月〜金曜日 18時54分〜19時00分


大阪市・新世界 

 大坂城とともに浪速のシンボル・通天閣が2006年、再建後50年を迎え、同時に国の登録有形文化財に選定された。再建後50年を機にお色直しも行われて、きれいになった通天閣は「わては文化財やで」とすまし顔をしているようにも見える。この通天閣を中心に広がる街・新世界をのぞいて見た。


 
浪速のシンボル・通天閣  放送 1月8日(月)
 昭和31年(1956)10月28日、焼失した初代・通天閣の後を継いで高さ103mの二代目・通天閣が完成、オープンした。展望台の高さは91m。昭和29年(1954)に建設された名古屋のテレビ塔の展望台が高さ90mだったので「名古屋に負けたらあかん」と1m高くしたそうだ。
 浪速っ子の負けん気で登場した高さ91mの展望台からは360度の大パノラマが楽しめ、その素晴らしさは文句なし。単純に高いところから下界の景色を眺めることが、娯楽の原点であることを改めて感じさせてくれる。

二代目通天閣

(写真は 二代目通天閣)

展望台(91m)

 通天閣は再建後の丸50年の2006年、国の登録有形文化財に選定された。再建時の人気に陰りが見えて客足が落ちはじめたり、オイルショックで名物のネオンが消えた時期もあったが、大阪城とともに浪速っ子の自慢でもあった。今は人気も回復して500円で展望台に上がるのに休日は長い行列ができる。
 最近の新世界は往時の映画、劇場、立ち飲み屋が中心の歓楽街≠ゥら、天王寺動物園や通天閣からの眺めを楽しんだ後に名物となった串カツを味わう「観光地」へと変貌しつつある。通天閣の登録有形文化財選定によって訪れる人の見る目も変わり、スマートな街へと変わることを期待する地元民が多い。

(写真は 展望台(91m))

 新世界界隈は第二次世界大戦の空襲で焼け野原となって終戦を迎えた。戦前の新世界のにぎわいを知る人たちは「新世界には通天閣がないとあかん」と思っていたが、終戦直後は生きることが精いっぱいだった。やっと生活が安定し始めたころから、新世界町内会連合会役員らの音頭で出資者を募り、通天閣の再建を目指す通天閣観光株式会社が昭和30年(1955)に設立され、再建へ向け動き出した。
 初代・通天閣は戦時中の昭和18年(1943)1月、塔脚部分にあった映画館からの火災で通天閣は黒焦げになり無残に傾いた。焼け残った鋼鉄は解体され戦時中の金属回収に協力して供出された。

初代通天閣(大阪市立中央図書館 蔵)

(写真は 初代通天閣
(大阪市立中央図書館 蔵))


 
巴里の面影  放送 1月9日(火)
 明治36年(1903)天王寺一帯で開かれた第5回内国勧業博覧会は各国のパビリオンが建ち並び、遊技施設も目新しく多彩で、連日押すな押すなの大盛況だった。
 内国勧業博覧会は明治10年(1877)に東京で第1回が開かれ、2、3回目も東京、4回目が京都で開催された。大阪での5回目の内国勧業博覧会は、日清戦争勝利後の国威を示すチャンスとの意気込みがあり、日本の企業、団体の参加はもとより、外国からも13カ国が参加して「日本初の万国博」と呼べるほどの規模になり、会場は人並みであふれるほどの盛況だった。

第五回 内国勧業博覧会(大阪市立中央図書館 蔵)

(写真は 第五回 内国勧業博覧会
                (大阪市立中央図書館 蔵))

JAZZ&BAR BABY

 その広大な跡地の東半分は天王寺公園となり、西側では一大娯楽ゾーン作りが始まって、大正元年(1912)に「市民の共同娯楽園」たる新世界が誕生した。その前の明治45年(1912)新世界の中央に建設されたのが高さ64m、巴里の凱旋門の上にエッフェル塔を押っ立てたデザインの通天閣。「天まで通じる塔」と言われ、目新しいデザインと展望台からの360度の大パノラマに、浪速っ子は度肝を抜かれたようだ。
 通天閣の南側には、ニューヨークのコニーアイランドを真似た「不思議館」「美人探検館」「氷山館」などのパビリオンが建ち並ぶ遊園地・ルナパークが完成した。

(写真は JAZZ&BAR BABY)

 通天閣の北側には、これもパリをモデルにして放射状にショッピングモールが広がる街が誕生、今もその商店街は健在だ。
 新し物好きの浪速っ子の好奇心も手伝って、ルナパークも通天閣展望台も子供連れや浪速見物の観光客でにぎわった。だが、こうした人気も長続きはぜず、10年を過ぎる頃より新世界は家族向きの娯楽ゾーンから、大人向きの歓楽街へ姿を変えていった。バブル経済崩壊後、再び客の志向が変化し、子供連れで楽しめる街へと変わりつつあり、家族連れで串カツを食べる姿も見られるようになった。

東郷青児 画

(写真は 東郷青児 画)


 
ギャラリー再会  放送 1月10日(水)
 平成18年(2006)12月に通天閣が国の登録有形文化財に選ばれたが、同時にもう1件、新世界から登録有形文化財に選ばれた建物が「ギャラリー再会」。地元の人たちは「新世界から一度に2つもの文化財が生まれた」と大喜び。
 通天閣から放射状に延びる道を北東へほんのちょっと行った所にたたずむ、三角屋根に白壁の2階建て、しゃれた窓とテラス、南欧風の「ギャラリー再会」の建物は、昭和28年(1953)に喫茶店「再会」として建てられた。

外観

(写真は 外観)

一階

 新世界界隈では際立っている瀟洒な建物の設計者は、日本建築学会賞を受賞している優れた建築家の石井修氏。建物の内部も大変凝った造りになっている。
 戦前の洋風建築を思わせる外観が洒落ている。1階中央の大きな窓は2本の細いねじり柱や斜材で可憐な表情を見せ、壁のタイルもアクセントになっている。2階は1階より前にせり出し、左側に大きな縦長窓、右側に2連の半円アーチを支える太いねじり柱が目に入る。屋根の切妻面にクロス模様があしらわれ、左右対称とせず、1階、2階、切妻面と変化を持たせた構成が面白い。

(写真は 一階)

 内部は入り口付近から緩やかなカーブを描いて2階へ至る階段が最高の見ものとなっている。
また中央の列柱が目を引き、柱上部のアーチが1階空間を2分、列柱の間を縫うようにS字型の手すりがめぐらされている。
 喫茶店「再会」の閉店後、通天閣そばのラジウム温泉2代目社長・田前二郎氏が買い取り、設計者の石井氏の手で改修され「ギャラリー再会」としてよみがえった。2階ホールはコンサート会場などに利用されている。石井氏は「この建物はすでに壊されていると思っていたが、地域の人たちに親しまれ、大切にされていることを知り感激した」と言っていたそうだ。

二階

(写真は 二階)


 
新世界のジャズレーベル  放送 1月11日(木)
 通天閣から放射状に延びる道を北西へとると、店頭に下駄やツッカケが並ぶ澤野履き物店がある。大正3年(1914)創業の老舗だが、軒には「Hand-madeJAZZ澤野工房」の看板がかかっている。履き物とジャズの取り合わせには違和感を持たれるが、実はここは全国のマニアックなジャズファンの聖地とも言うべき店なのだ。
 4代目店主・澤野由明さんは「鼻緒をすえる下駄の時代は終わりかなあ」と商売の先行きを思案していた。そんな時、フランス人と結婚してパリに住んいる弟さんが「パリで日本のジャズレコードを売りたい」と言ってきたので、日本のレコードを輸出するようになった。

新世界と通天閣

(写真は 新世界と通天閣)

hand-made JAZZ 澤野工房

 「輸出するだけの一方通行では面白くない。自分もオリジナルのヨーロッパジャズを聴いて見たい」と思い、ヨーロッパジャズのレコードを制作して日本で販売を始めたところ、ジワジワとファンが増え売れ行きが伸びたと言う。
 ジャズが好きな兄弟が手を組んで始めたレコード販売は順調だったが、そのうち売り上げが下降線をたどり始めた。以前から念頭にあったレコード盤からCDに変えて「澤野工房」のレーベルで発売したところ大ヒットし、これまでに58枚のCDをリリースした。

(写真は hand-made JAZZ 澤野工房)

 澤野さんは「履き物店があるから趣味のレコードやCDを出す冒険もできた」と、履き物店をやめる気はない。さらに「新世界のような雰囲気の中でCDを作っているから面白がられるのでしょう」と言い、新世界を逆手にとって商売をしている。
 メジャーのCD制作ではないが、実力派ミュージシャンたちのピアノトリオを中心にした澤野工房レーベルのジャズが、今日も日本中へ発信されている。

新世界夜景

(写真は 新世界夜景)


 
音楽が生まれる街角  放送 1月12日(金)
 ド演歌のイメージが強い新世界だが、ジャズも流れれば、オリジナル・ミュージックも生まれる。こんな新世界に惚れて通天閣のすぐ傍らに居を移して活動しているのが、リズム・アンド・ブルースの歌手・大西ユカリさん。
 昨年9月から通天閣歌謡劇場で月1回公演を続けている。その1年間のライブと5年間の新世界住まいを通じて感じ、見たことを込めて作詞、作曲したのが「通天閣ブルース」。このド・ブルースとも言える「通天閣ブルース」をファンは面白がって聴き、地元の人たちは親近感を抱いてくれた、と彼女は言っている。

通天閣歌謡劇場

(写真は 通天閣歌謡劇場)

通天閣からの眺望

 居酒屋が並ぶ新世界の通りのガラス扉に「since1934」とある目立たない家の「ヒライ楽器店」は、手作りの高級ギターの店として知る人ぞ知る存在。
 扉を開いて中へ一歩足を踏み入れれると、ギターの材料の木の香が漂う工房では、ギターを作って40年の店主・平井俊一さんが、黙々とギターの製作に取り組んでいる。父親が昭和9年(1934)に創業して、主にバイオリンの製作をしていた工房を引き継いだ平井さんだったが、バイオリンでなく奥行の深い音色に引かれてギターの製作を選んだ。

(写真は 通天閣からの眺望)

 平井さんは「ギターの形を整えるだけなら器用な人なら誰でもできる。自分の音を出せるように作るのは簡単ではない。音を聴き取る耳を鍛え、技術を磨かなければならない。もっとええ音を、もっとええ音をと追求するときりがない」と言う。
 すべての作業ををひとりでこなすので、1点を仕上げるのに最低3カ月はかかる。安いギターで40万円ほどするが、定評あるヒライブランドは値段に関係なく注文の絶えることがなく、製作に追われていると言う。

ヒライ楽器店

(写真は ヒライ楽器店)


◇あ    し◇
通天閣・新世界JR環状線新今宮駅徒歩5分。 
地下鉄御堂筋線、堺筋線動物園前駅・恵美須町駅をそれぞれ下車徒歩5分。
◇問い合わせ先◇
通天閣観光株式会社
通天閣歌謡劇場
06−6641−9555
ギャラリー再会06−6641−3093 
澤野工房06−6641−5015 
ヒライ楽器店06−6632−5476 

◆歴史街道とは

    関西は「歴史・文化の宝庫」として世界に誇れる地域です。歴史街道では、日本の歴史文化の魅力を楽しく体験し、実感できる旅のルートとエリアを設定しました。伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸といった主要歴史都市を時代の流れに沿ってたどる「メインルート」と各地域の特徴をテーマとして活かした3つの「ネットワーク」です。

 

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  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」

    の3つの目標を掲げ、その実現を目指しています。

 

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