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月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
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大和郡山市 |
大和郡山市は古くは平城京の隣接地であり、東大寺の荘園があったことなどから早くから開けた町だった。戦国時代に城が築かれ城下町として発展し、特に豊臣秀長が城主になってからは大和の商業の中心地として栄えた。また全国有数の金魚の生産地として知られ、毎年、全国金魚すくい選手権大会が開かれている。 |
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郡山城を築き城下町を繁栄に導いた秀長は天正19年(1591)51歳で死去し、この地に埋葬された。秀吉が建立した大光院が菩提寺だったが、京都・大徳寺塔頭として移築されたため、東光院(現春岳院)に位牌と墓所の管理が託された。東光院は秀長の戒名にあやかって春岳院と改め、秀長ゆかりの品々を蔵している。 |
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(写真は 大納言塚) |
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本尊の延命地蔵菩薩像が安置されている脇には仏を守護する増長天像と広目天像が立っている。ほとんどのお地蔵さんは右手に杖、左手に如意宝珠を持っているが、矢田寺の地藏さんは右手の親指と人差し指を結び、左手は掌を上にして宝珠を乗せている独特のスタイルで「矢田型地蔵」と呼ばれている。 |
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(写真は 本尊 延命地蔵菩薩像) |
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地蔵信仰の寺・矢田寺の境内には多くの石地蔵がある。参道を少し下がった所に「見送り地蔵」と呼ばれる石地蔵が立っている。矢田寺の満米上人が閻魔(えんま)大王に戒律を授けて地獄から帰った後、地蔵菩薩を刻むのに苦労していた時、春日四社明神の化身の4人の翁が地蔵菩薩を彫って去った時の翁を見送る姿を刻んだものと言われている。 |
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(写真は 味噌なめ地蔵) |
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「内町十三町」のうちのひとつ紺屋町は、藍染め職人の家が集まった職人町で、藍染めした布を流水で晒したと言われる細い紺屋川が、今も道路の真ん中を流れている。 |
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(写真は 箱本館 紺屋) |
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大和郡山の金魚養殖に尽力した故嶋田正治氏が金魚養殖の「やまと錦魚園」内に自費で建設した「郡山金魚資料館」がある。「泳ぐ図鑑」と言われる金魚水族館の館内には金魚の原種から高級金魚までが飼育展示されている。ほかに金魚の錦絵など金魚に関する資料が数多く展示されており、金魚のことなら何でもわかる。 |
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(写真は 金魚) |
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