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月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
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奈良市・万葉の平城京・春 |
2010年に古都奈良は平城遷都1300年を迎える。遷都とともに飛鳥の宮から平城京へ移り住んだ万葉人たちは、初めは飛鳥の里を思い出し、懐かしむ歌を詠んだ。平城京の生活に慣れて親しむようになると、素晴らしい奈良の都を歌いあげ、天平文化に華を添えた。今回は万葉集に歌われた平城京の地を訪ねながら、当時に思いを馳せてみた。 |
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平城京跡の本格的な発掘調査は、奈良文化財研究所の手によって昭和34年(1959)から始まり、現在も調査は続いている。平城京跡からは建物跡や瓦、土器、木簡などの遺物が数多く出土し、徐々に平城京の規模や建物の配置などが明らかになっている。 |
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(写真は 平城京最大の柱 |
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平城宮は高さ5mの築地大垣に囲まれ12の宮城門があった。その中で朱雀大路の終点の南玄関にそびえていたのが朱雀門だった。 |
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(写真は 朱雀門) |
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平城京は和銅3年(710)に藤原京から遷都してから延暦3年(784)桓武天皇が長岡京へ遷都するまでの74年間であるが、この間、聖武天皇が天平12年(740)恭仁宮へ、そして紫香楽宮、難波宮と相次いで都を移し、再び天平17年(745)に平城京に戻った時期を境に奈良時代を前期と後期に分けられる。 |
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(写真は 東院庭園) |
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現在の本堂・極楽坊(国宝)は、僧坊のひとつであって浄土信仰に心を寄せ、浄土教を研究していた僧・智光が「智光曼陀羅(国・重文)」を本尊として安置していたことから極楽坊、極楽堂、曼荼羅堂などと呼ばれていた。禅室(国宝)も当時の僧坊のひとつで念仏道場だった。極楽坊、禅室の屋根には飛鳥の法興寺から運んできた瓦が、1400年経過した今も残っている。この屋根の瓦は丸瓦を重ねて葺く「行基葺き」と言われる独特の手法の葺き方である。 |
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(写真は 本尊 智光曼茶羅) |
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シカが草を食む浅茅ヶ原には宝形造りで茅葺き屋根の円窓(まるまど)亭(国・重文)や鏡のような鷺池に六角形の優美な姿を映す浮見堂など、奈良を代表する風景がある。 |
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(写真は 浮見堂) |
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