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月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
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小浜市 |
古くから大陸文化や都の文化が入ってきて海の玄関口だった小浜市には古寺名刹が多く「海のある奈良」と呼ばれていた。海の幸も豊富で、古代の朝廷へ海の幸をを納めた御食国(みけつくに)でもあり、その運搬ルートが鯖街道として今に伝わっている。こうした伝統文化が息づき、海の幸に恵まれた小浜市を訪ねた。 |
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北前船屋敷のすぐそばには廻船問屋の豪商・古河屋嘉太夫が江戸時代末期に建てた屋敷「千石荘」があり、ぜいを尽くした造りや襖絵、屏風絵、庭園などが伝わっている。北前船屋敷、千石荘とも旅館・福喜の所有となっており、旅館の利用者は内部を無料で見学できる。 |
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(写真は 三丁町) |
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出土した木簡から当時、都で使っていた塩のほとんどが若狭から納められていたものであったと考えられる。塩は調(ちょう)と言う税金とした納められていたもので、万葉集にも「藻塩焼く…」と歌われていたように、若狭の海岸でも盛んに製塩が行われていた。土器に入れた海水を煮詰めて塩を生産した土器製塩遺跡が、若狭に60ヶ所ほど確認されている。 |
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(写真は 岡津製塩遺跡) |
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小浜市は全国でも珍しい「食のまちづくり条例」を制定している。また食文化を紹介する「御食国若狭おばま食文化館」が平成15年(2003)にオープン、奈良時代からの若狭の食文化の歴史を紹介している。郷土料理などを作り、味わうキッチンスタジオや伝統工芸の若狭瓦、若狭めのう、若狭塗、若狭和紙作りなどが体験できる若狭工房、医食同源の観点から心身の疲れを癒す温泉施設もあると言うユニークなミュージアムだ。 |
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(写真は 鯖懐石(福喜)) |
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このお水送りの起源は次のように伝えられている。二月堂が建立された時に行われた修二会に、日本各地の神々が招かれた。ところが若狭国の遠敷明神は魚釣りに夢中になっていてこの修二会に遅刻した。そのお詫びとして二月堂の本尊に供えるお香水を若狭の遠敷川から送ることを約束した。 |
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(写真は 女神坐像) |
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深沙大将像は仏教の守護神のひとつで、玄奘(三蔵法師)がインドへ旅した時に砂漠で守護したと伝えられる護法神で、多聞天あるいは観音の化身とされる。像は忿怒(ふんぬ) の相をし、頭に髑髏(どくろ)を乗せ、腹部に人面をつけ、左手に蛇をつかむ異形像。 |
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(写真は 深沙大将立像) |
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