月〜金曜日 18時54分〜19時00分


奈良・十津川村 

 奈良県の南端、和歌山県と三重県に接する十津川村は、村としては面積が日本一広く、その96%を山林が占めている。こうした豊かな自然の恵みと湧き出る温泉を観光資源にして観光客の誘致を図っている。今回は自然の恵みあふれる十津川村を探訪した。


 
谷瀬の吊橋   放送 7月23日(月)
 十津川村を縦断するように深い渓谷に沿って、うねうねと流れている十津川。切り立った両岸は渓谷美を楽しませてくれるが、その深い谷は橋を架けることを拒み続けてきた。このため村人たちは対岸との往来に吊橋を架けて生活していた。現在も村内には約60もの吊橋が架かっている。
 当初は野猿(やえん)と呼ばれる"人力ロープウエイ”だった。両岸から川の上に張ったワイヤーロープに小屋のような屋形を取りつけ、乗った人が自分で引き綱をたぐり寄せながら対岸へ渡って行った。あたかも猿がツルを伝う様子に似ていたことからこの名がつけられた。その後、鉄線橋が架けられ野猿は姿を消し、今は観光用に架けられた野猿が人気を呼んでいる。

野猿

(写真は 野猿)

谷瀬の吊橋

 十津川村の吊橋の中でシンボル的な存在となっているのが、九重“夢”大吊橋ができるまでは、歩道吊橋としては日本一の長さを誇っていた高さ54m、長さ297mの谷瀬の吊橋。周囲の山々や吊橋の遥か下を流れる十津川の景観の素晴らしさ、吊橋を渡る時に上下左右に揺れるスリルで観光客の人気が高い。
 谷瀬の吊橋は昭和29年(1954)十津川村上野地と谷瀬を結ぶ生活用吊橋として、建設費約800万円、地元住民1戸当たり30万円を負担して架けられた。当時の30万円と言えば大変な大金だったが、生活に欠かせない橋に巨額の負担は避けられなかった。現在、十津川村を訪れる観光客に人気の谷瀬の吊橋の裏には、度重なる洪水の被害に泣かされた人びとの苦しみの歴史が秘められている。

(写真は 谷瀬の吊橋)

  十津川村で歴史に残る大水害は、明治22年(1889)に奈良県南部を襲った台風によるもので、十津川村に壊滅的な大被害をもたらした。大洪水や山崩れなどによる死者は168人、流された家267戸、つぶれた家343戸に達し、田畑にも大きな被害をもたらした。村内での再起をあきらめ、約2500人が北海道へ移住して新十津川村を興したほどだった。
 当時は深い渓谷には永久橋が架けられず、丸木橋を架けていたが洪水の度に流されるため、高所に架ける吊橋や野猿に代わり、その名残が谷瀬の吊橋である。今は架橋技術の進歩で十津川村にもコンクリート橋や鉄橋が架けられているが、それまでは吊橋が生活を支える橋だった。

大野の吊橋

(写真は 大野の吊橋)


 
十津川温泉  放送 7月24日(火)
 温泉は十津川村の重要な観光資源で、村内にはいくつかの温泉場がある。その中で村の南部、二津野ダム湖畔の十津川温泉は、村内で最も多くの旅館や商店が集まりにぎわっている温泉街である。
 その源泉「下湯」は十津川の支流の上湯川の下流にあり、元禄年間(1688〜1704)に炭焼き人夫が発見したと言われている。かつてはこの湯元に旅館があったが、現在はボーリングによって湧出する源泉を十津川温泉の各旅館や温泉保養施設「昴の郷」、公衆浴場、足湯用などに送湯している。湯温は70度、ナトリウム炭酸水素温泉で切り傷、やけど、リュウマチ性疾患などに効能がある。

十津川温泉

(写真は 十津川温泉)

薬師如来像(源泉薬師堂)

 十津川温泉は使ったお湯を再利用しない「源泉かけ流し」で、湧き出た温泉がふんだんに使える。また十津川温泉には入浴だけを楽しむ「わらびお公衆浴場」や公衆浴場「庵の湯」があり、大浴場のほかに足湯や飲泉場などが整い、二津野ダム湖を眺めながらゆっくりと温泉が楽しめる。
 保養施設「昴の郷」は温泉プールや多目的広場のほかに、7種類の風呂がある「星の湯」が人気を呼んでいる。一般開放されたこうした温泉施設は、登山やハイキング、ドライブなどで十津川温泉を訪れた人たちに好評で、静かな山あいの温泉を楽しんでいる。

(写真は 薬師如来像(源泉薬師堂))

 大自然の懐に抱かれた温泉旅館に宿泊して、ゆっくりと温泉と山の幸、川の幸を楽しみたい。エメラルド色の二津野ダム湖、春の芽吹きと新緑、緑陰が涼しげな夏、鮮やかな紅葉、雪景色の山々、満天の星空など、四季折々に変わる自然の移ろいを、ダム湖畔の露天風呂から眺めるのは至福のひととき。ダム湖では釣りも楽しめ、近くには"人力ロープウエイ”の観光用野猿もあり、十津川温泉ならではの体験ができる。
 山の幸、川の幸も豊富。アユやアマゴ料理に山菜、ボタン鍋、キジ鍋、カモ鍋など、季節に合わせた料理が夜の食膳を彩り、酒杯もいつもより進みそうだ。

吉乃屋

(写真は 吉乃屋)


 
大和の水の恵み 放送 7月25日(水)
 日本で最も雨の多い所のひとつにあげられている十津川村は、あちこちから清水が湧き出ている。国道などの幹線道路端から湧き出る清水が「三里山の水」「大師の水」「白口の水」「果無の水」などと名づけられたいる。通過するドライバーたちも一息入れて清水でのどを潤し、その恵みに浴することができる水の郷でもある。
 山歩きをする登山者にとってもこうした清水は、ありがたい自然の恵みで渇いたのどを潤し、これから山へ登ろうとする人たちは、水筒やペットボトルなどを満タンにしてリュックに入れている。

三里山の水

(写真は 三里山の水)

笹の滝

 十津川村内にはさまざまな形態の滝も点在している。「日本の滝百選」にも選ばれているのが、山深い滝川上流にある「笹の滝」。落差32m、幅5mあり、ごうごうと水しぶきをあげて流れ落ちる豪快な姿、滝壷からあふれ出た水が、白く泡立ちながら滑らかな岩肌を洗うような流れの美しさにうっとり見とれる。
 この滝の水が流れ行く滝川渓谷の水は、奈良県が選定した31ヵ所の「やまとの水」のひとつである。水の郷・十津川村には、大峰山系を源流とする清流が多く、アマゴやヤマメなどの渓流魚の姿も見られ、渓流釣りを楽しむ人が多い。

(写真は 笹の滝)

 文久3年(1863)尊王攘夷を唱えて挙兵した天誅組が五条代官所を襲撃した後、政変によって追討され敗走中に「笹の滝」を通過した。敗走中にもかかわらず滝の美しさに足を止め、一行の中の伴林光平が「小笹滝」と題した歌を詠み、その美しさを称えている。
 「笹の滝」のほかに国道42号沿いには、落差は小さいが水量と勢いがすごい「大泰(おおたい)の滝」、落差のあるスマートな姿の「不動滝」、国道168号沿いの「十二滝」などがあり、それぞれに滝見台も設けられ安全に観覧できる。このほかにも山奥の渓谷には名もない滝がいくつもあり、ハイカーたちを慰めている。

十二滝

(写真は 十二滝)


 
玉置神社  放送 7月26日(木)
 十津川村の東南端、標高1076mの玉置山の頂上近くの標高1000m付近に鎮座するのが玉置神社。今から2000余年もの昔、崇神天皇が王城防火鎮護と悪魔退散のため、ここに早玉神を奉祀して以来、玉置と名づけられたと伝えられている。
 明治維新前の神仏習合の時代には玉置三所権現と呼ばれ、7坊15寺もの神宮寺があり、社僧が神域を護持しており、熊野三山の奥の院として崇敬されていた。修験道の祖・役行者(えんのぎょうじゃ)が大峰山に修験道場を開いてからは修験道の行場としても栄え、修験者の参拝も増えてきた。

玉置神社

(写真は 玉置神社)

神代杉

 社殿の真後ろには樹齢3000年と言われる神代杉が、天空に枝を広げうっそうと茂っている。神代杉には宿り木が群生し、樹齢にふさわしい風格を見せている。このほか境内一円には幹周り8〜10m、高さ30〜50mにもおよぶ常立杉、磐余杉、大杉などの巨木杉群が群生しており、この巨杉群は奈良県の天然記念物に指定されている。
 巨木の杉の杜に抱かれるように建つ豪壮な社殿は、桧皮葺き入母屋造りの総ケヤキ造りで、祭神の国常立尊(くにとこたちのみこと)や天照大神ら五祭神が祀られている。

(写真は 神代杉)

 書院造りの社務所(国・重文)は、文化元年(1804)に建てられた神仏習合時代の高牟婁院と呼ばれた寺の建物。内部中央に10部屋があり、周囲に縁をめぐらしている。内部の部屋を仕切っているのは杉の一枚戸で、その杉戸60数枚には狩野派の絵師・狩野法橋、橘保春の筆によって華麗な花鳥図などが描かれている。透かし彫りの欄間や違い棚などにも洗練された技法が見られる。
 宇治川の先陣争いで有名な佐々木高綱が戦勝を祈願して奉納したと言う梵鐘(国・重文)や後白河法皇寄進の宝篋印塔(ほうきょういんとう)、和泉式部の供養塔などもある。

社務所(旧高牟婁院)

(写真は 社務所(旧高牟婁院))


 
奥熊野自然木アート  放送 7月27日(金)
 十津川村の南端、和歌山県との県境をなして東西に連なっているのが果無(はてなし)山脈。その山脈の果無峠を越えて熊野三山の熊野本宮大社へと人びとを導いた古道が、平成16年(2004)ユネスコの世界遺産に登録された「紀伊山地の霊場と参詣道」の熊野参詣道「小辺路」。
 熊野参詣道「小辺路」は、紀伊半島の山岳地帯をほぼ一直線に高野山から熊野本宮大社を結ぶ約72kmの古道。そのうち約33kmが十津川村内を通っており、沿道には豊かな自然が手つかずで残っている。アリの熊野詣と言われた往時をしのぶにはこの古道が最適との声が高い。

果無集落

(写真は 果無集落)

かづら花器

 その熊野参詣道「小辺路」の中で十津川温泉近くの柳本から果無峠を越えて田辺市本宮町八木尾に至るルートは楽しみが多い古道。古道沿いには西国三十三ヵ所観音霊場の観音石仏が並んでおり、道行く人びとを見守ってくれる。途中には往時をしのぶ石畳の道や三体の観音石仏を祀る観音堂、わずかな広場になっている果無峠には宝篋印塔(ほうきょういんとう)が立っているなど、参詣道にふさわしい風景が多い。
 柳本の登山口から急な石畳の道を登った所は、昔、茶店があった果無集落。今も数軒の人家があり、静かな山間での生活を楽しんでいるかのようだ。

(写真は かづら花器)

 こうした十津川村の大自然に抱かれた奥熊野の魅力に惹かれて、平成元年(1989)から十津川村玉置川(たまいがわ)に移り住み「奥熊野かづら工房」を構えたのが自然木アート作家の原秀雄さん。  原さんは原生林に育ったかずらや古木、風倒木の幹や株、ダム湖に沈んで再び現れた湖底木、ダム湖に流れ込んだ古木、石と言った自然素材を生かして花器、照明具、オブジェなどの創作に取り組んでいる。その作品は素朴な中にも計算された演出があり、自然が生んだ形に逆らわず、天然には存在しえない形にまとめられている。そこには原さんの自然に対する慈しみの心と目が作品に込められている。

奥熊野かづら工房

(写真は 奥熊野かづら工房)


◇あ    し◇
谷瀬の吊り橋近鉄大阪線、橿原線大和八木駅、JR紀勢線新宮駅、
和歌山線五条駅からバスで上野地下車すぐ。
十津川温泉近鉄大阪線、橿原線大和八木駅、JR紀勢線新宮駅、
和歌山線五条駅からバスで十津川温泉下車。
笹の滝村営バスが運行されているが終点から徒歩で往復4時間以上かかり帰りの便がなく徒歩は困難。タクシー利用しかない。
玉置神社祝祭日は十津川温泉から村営バスが1往復運行、神社駐車場から徒歩20分。村役場へ予約が必要。
祝祭日の村営バス以外はタクシー利用が便利。
奥熊野かづら工房村営バスが運行されているが本数が少なく復路の便が
なくなる場合もあり、タクシー利用が便利。
◇問い合わせ先◇
十津川村観光課0746−62−0001 
十津川村観光協会0746−63−0200 
十津川温泉吉乃屋0746−64−0012 
玉置神社0746−64−0500 
奥熊野かづら工房0746−69−0161 

◆歴史街道とは

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  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」

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