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月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
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兵庫・猪名川町、川西市 |
北摂を流れる猪名川流域の猪名川町と川西市は、石器や土器が出土していることから猪名川の恵みを受けて古くから開けていた。また清和源氏発祥の地とされ、源氏ゆかりの社寺や遺跡も多い。現在は大阪のベッドタウンとして数多くの住宅団地が開発されている市と町である。 |
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屏風岩からかなり上流へ遡ったところにある囲炉裏茶屋「里の家」は、茅葺き屋根に長屋門がある江戸時代の武家屋敷を改装、古い建物の雰囲気を大切にした食事処で川の幸、山の幸が賞味できる。 |
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(写真は 鮎の塩焼) |
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鎌倉川とは本流を挟んで、反対側の西北から流れる柏原川に沿う柏原地区の山の斜面には、緑の稲穂がそよぐ棚田が広がっている。 |
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(写真は 柏原地区の棚田) |
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江戸時代に入ると多田銀銅山は幕府の天領となり、有望な鉱脈も見つかり採掘はますます盛んになり、代官所が置かれた。最盛期には年間銀2475kg、銅420トンを産出しと言われ、間歩は2802ヵ所、鉱山周辺には3000戸の集落があり、芝居小屋や相撲土俵などもあった。 |
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(写真は 多田銀銅山 悠久の館) |
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能勢妙見山に対する庶民の信心深さは、将棋の坂田三吉を描いた戯曲「王将」で、関根8段との対局前夜に物干し台で太鼓をたたいて「能勢の妙見さん頼んまっせ」と祈るシーンが印象に強い。勝海舟が幕末に大活躍できたのも、父・勝小吉の妙見大菩薩への強い信仰心に支えられていた。 |
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(写真は 開運殿) |
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満仲はわが子・美女丸を僧侶にするため宝塚の中山寺で修行させたが、美女丸は真面目に修行せず遊んでばかりいた。これに怒った満仲は家臣の藤原仲光に「美女丸を切れ」と命じた。主君の子の命を奪うことに躊躇していた父の姿を見た仲光の子・幸寿丸が身代わりになって切られた。比叡山へ送られた美女丸は後にこのことを知って修行に励み、僧・源賢となり幸寿丸のために小童寺を建てた。この小童寺に幸寿丸と美女丸、仲光の墓があるほか満願寺にも3人の墓がある。 |
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(写真は 仁王門) |
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