月〜金曜日 18時54分〜19時00分


伊勢市

 伊勢神宮の門前町・伊勢市はすべてが伊勢神宮を中心に回っている。正月には初詣客で大変なにぎわいを見せるほか、年間を通じてお伊勢参りの参拝客が絶えない。当然ながら伊勢市にはお伊勢参りにまつわる史跡や旧跡、商店街、名物が多い。今回はこうした門前町の様子を訪ね歩いてみた。


 
参宮街道・宮川の渡し 放送 4月9日(月)
 京都、大坂をはじめ西国からの伊勢神宮参拝の旅人たちは、宮川の渡しを渡るといよいよ神都へ入ったとの感慨を新たにした。宮川は古代には天皇の代理として伊勢神宮に仕えた天皇の皇女や女王が務めた斎王や勅使が禊(みそぎ)をした神聖な川であった。宮川は紀伊山地の大台ケ原の主峰・日出ヶ岳(1695m)に源を発し、伊勢湾に流れ込む全長約91kmの三重県下で最大の河川で、全国の一級河川の中でトップの水質を誇る清流でもある。
 万葉集の歌には「度会の大川」と詠まれており、このほか度会川、豊宮川などとも呼ばれていた。平安時代になって伊勢神宮の近くを流れていたことから宮川と呼ばれるようになった。

両宮曼茶羅(神宮徴古館農業館 蔵)

(写真は 両宮曼茶羅(神宮徴古館農業館 蔵))

宮川の渡し(歌川広重 画・神宮徴古館農業館 蔵)

 宮川には明治時代になるまで橋がひとつもなく、参宮街道を来た参宮者は下の渡し、伊勢本街道と熊野街道を来た参宮者は上の渡しから渡し舟を利用して宮川を渡り伊勢神宮へ向かった。この方面からのお伊勢参りの旅人は、この二つの渡しのいずれかを渡らなければならず、渡し場は大変な混雑をきたした。
 特に江戸時代に爆発的なお伊勢参り現象が起こったおかげ参りの時には、乗船の順番待ちの長い列が続き、船はピストン輸送をして客をさばいた。歌川広重の「宮川の渡し」の絵にも、おかげ参りのノボリを持った参宮者が、船に乗って宮川を渡る様子が描き残されている。ほかに地元の人たちが利用した磯の渡しが下の渡しの下流にあった。

(写真は 宮川の渡し
(歌川広重 画・神宮徴古館農業館 蔵))

 斎王や勅使はもとより一般の参宮者もこの宮川で禊をして身を清めてから、伊勢神宮に向かうのが常識だった。しかし次第にその風習がすたれ、江戸時代には土地の子供たちが参宮者に代わって代金をもらい、水を浴びる「代垢離(だいごり)」もあったようだ。
 この上の渡しと下の渡しの間の宮川堤は今に至るまで桜の名所として知られ、三重県の名勝に指定されている。馬で宮川まで来た参宮者はここで乗ってきた馬を返し、川べりの茶屋で一服した。この茶屋で出されたのが「へんば(返馬)餅」だった。馬を返す茶屋で出された餅だったのでこの名がつき、茶店も「へんばや」と呼ばれ、今も営業を続け名物のへんば餅を売っている。

へんば餅(へんばや)

(写真は へんば餅(へんばや))


 
舟参宮・二軒茶屋 放送 4月10日(火)
 伊勢神宮の東方にあたる尾張、三河、遠江、江戸方面からの参宮者は、東海道を経て参宮道をたどる陸路と現在の愛知県蒲郡市付近から船で伊勢湾を横切って伊勢の地に上陸する海路があった。
 この海路のコースは「どんどこ船」と呼ばれる船に乗り、鉦(かね)や太鼓を打ち鳴らし、伊勢音頭を歌いながら伊勢の大湊まで来た。ここで小舟に乗り換えて勢田川を遡り、伊勢の地を踏んだ。
当時、その舟着き場は一面の芦の原で、舟着き場には餅を売る茶店「角屋」と、うどんとすしの「湊屋」がぽつんと建っていたため、いつからか二軒茶屋と呼ばれるようになった。

神社(かみやしろ)港

(写真は 神社(かみやしろ)港)

おかげ参り風俗屏風(神宮徴古館農業館 蔵)

 舟を降りたお伊勢参りの旅人たちは、この茶屋で甘くて腹持ちのよい餅を口にし、熱い茶をすすりながら長い旅の疲れを癒し、元気を取り戻して伊勢神宮へ向かった。お伊勢参りの名物となった餅を売る角屋は、天正年間(1573〜92)創業と言われ、今も同じ地で二軒茶屋餅を商っている。
 明治時代に参宮客に人気だったのが地ビールの「神都ビール」。この地ビールを復活しようと醤油蔵を改造して、地ビール工房&レストラン「伊勢角屋麦酒蔵」が平成11年(1999)に二軒茶屋のすぐそばにオープンした。茶屋の隣りの「二軒茶屋餅・かどや民具館」では、角屋に伝わる大福帳や古い餅つき道具、宿泊人名簿など、昔のお伊勢参りに関わる資料を展示している。

(写真は おかげ参り風俗屏風
(神宮徴古館農業館 蔵))

 伊勢神宮への参拝の交通手段は鉄道、バス、マイカーに取って代わられ、二軒茶屋付近は観光ルートからはずれた。往時のにぎわいはないものの、角屋では遠来の客を二軒茶屋餅や地ビールでもてなし、民具館の古い資料で昔のお伊勢参りの様子をしのんでもらっている。また毎年5月には目の前の勢田川で、木造船「どんどこ丸」によるにぎにぎしい舟参宮が再現がされる。
 伊勢にはお伊勢参りの旅人の疲れを癒した名物餠の多くが今も伊勢名物として売られている。「二軒茶屋餅」のほかに宮川の渡し跡で売られている「へんば餅」、各地の駅の売店にも並べられているお馴染みの「赤福餅」や「岩戸餅」「神代餅」「御福餅」「くうや餅」「太閤出世餅」などがある。

二軒茶屋餅(角屋本店)

(写真は 二軒茶屋餅(角屋本店))


 
舟運で栄えた町・河崎 放送 4月11日(水)
 伊勢市の中心部を貫流して伊勢湾に注ぐ勢田川に沿って開けたのが河崎の町。戦国時代から勢田川を利用する水上輸送が発達して、伊勢志摩はもとより諸国の産物がここに集まり、勢田川の両岸約1kmにわたりそれらを商う商店や問屋がずらりと並び、本格的な町としての機能を整えてきた。
 こうして河崎は地元住民をはじめ全国からやって来る大勢の参宮客の需要を賄う大量の食料品や生活物資を供給する「伊勢のだいどこ(台所)」として、江戸時代から昭和時代の中ごろまで繁栄を続けた。特に江戸時代に起こった「おかげ参り」と言う爆発的なお伊勢参りが流行した時には、河崎に大量の物資が集まり大変なにぎわいをみせた。

川の駅河崎

(写真は 川の駅河崎)

河崎之絵図(元禄14年)

 勢田川は伊勢市の南部の鼓ヶ岳に源を発する全長わずか7kmの小河川だが、満潮時には伊勢湾から海水が逆流して満々と水をたたえ、天然の運河となる感潮河川。この満潮時を利用して荷物を満載した舟が川を容易に遡ることができ、それぞれの商店へ物資を運び込んだ。
 大きな商店や問屋は川に面した裏側に舟着き場を設けたり、物資を保管する白壁の土蔵を川べりに建てていた。また蔵から店まで重い荷物を運ぶトロッコ用のレールを敷いていた店もあった。河崎の商家の造りは伊勢神宮の平入造りに遠慮して妻入造りにしており、その瓦屋根がノコギリの刃のように連なる美しい町並みが河崎の特徴でもある。

(写真は 河崎之絵図(元禄14年))

 戦後、物資輸送の中心がトラックに代わってからは、伊勢市の中心街に位置していた河崎は大型トラックなどが進入が難しくなったほか、車を利用する顧客たちも出入りがしにくくなった。このため河崎の店を閉めてトラックなどが出入りしやすい交通の便のよい郊外へ移転する商店や問屋が増え、水運に頼っていた河崎はひっそりとした町になってしまった。
 だが、最近は昔ながらの商家が建ち並ぶ河崎の町が見直され、今は河崎の町を大切に思う人たちの手によって古い町家を活用した新しい店が開店し、少しずつ活気を取り戻している。こうした河崎の町に郷愁を覚える観光客も増え、にぎわいを見せるようになったきた。

勢田川船舶出航表

(写真は 勢田川船舶出航表)


 
伊勢河崎商人館 放送 4月12日(木)
 伊勢市の中心街を流れる勢田川に並行する通りに沿って切妻の瓦屋根が続き、妻入の町家や蔵が並んで昔の面影を色濃く残しているのが河崎の町並。伊勢地方では伊勢神宮の正殿が平入造りなので、一般民家は伊勢神宮に遠慮して妻入造りにしたと伝えられている。
 こうしたことから河崎の町も妻入造りの瓦屋根が、ギザギザのノコギリのように続く甍(いらか)の美しい町である。裏口を勢田川の川岸に向けた商家では、舟からの荷の積み下ろしをするために、水べりに舟着き場を設け蔵を建てており、今もその舟着き場が残っている。

河崎

(写真は 河崎)

伊勢河崎商人館

 水運によって物資の集散地となり、伊勢の経済の中心地として栄えた河崎の町だったが、陸上輸送の発達に伴ってトラック輸送が主流を占めるようになり衰退の道をたどり始めた。商店や問屋の中には店じまいをして陸上輸送に適した郊外へ移転するようになった。こうした状況に危機感を持った人たちが「河崎の町に今も残る歴史遺産を有効利用して後世へ残そう」と動き始めた。
 その熱意の現れのひとつが平成14年(2002)にオープンした「伊勢河崎商人館」。江戸時代から酒問屋を営んできた小川商店の蔵7棟、母屋2棟など延べ1000平方mの建物が伊勢市に寄贈された。伊勢市は敷地を買収してこれらの建物を修復整備して商人館に衣替えし、その運営を「NPO法人・伊勢河崎まちづくり衆」にまかせた。

(写真は 伊勢河崎商人館)

 商人館となった建物は人が住み、商いが行われてきた建物だけに、そこかしこに先人の暮らしぶりがありありと見える。伊勢と河崎の歴史や文化を学ぶには、これらの資料が展示されている商人館の「河崎まちなみ館」へ行くの近道。
 母屋だった建物は商人館の中心施設で、商家の和室と京都・裏千家の茶室・咄々斎(とつとつさい)を模した茶室のほかに商家の道具、資料などが展示されている。三つの大きな蔵にはミニ店舗が入り、干物や寿司、伊勢うどんなどの伊勢名物の食べ物や日常生活で使う雑貨や食品などの販売と展示を行っている。このコーナーには昔懐かしい色々な品物が並んでおり、見るだけでも夢が膨らみ楽しくなってくる。

商人倶楽部

(写真は 商人倶楽部)


 
町を活かすのれんと人々 放送 4月13日(金)
 物資輸送の主力が水上輸送から陸上輸送に移った昭和30年(1955)ごろから、河崎では問屋の移転、閉店が相次ぎ、わずかの老舗と昔ながらの町並が残された形となった。一時は寂れてしまった河崎だが、空いた町家や蔵をいたずらに放置しておく手はないと、有志の人たちが立ち上がった。
 その現れとして「伊勢河崎商人館」や「河崎まちなみ館」がある。また古い町並みに新しい感覚を持ち込んだ店を開く人たちも増え、古くからあるのれんの間に喫茶店、居酒屋、美容院など、いくつもの新しいのれんが掲げられ、河崎は伊勢の新しい名所として再び多くの客を集めるようになった。

ギャラリー喫茶 河崎蔵

(写真は ギャラリー喫茶 河崎蔵)

コワフューレ千代

 新旧いずれの店にも個性的な店主が顔を揃えているが、その代表とも言えるのが江戸時代中期の宝暦6年(1756)創業と言う陶磁器の老舗「和具屋」の90歳近い14代目女将・大西とよのさん。流暢な伊勢弁と笑顔で河崎や伊勢の歴史を語るのが名物になっている。
 和具屋は陶磁器問屋を営むと同時にお伊勢参り客の宿の斡旋やお札の手配などをした伊勢神宮の御師(おし)の家でもあった。このため江戸時代の旅のガイドブックや当時の百科事典、錦絵などが残っており、これらのお伊勢参りの資料と先代の当主が集めた古い陶器を一般公開しており、博物館を兼ねた商店と言える。

(写真は コワフューレ千代)

 新感覚を取り入れた店も次々に開店しており、新旧の商店を眺めて歩くだけでも楽しい。白壁が美しい蔵を活用したギャラリー喫茶「河崎蔵」、外観は古風な商家ながら内部はゴージャスな雰囲気の美容院「コワフュール千代」など、こうした新機軸を打ち出した店が増えているが、違和感はなく古い河崎の町並みに溶け込んでいる。
 一方、昔の雰囲気と情緒をそのまま伝えている商店もある。元禄時代(1688〜1704)創業と言う鰹節の「山下五郎兵衛商店」には、昔ながらの帳場や千本格子の建具が健在で、明治時代の自転車まで残っている。伊勢と言えば伊勢うどん。河崎にも橋の近くに多くのうどん屋があった。仕事の合間にさっと腹ごしらえをするのに橋のそばは便利だったようだ。今もその名残を伝えているのが伊勢うどん「つたや」である。

伊勢うどん(つたや)

(写真は 伊勢うどん(つたや))


◇あ    し◇
宮川の渡し、へんばや(へんば餅)近鉄山田線宮町駅、JR参宮線山田上口駅下車
徒歩10分。
二軒茶屋餅近鉄鳥羽線宇治山田駅からバスで二軒茶屋下車すぐ。
伊勢河崎商人館、和具屋(陶磁器)
山下五郎兵衛商店(鰹節)
珈琲河崎蔵
コワフュール千代(美容院)
つたや(伊勢うどん)
近鉄山田線伊勢市駅又は鳥羽線宇治山田駅、
JR参宮線伊勢市駅下車徒歩15分。
◇問い合わせ先◇
伊勢市観光協会0596−28−3705
へんばや0596−22−0097
二軒茶屋餅0596−21−3108
伊勢河崎商人館0596−22−4810
和具屋0596−28−2840
山下五郎兵衛商店0596−28−2529
珈琲河崎蔵0596−29−1872
コワフュール千代0596−29−3629
つたや0596−28−3880

◆歴史街道とは

    関西は「歴史・文化の宝庫」として世界に誇れる地域です。歴史街道では、日本の歴史文化の魅力を楽しく体験し、実感できる旅のルートとエリアを設定しました。伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸といった主要歴史都市を時代の流れに沿ってたどる「メインルート」と各地域の特徴をテーマとして活かした3つの「ネットワーク」です。

 

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」

    の3つの目標を掲げ、その実現を目指しています。

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

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