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月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
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神戸市 |
神戸市民らから「楠公さん」と呼び親しまれている湊川神社は、生田神社の「生田さん」、長田神社の「長田さん」と並ぶ神戸市を代表する神社である。特に南北朝時代に南朝の天皇に変わりない忠節を尽くした武将・楠木正成を祭神としていることから、時代を問わず楠公さんを崇敬する参拝者が多い。今回は湊川神社を中心に楠公さんにゆかりのある地を訪ねた。 |
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明治維新後の明治元年(1868)明治天皇が、楠木正成の忠義を後世に伝えるため神社創祀の沙汰を下した。すでにあった墓所、自決地を含めて境内地が定められ、明治5年湊川神社が創建された。 |
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(写真は 「運命」(棟方志功)) |
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楠木正成が没した350年後に水戸黄門こと徳川光圀が、自筆の「嗚呼忠臣楠子之墓」の墓碑を建立して正成の墓所が世に出て、その忠臣ぶりが天下に顕彰された。墓所の傍らには墓所建立に尽力した徳川光圀の銅像が立っている。 |
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(写真は 楠木正成 墓碑(徳川光圀 筆)) |
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この正成の一生で最も心打つ場面が「桜井の別れ」。討死を覚悟した湊川の合戦を前に、現在の大阪府島本町の「桜井の駅」で、11歳の息子・正行に「父が死んだ後、尊氏の世となっても降参することなく尊氏と戦い、天皇に忠節を尽くすように」と諭して後事を託し別れたと言う。 |
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(写真は 楠木正成(堂本印象 筆)) |
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大楠公670年祭の今年は社殿修復完成記念も合わせ、さらに衣姿や武具なども新調して、平成14年の催行以来5年ぶりの武者行列となった。湊川神社を出発した総勢800余人の武者行列は、元町〜中突堤〜ハーバーランド〜新開地〜湊川公園〜湊川神社の6kmの行程を6時間にわたって練り歩いた。 |
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(写真は 福厳寺) |
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元禄5年(1692)光圀は自ら筆を取り「嗚呼忠臣楠子之墓」の墓碑銘を書き、光圀の家臣・佐々介三郎を当地に迎えて墓碑の建立が実現した。廣厳寺には正成の墓標を納めた石龕(せきがん)があり、墓碑の原板も寺に保存されている。本堂には正成の守本尊であったと伝えられる毘沙門天像や正成ほか一族の位牌が祀られている。 |
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(写真は 楠木正成墓碑の原版) |
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