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月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
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和歌山市、海南市 |
紀淡海峡に面した和歌山市と海南市の海沿いには風光明媚な景勝地が多く、飛鳥、藤原、奈良時代には天皇の行幸に供をした万葉歌人たちが多くの歌を詠んでいる。平安時代以降は熊野詣の上皇、天皇、貴族たちも、これらの風景を楽しみながら熊野三山を目指した。江戸時代に入ってから徳川御三家のひとつ、紀州徳川家のお膝元となり、文化や産業などに徳川家から大きな影響を受けた町である。 |
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紀三井寺は歴代天皇の行幸があり、後白河法皇は勅願所とするなど朝廷の崇敬も篤かった。鎌倉時代には500人を超える僧侶を抱えていた大寺で、江戸時代には紀州藩の歴代藩主も篤く信仰、寺領などを寄進した。明治維新の排仏毀釈(はいぶつきしゃく)で一時衰退した。寺には本尊、楼門のほかにもう1体の十一面観世音菩薩像、千手観世音菩薩像、梵天、帝釈天像、鐘楼、多宝塔が国の重文に指定されている。境内からの眺めもよく、眼下に和歌山市街地や和歌浦の景勝地が一望できる。 |
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(写真は 十一面観音菩薩像) |
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中国の西湖の六橋を模して作られたと言う三断橋を渡り和歌浦に浮かぶ小さな小島の妹背山へ。 |
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(写真は 玉津島神社) |
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古墳時代の住居を復元した竪穴住居の中は薄暗く、広さは約14畳ほどである。そこにはカマドや貯蔵穴もあって古代人の生活ぶりがうかがえる。カマドで火を燃やして古代人の生活がどのようなものであったかの体験教室も開いている。 |
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(写真は 旧柳川家住宅) |
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友ヶ島は長い間、人の立ち入りが禁止されていたので荒らされずに自然環境が保たれ、温暖な気候と黒潮の影響で多くの植物が育っている。特に沖ノ島の深蛇池(しんじゃいけ)やほかの小沼には、亜熱帯植物を含む470種もの植物が生い茂っている。 |
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(写真は 第2砲台跡) |
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漆器の町・黒江の川端通りを中心に紀州連子と呼ばれる高い格子連子の江戸時代の町家が軒を連ねている。表通りには問屋が店を開き、裏通りには漆器の塗師や木地師ら職人の家が建ち並んでいる。この裏通りの家々は道路に並行でなく、斜めに建っているためノコギリの歯のようにギザギザ状である。このため道路と家の間にできた三角形の空き地を材料置き場や手押し車の置き場などに使っていた。狭い土地を有効に使う職人の知恵ではなかろうかと言われているが、こうした家の建て方をした真意は定かでない。 |
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(写真は 紀州漆器(黒江塗)) |
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