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月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
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奈良・十津川村 |
奈良県の南端、和歌山県と三重県に接する十津川村は、村としては面積が日本一広く、その96%を山林が占めている。こうした豊かな自然の恵みと湧き出る温泉を観光資源にして観光客の誘致を図っている。今回は自然の恵みあふれる十津川村を探訪した。 |
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十津川村で歴史に残る大水害は、明治22年(1889)に奈良県南部を襲った台風によるもので、十津川村に壊滅的な大被害をもたらした。大洪水や山崩れなどによる死者は168人、流された家267戸、つぶれた家343戸に達し、田畑にも大きな被害をもたらした。村内での再起をあきらめ、約2500人が北海道へ移住して新十津川村を興したほどだった。 |
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(写真は 大野の吊橋) |
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大自然の懐に抱かれた温泉旅館に宿泊して、ゆっくりと温泉と山の幸、川の幸を楽しみたい。エメラルド色の二津野ダム湖、春の芽吹きと新緑、緑陰が涼しげな夏、鮮やかな紅葉、雪景色の山々、満天の星空など、四季折々に変わる自然の移ろいを、ダム湖畔の露天風呂から眺めるのは至福のひととき。ダム湖では釣りも楽しめ、近くには"人力ロープウエイ”の観光用野猿もあり、十津川温泉ならではの体験ができる。 |
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(写真は 吉乃屋) |
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文久3年(1863)尊王攘夷を唱えて挙兵した天誅組が五条代官所を襲撃した後、政変によって追討され敗走中に「笹の滝」を通過した。敗走中にもかかわらず滝の美しさに足を止め、一行の中の伴林光平が「小笹滝」と題した歌を詠み、その美しさを称えている。 |
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(写真は 十二滝) |
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書院造りの社務所(国・重文)は、文化元年(1804)に建てられた神仏習合時代の高牟婁院と呼ばれた寺の建物。内部中央に10部屋があり、周囲に縁をめぐらしている。内部の部屋を仕切っているのは杉の一枚戸で、その杉戸60数枚には狩野派の絵師・狩野法橋、橘保春の筆によって華麗な花鳥図などが描かれている。透かし彫りの欄間や違い棚などにも洗練された技法が見られる。 |
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(写真は 社務所(旧高牟婁院)) |
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こうした十津川村の大自然に抱かれた奥熊野の魅力に惹かれて、平成元年(1989)から十津川村玉置川(たまいがわ)に移り住み「奥熊野かづら工房」を構えたのが自然木アート作家の原秀雄さん。
原さんは原生林に育ったかずらや古木、風倒木の幹や株、ダム湖に沈んで再び現れた湖底木、ダム湖に流れ込んだ古木、石と言った自然素材を生かして花器、照明具、オブジェなどの創作に取り組んでいる。その作品は素朴な中にも計算された演出があり、自然が生んだ形に逆らわず、天然には存在しえない形にまとめられている。そこには原さんの自然に対する慈しみの心と目が作品に込められている。 |
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(写真は 奥熊野かづら工房) |
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