送 11月24日(金)
 法隆寺の西隣の約300m四方が西里(にっさと)の集落。築地塀が低く長く続き、落ち着いた大和棟とその屋根瓦、白壁の家並みが連なり、静かなたたずまいを見せている。
 西里は1400年前の創建以来、法隆寺を支えてきた大工集団の本拠地で、匠の里とも呼ばれた所。近世では徳川家康の御用大工となった中井大和守を頭とする多くの棟梁やその部下が住んでいた。法隆寺創建から1400年が過ぎた現在も、当時の面影をしのばせる約60軒ほどの家が建ち並び、静かにその歴史を見守っている。今は亡き名匠と謳われた宮大工・西岡常一氏もここ西里の出身であった。

西里の通り

(写真は 西里の通り)

龍田の町並

 西里の西南、龍田の旧奈良街道には古い商家が残っている。中世以降には龍田神社を中心にした龍田の市が立ち、法隆寺や龍田神社参詣客らのほか、伊勢参りや當麻参りの人たちが行き交う交通の要所で、宿場町、商業地としてにぎわっていた。街道沿いには今も古い看板や屋号を掲げた商家が往時のにぎわいをしのばせている。
 この奈良街道筋で往時の面影をそのまま残し「地酒」の暖簾を掲げる太田酒造の建物は、江戸時代後期に建てられ国の登録有形文化財に指定されている。

(写真は 龍田の町並)

 太田酒造の店先には銘酒「初時雨」とともに奈良漬が売られている。地元でとれた新鮮なウリや朝掘りの旬のタケノコ、ナス、スイカ、生姜などを、焼酎と黒砂糖、みりんなどを加えた吟醸粕で漬ける。250年前に建てられた酒蔵の中で何度も漬け替えながら、じっくり2年から2年半ほど寝かせた無添加の自然食品。漬けあがった奈良漬けはベッコウ色になり、風味豊かな健康食品である。
 近くには在原業平が「千早ぶる 神代もきかず竜田川 から紅に水くくるとは」と詠んだ、紅葉で名高い竜田川がある。

奈良漬「初時雨」(太田酒造)

(写真は 奈良漬「初時雨」(太田酒造))


◇あ    し◇
法隆寺JR関西線法隆寺駅下車徒歩15分。
中宮寺JR関西線法隆寺駅下車徒歩20分。
JR関西線法隆寺駅から法隆寺門前行きバス終点「法隆寺門前」下車徒歩3分。
法輪寺JR関西線法隆寺駅下車徒歩35分。
近鉄郡山駅から法隆寺前行きバス「法起寺前」下車徒歩10分。
吉田寺JR関西線、近鉄生駒線王寺駅、近鉄田原本線新王寺駅から
バスで龍田神社前下車徒歩3分。
斑鳩町西里JR関西線法隆寺駅下車徒歩20分。
太田酒造JR関西線、近鉄生駒線王寺駅、近鉄田原本線新王寺駅から
バスで竜田大橋下車徒歩5分。
◇問い合わせ先◇
斑鳩町観光協会
(歴史街道法隆寺iセンター)
0745−74−6800
中宮寺0745−75−2106
法輪寺0745−75−2686
吉田寺0745−74−2651
太田酒造0745−75−2015

◆歴史街道とは

    関西は「歴史・文化の宝庫」として世界に誇れる地域です。歴史街道では、日本の歴史文化の魅力を楽しく体験し、実感できる旅のルートとエリアを設定しました。伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸といった主要歴史都市を時代の流れに沿ってたどる「メインルート」と各地域の特徴をテーマとして活かした3つの「ネットワーク」です。

 

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」

    の3つの目標を掲げ、その実現を目指しています。

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

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          郵便番号 530−6691
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歴史街道推進協議会