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月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
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生駒市、東大阪市、奈良・平群町 |
大阪府と奈良県の府県境にある生駒山は古代から信仰の山とされてきた。その生駒山の大阪、奈良両側の山麓や南へ延びる生駒山系の山麓には、由緒ある古社寺が多い。今回はこれらの古社寺を訪ね歩いた。 |
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宝山寺の開祖・湛海は絵画、仏像彫刻の才にも秀でたものがあったようで、本尊の不動明王像や厨子入五大明王像(国・重文)を彫っているほか、本尊の脇侍も湛海の作と伝えられている。また、元禄12年(1699)東山天皇から皇子誕生祈願の勅命を受け、皇子二人の誕生が相次いだ。 |
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(写真は 厨子入五大明王像) |
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往馬大社の南方500mほどに位置する竹林寺は行基の開創と伝わり、境内には行基の墓所がある。行基(668〜749)は和泉国の生まれで奈良時代の高僧。諸国をまわって橋を架けたり、道を作るなどの土木事業を行ったり、社会福祉事業に努めたほか、寺を創建して庶民に仏教を広め菩薩と崇められた。 |
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(写真は 行基墓) |
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寺宝で有名なのが国宝の信貴山縁起絵巻3巻である。飛倉の巻は明蓮が行う飛鉢の法の不思議さを描き、延喜加持の巻は明蓮が醍醐天皇の病気平癒を果たした図、尼公の巻は明蓮の姉の尼公が訪ね来て、明蓮と共に毘沙門天を奉じた物語を描いている。作者は鳥獣戯画を描いたと言われる鳥羽僧正と伝えられているが確証はない。 |
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(写真は 信貴山縁起絵巻) |
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広い土間の奥が釜屋(台所)で、6連の大きなかまどがデンと築かれている。土間の広さ、かまどの大きさから大勢の村人の集まりにも対応できるように作られている。屋敷内にあった離れ座敷は明治42年(1009)に移築されて平群町役場の議場となり、役場が移転した後は奈良県立郡山高校の裁縫室・作法室(茶室)として利用され、昭和42年(1967)まで残っていた。 |
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(写真は 藤田家住宅内部) |
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誰もが抱えているのが病と悩み。これを取り除いてもらえるのが石切さんとなれば、参詣者が絶えないのも当然かも知れない。この庶民の心情をよく表しているのが、近鉄奈良線石切駅から続くだらだら坂と呼ばれる長い参道に軒を連ねる店。土産品、食堂はもとより日用品、おばちゃん向けのファッション、和漢薬などの店のほかに占いの館、祈祷の店が目につく。 |
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(写真は だらだら坂) |
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