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月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
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越前・福井市の歴史探訪 |
福井市は九頭竜、足羽、日野の三大河川によって形成された肥沃な平野が広がり、海の幸、山の幸に恵まれて古くから開けていた。また奈良、京の都からの北陸への玄関口に当たり、交通、軍事上の要衝の地で、戦国時代から歴史上にもしばしば登場した。こうした背景を持つ福井市の歴史を探訪してみた。 |
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越前の豪族の存在を示すのが、永平寺町から坂井市丸岡町にかけて約300基の古墳が点在している松岡古墳群。ここにはこの地方を支配した豪族の墓と見られる全長129mの前方後円墳の手繰ヶ城山(てぐりがじょうやま)古墳があり、大型古墳は越前特産の笏谷石で造られた舟形石棺で被葬者を埋葬しているのが特徴。また坂井市三国町の三国神社には継体天皇が祭神として祀られている。 |
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(写真は 三国神社) |
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朝倉館跡を中心に館や庭園が取り囲んでいた。荒々しい石組が武家の庭園を象徴する湯殿跡庭園、3代当主・貞景が娘のために再興した尼寺の南陽寺跡庭園、義景の母で「二位の尼」の称号を持った光徳院が住んだ中の御殿跡、義景の側室・小少将のために造られた諏訪館跡庭園などが発掘調査で確認された。 |
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(写真は 復原町並) |
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足羽山の西麓にある臨済宗妙心寺派の瑞源寺は、5代藩主・松平昌親(まさちか)、後に7代藩主となった吉品(よしのり)が、延宝2年(1674)に鯖江から移築した寺で、吉品と母が埋葬された墓所があり、松平家の菩提所のひとつ。ほかに福井県内で福井藩主の菩提所は永平寺と福井市内の大安禅寺の3ヵ所。 |
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(写真は 瑞源寺・書院(大奥御座の間)) |
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福井市の足羽山の北西山麓にあり、現在は料亭となっている丹巌洞(たんがんどう)は、かつて松平春嶽や中根雪江、橋本左内、由利公正ら幕末の志士らが密会の場として使った。またこれらの人物の歌や坂本龍馬と由利公正の会見記などなどが残されている。 |
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(写真は 丹巌洞) |
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トピックゾーンは「昭和の暮らし」。昭和30年から40年代(1955?1974)の暮らしを取り上げ、懐かしさがいっぱいの映画館や駄菓子屋、本屋、大衆食堂などが建ち並ぶ街角、電化製品が並ぶ家庭の居間や台所など、30歳以上の人たちならかつて身の回りにあった「モノ」ばかり。この時代はマイカーが各家庭に普及し始め、都道府県別マイカー普及率で全国1位の福井県民にとっては、マイカーは身近な必需品となり始めた時である。 |
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(写真は トピックゾーン 昭和の暮し) |
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