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月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
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貝塚市、泉南市 |
和泉山脈の北の山麓から大阪湾の臨海部にかけて広がる貝塚市と泉南市は、工業地帯から田園地帯、丘陵地帯と、それぞれ多彩な顔を持っている。丘陵地帯には古くから人が住み着き、産業や文化が発達した。奈良時代開創の古刹も多く、渡来人が伝えたと言う和泉櫛は特産の伝統工芸品として知られている。 |
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この観音像のご利益で聖武天皇の病は治り、天皇は現地で観音像を祀るように行基に命じた。こうして水間寺が創建されたが、天正13年(1585)豊臣秀吉の根来寺攻めの兵火で焼失、再建されたがその後にも焼失した。現在の本堂や三重塔は江戸時代後期の文政10年(1827)に岸和田城主・岡部長慎が再建した。 |
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(写真は 降臨滝) |
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ツゲの和泉櫛には蒔絵が描かれたものや飾り彫りの施された高級品から、日常の髪のセットに使うものまで種類は多い。ツゲ櫛は使うほどに歯がなめらかになり、色もアメ色になってくる。和泉櫛生産が最盛期の江戸時代中期には貝塚市に119人の櫛職人がおり、全国の櫛生産の80%を占め、宮中や御所にも納入していた。 |
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(写真は 和泉櫛(辻忠商店)) |
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境内には西国三十三ヵ所、坂東三十三ヵ所、秩父三十四ヵ所の各観音石仏像100体が、大小数十の堂に祀られている。その100体観音像にちなんで参道の石段も100段。この石段は「厄除けの石段」と呼ばれ、女性は33段目、男性は42段目で厄除けを念ずるとご利益があると言う。 |
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(写真は 本尊 如意輪観世音菩薩(秘仏)) |
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林昌寺の庭は「法林の庭」と言ってその美しさで知られている。庭園設計の権威・重森三玲氏の作で昭和36年(1961)に築庭された。ツツジ岡と言われた丘陵の斜面の一角を利用して、中央に本尊石を置いた石組みと山号の躑躅山にちなんでツツジを配した豪快な作りで、庭全体で極楽浄土を表している。 |
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(写真は 法林の庭) |
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現在、泉南市内では20軒ほどの農家が水ナスを栽培している。水ナスの旬は夏だが、今はハウス栽培されるようになり、早いものでは2月中旬に出始める。しかし本当においしい水ナスが味わえるのは露地栽培のものが出荷される夏である。 |
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(写真は 水なすのただやす) |
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