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月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
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彦根市・築城400年の彦根城 |
国宝・白亜の天守閣が美しい名城・彦根城は2007年、築城400年を迎え、3月21日から11月25日まで築城400年祭としてさまざまな行事が予定されている。今回は築城400年祭に訪れる人たちの予備知識にしてもらうため彦根城を探訪してきた。 |
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表門をくぐり天守閣へ向かう表坂は、曲がりくねった石段まじりの坂道で、石段の高さが不規則で登りづらく、両側に石垣がそびえ堀の底を歩いているようだ。この空堀のような石段の坂道を登ると、頭上に廊下橋と呼ばれる橋が架かっており、橋を挟んで左右対称にある櫓を天秤櫓(国・重文)と言う。 |
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(写真は 天秤櫓) |
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天守閣のある本丸表口を固めるのが太鼓門櫓(国・重文)で、城内に合図をする太鼓が置かれていたことからこの名がつけられた。本丸への最後の関門であり、堅牢な造りになっている。柱に釘の跡が残っていたことから、築城前から彦根山にあった彦根寺の楼門と伝えられていたが、最近の調査で佐和山城か長浜城の城門を移築したとの見方が強まった。 |
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(写真は 天守閣) |
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月明かりに浮かぶ天守閣の美しさは格別で、今も「月明・彦根の古城」として琵琶湖八景のひとつになっている。もちろん外観ばかりでなく、敵の襲撃に備えた城郭本来の守りの機能も非常に優れている。 |
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(写真は 鉄砲挟間) |
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直弼は11代藩主・直中の14男として文化12年(1815)に生まれ、5歳で母を失い、17歳で父を亡くした。多くの兄がいた直弼は藩主になれる見込みはなく、藩の掟によって300俵の捨扶持で暮らす部屋住みだった。 |
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(写真は 埋木舎) |
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徳川家光から拝領した我宿蒔絵硯箱(わがやどまきえすずりばこ=国・重文)など、藩主らが用いた茶道具や陶器類なども多い。幕末の大老・井伊直弼の二女・弥千代姫の雛(ひな)道具や幻の焼き物と言われた「湖東焼」など珍しい品もある。徳川幕府の大老を6人も出した井伊家文書(国・重文)は、幕府の政治を知る上で貴重な資料とされ、幕末の開国を巡る動きや安政の大獄などの様子を知ることができる。 |
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(写真は 天光室) |
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