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月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
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宇治市 |
京都市に近い宇治市は、平安時代にはその風光明媚な自然と地理的条件が貴族たちに好まれ、別荘地として持てはやされ、源氏物語宇治十帖の舞台にもなった。こうしたことから宮廷文化の雅が今も随所に感じられる。一方、高級茶・宇治茶の茶所としても知られ、他都市にない独特の雰囲気を醸し出す都市でもある。 |
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堀井七茗園では茶木の品種改良にも取り組み、在来種の中から優れた品種を絞り込み、足かけ20年の歳月をかけて改良した碾茶向きの「成里乃」と玉露向きの「奥ノ山」の新品種2種を誕生させた。 |
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(写真は 抹茶成里乃) |
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この菟道稚郎子と応神天皇、仁徳天皇の父子3人を祀っているのが宇治上神社。本殿(国宝)は平安時代中期の建立と推定され、現存する神社建築で最古のものである。中央に父・応神天皇、左に菟道稚郎子、右に仁徳天皇を祀る3棟の社殿が、大きな建物の覆屋で覆われていると言う特徴的な社殿である。離宮明神、離宮社とも称されており、同じ時期に建立された平等院とともにユネスコの世界文化遺産に登録されている。 |
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(写真は 桐原水) |
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朝日焼は朝日山の土を使って焼いている。その土は長年寝かせて自然風化させたもので、現在、窯元に残っている土は、幕末の安政年間(1854〜60)に9代目窯元が採取したものである。今は宇治川対岸の丘陵地の折居山から土を採取しているが、この土は現在の窯元の孫の代になってようやく焼物になる。 |
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(写真は 八代形窯変煎茶器 十五代豊斎作) |
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中村藤吉本店の創業以来の家訓は「子々孫々にわたり宇治の地で茶の商いに精進し、茶の薫煙を絶やさぬように」と言う「茶煙永日香」。この家訓は初代藤吉が創業まもないころ、京都・伏見に滞在していた勝海舟に会った時、海舟から贈られ、海舟が自ら筆を執って書き上げた五文字の書が伝わっている。 |
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(写真は 天皇家への献上茶の栄誉) |
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江戸時代には宇治茶は徳川将軍や各地の大名たちにも献上された。中でも徳川将軍に献上するお茶の行列は「お茶壺道中」として有名で、大名行列も道を譲ったほど格式の高いものだった。「ズイズイズッコロバシゴマミソズイ 茶壺に追われてトッピンシャン…」の童謡は、お茶壺道中にあわてふためく様子を歌ったものである。 |
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(写真は お茶の重兵衛) |
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